十の七

「花祝ちゃんが僕との再会をそんなに喜んでくれるなんて……!」


 突然抱きついてきた花祝に戸惑いつつも、楓が感極まったように声を震わせる。


「まあっ! どうせ私が覗き見するからって、何もこんな目の前で堂々となさらなくても……♡」


 抱き合う二人を正視できぬとばかりに顔の前で扇を広げた小雪が、端からしっかりと覗き見しつつにんまりと口元を緩める。


(楓くんには悪いけど、私がこんなことをしたらナギ兄が黙っていないはず)


 ますます体を密着させてくる花祝を、楓はもはや自制がきかぬとばかりに抱きしめ返した。


「花祝ちゃんが全身で気持ちを伝えてくれているんなら、僕ももう自分の気持ちを抑える必要はないってことだよね……?」


意を決した楓が、ここぞとばかりに言葉を紡いだ、まさにその時。


「花祝ちゃん、僕は君が好「ちょっときだっ!待ったぁーーーっっ!! その抱き合い方はガチアウトだろぉぉっ!!」」


 花祝の目論見どおり、ここぞという楓の声をかき消すかのように、凪人が叫びながら飛び出してきたのだった。


 ❁.*・゚


「だから、名前を呼んだ時にナギ兄がすんなり出てきてくれれば、私が楓くんにいきなり抱きつくこともなかったのよ」


 楓のために用意された唐菓子からくだものを無遠慮につまむ凪人に向かって、花祝がそう説明する。

 あろうことか先ほど助走をつけて楓に殴りかかった凪人は、悪びれる様子もなく口を尖らせた。


「んなこと言ったって、ガキの頃から木隠こがくれとしてしごかれたオレの習性がそれを許さねえんだよ。相手に気取られても決して動揺せず、ますます息を潜めて気配を消すっつーのがオレらのセオリーだからさ」


「私がいきなり楓くんに抱きついた途端に動揺しまくって飛び出してきたんじゃ、セオリーも何もないでしょ。しかも、問答無用で殴りかかるなんて、私も楓くんに何てお詫びしたらいいのか……」


 反省の色のない乳兄弟の分まで、花祝は正面に座る楓にもう一度深々と頭を下げた。


「楓くん。ナギ兄を呼び出すためとは言え、いきなりあんなことをしてごめんなさい。まさかナギ兄が楓くんに殴りかかるなんてことまで思い至らなくて……」


 凪人が二人に猛突進してきたとき。

 武家の出である楓は、いち早く危険を察知し、抱きしめていた花祝を咄嗟に背に庇いつつ、凪人の振り下ろした拳を素手で掴んで受け流した。

 剣の腕と同じく洗練された体術でまったく危なげがなかったのだが、何故か今の楓はひどく落ち込んでいる。


「いや……。凪人さんが本気で殺しに来ない限り、僕は大丈夫だから。むしろ僕が辛いのは、花祝ちゃんが再会の喜びを全身で表してくれていたわけではなかったということの方で……」


「えっ? もちろん私だって、楓くんが無事に帰って来てくれてすごく嬉しいわ。ただ、私がナギ兄を呼び出すため楓くんに抱きついたことで迷惑をかけたのは事実だから」


「はうっ」


 気遣わしげにそう告げる花祝の言葉に、楓が小さく呻いて胸を押さえた。


「というわけでナギ兄。あのスキンシップにナギ兄を呼び出すため以外の意図はの。楓くんには何の非もないんだから、ナギ兄も謝ってよ!」


「はうっ」


 再び呻いて苦悶を浮かべた楓を見るに耐えかね、小雪がそっと花祝に耳打ちする。


「花祝さま、いくら照れ隠しとは言え、これ以上龍染司様を傷つけるのはいささか酷かと思われますわ……」


「え? どういうこと? 私は誤解を解いた上で、楓くんにきちんと謝りたいだけなのに」


 小雪の忖度もまるで伝わらない花祝の様子に、楓はますます肩を落とす。

 楓の前に置かれた皿に横から手を伸ばし、ぼりぼりと唐菓子を食べていた凪人であったが、気遣わしげに眉をひそめたかと思うと、蜜がついたままの手を楓の肩にぽんと置いた。



「なんかごめんな……? うちの妹が、楓っちのMPメンタルパワーを無自覚に削りまくっててさ」



 ❁.*・゚


 凪人が楓に(花祝の意図とは別の意味で)謝罪したことで、ようやく場を仕切り直すことができた四人。

 襲芳殿の南ひさしで膝を突き合わせるように座ると、彩辻宮に関する相談を始めた。


「……なるほど、経緯は理解できたよ。花祝ちゃんが宮様の御邸に行く時に、僕も同行することになったんだね?」


「そうなの。事後承諾で申し訳ないけれど、よろしくお願いします。……ただ、宮様は遣わしの二人と対面することをむしろ喜んでいらっしゃるご様子なの。それがかえって罠に嵌められているようで怖い気がするのよね。ナギ兄はどう思う?」


 楓の不在中に彗舜帝と彩辻宮が対面したこと、その折に彩辻宮が邪気を呼び寄せたこと、花祝がそれを咄嗟に祓い、後日彩辻宮から文を届いたこと。相談したいことがあるから帝に知られぬように邸に来てほしいと誘われたこと。


 これまでの経緯を説明した花祝は、凪人へと話を振った。

 凪人の方では帝の指示の下、数日に渡り彩辻宮邸の偵察をしていたはずである。


「結論から言うと、彩辻宮からの招待が今回罠である可能性は低いと思う。ここ数日、宮の動向を探っていたが、花祝達の来訪に備えて何か策を練っているような素振りは見られなかった」


「ナギ兄が怪しいって言ってた文学ふみのはかせの動向は?」


「ああ、古文書の復元を専門にしている文学、高階たかしな弘相ひろみのことな。あいつが宮のお気に入りだっつー情報どおり、この数日間は毎日のように彩辻宮邸に出入りし、宮に学問を教えていた。詳しい内容は聞いててもよくわかんなかったが、この国の歴史だとか政治学だとか土木建築学だとか、ジャンルはかなり幅広かったぜ」


「妖術……降禍術こうかじゅつのことに関しては何か話していた?」


「俺の聞いている中では話題に出なかったな。ただ、時折話が脱線して宮が妖術や龍のことを話し始めると、『宮様には親王としてもっとまつりごとに関心をもっていただきたい』って嘆いていた。まあ、親王の教育係としては至極もっともな意見だと思ったが」


「その高階って文学と左大臣とのつながりは?」


「そっちも調べてみたんだが、高階家ってのは代々学者の家系で、政治にはあまり関わりをもってこなかったらしい。左大臣家とのつながりもほとんどないようだ」


「そう……」


 彩辻宮と呪符の関わりを探る中で手がかりとなりそうな文学・高階であったが、ここ数日の凪人の調査では特に不審な言動はなかったようだ。


 凪人の話をそれぞれが頭の中で整理し終えたあたりで、「ただ」と、凪人が付け加えた。


「高階が彩辻宮邸に来なかったのは一日だけなんだが……。その日、彩辻宮は何をしたと思う? 左大臣邸を訪れたんだよ。お供をあまり連れることもなく、ひっそりとさ」


 彩辻宮が彗舜帝と対面して数日も経たぬうちに左大臣邸を訪れていたという事実に、花祝と楓、そして小雪は驚いたように顔を見合わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る