十の八
彗舜帝との対面から数日も経たぬうちに、彩辻宮が左大臣邸を訪れていた――――
その事実を聞いた皆の顔が緊張で強張る中、凪人は報告を続ける。
「もちろん、訪問に付き従う
凪人の報告に目をみはったのは楓である。
「もしかして、凪人さんは左大臣邸にまで潜入したんですか?
感嘆とも呆れとも取れる楓の反応に、凪人は得意げに胸を張る。
「
「帝っち?」
「清龍殿?」
「ナギ兄、ストップ! ドヤ顔で話を脱線させないでってば!」
楓と小雪が首を傾げる中、凪人の武勇伝を花祝が慌てて遮った。
いくら信頼できる二人でも、凪人が清龍殿に忍び込んだことがばれてはさすがにまずい。
さらに、万が一にも凪人が帝のセクハラ行為を暴露しようものならば、国の民として帝を敬う楓や小雪にかなりの衝撃を与えるに違いない。
「そっ、それで、彩辻宮様が左大臣邸の東の対を訪問なさったってことだけど、どなたに会われたのかしらね?」
花祝が話を強引に本線に戻すと、「そうそう」と凪人が真剣な表情に戻る。
「初めて潜入した邸だし、あんま深追いはできなかったんだが……。東の対にはどうやら左大臣家の姫がいるらしい」
凪人の言葉に、楓が大きく頷く。
「そのとおりです。以前は左大臣殿のご正室と母娘で北の対に住まわれていたのですが、二年前、姫君がご成人されたのを機に東の対へと移られたそうです」
「と言うことは、彩辻宮様は左大臣の姫君に会いに行ったのね?」
楓の補足を聞いた花祝が、確かめるように小雪を見やる。
女官同士の細やかな情報網をもつ小雪が、主人に応えて大きく頷いた。
「宮様は左大臣家の姫君に歌の手ほどきを受けられているそうですし、その日も姫君の元に歌を教わりに行かれたと考えるのが自然ですわね」
「ただ、宮様付きの女房殿は、歌を教わるにしては宮様が左大臣邸に頻繁に通いすぎているとも言っていたのでしょう? 本当に歌を教わることだけが目的だったのかしら」
小雪と花祝のやり取りを聞いていた凪人が口を開く。
「彩辻宮が東の対に滞在していたのは半刻(約一時間)ほどだ。その間に左大臣が東の対に渡ることもなかったから、オレとしては
ふむ、と無精髭の生えた顎をさする凪人。
手にした扇の端をばちぱちとを開け閉めしつつ、花祝は彩辻宮のご様子を思い返していた。
眼鏡を指で押し上げる姿は知的で思慮深い印象であったが、兄帝に向けた敬愛の眼差しや龍侍司である花祝に向けた好奇心に満ちた表情は、十五という歳にしては幼いと思えるほど純真なものに感じられた。
左大臣家の姫がどのような人物かはわからぬが、少なくとも宮の方は、他人を陥れるためにこそこそと動き回るようなことをなさるお人ではないのでは。
その推測に至った花祝は、扇をぱちりと閉じて顔を上げた。
「宮様からの相談事がどんな内容かはわからないけれど……宮様とお話する時には、私からも左大臣家へのご訪問のことについて、それとなく触れてみるわ。あちらが何をお考えなのかを知るには、直接お会いして色々とお話を聞くのが一番だしね」
「それはそうかもしれませぬが……。いくら龍染司様にご同行いただけるとしても、私はやはり花祝さまの御身が心配でございます。なのに、左大臣家訪問の件をあえて話題に出すなんて────」
眉根を寄せて不安がる小雪に、楓が笑みを向ける。
「小雪さんの心配はよくわかります。僕だって、できることならば花祝ちゃんの身に少しでも危険の及ぶ恐れのあることはさせたくない。けれど、幸いなことに今回は僕の同行が許されたんです。物の怪であろうが人であろうが、花祝ちゃんを傷つけようとする存在が現れれば、僕が命を賭けて守ってみせますから」
端正な
「ね? 花祝ちゃん」
小雪に向けたそれが今度はこちらに向けられ、花祝の心臓がとくん、と跳ねる。
「う、うんっ! 楓くんがいてくれるなら、こんなに心強いことはないわ。心配しなくても大丈夫よ、小雪」
「うぁぁぁ……尊いっ! お二人が交わすその眼差しが、笑みが、尊すぎますっ! そうですわね、お二人は
「小雪、現実と自分の書いている物語をすぐに混同するのはあなたの悪い癖よ」
「おぅい、花祝ー。ちったぁ兄ちゃんも頼りにしてくれよー。俺も当日は彩辻宮邸に潜んどくからよ」
今上帝をお守りするため。
龍の遣わしである二人と、彼女らを支える者達は力を合わせて動き出す。
まずは彩辻宮に会い、彼と呪符との関係を探ることが初めの一歩となる。
そのことを四人が確かめ合ったところで、楓が麦湯の椀を空けて立ち上がった。
「そうと決まれば、一刻も早く新しい龍袿を染めなくちゃ。彩辻宮邸に赴く花祝ちゃんには、龍の気がより強く宿る龍袿を纏ってほしいからね」
「ありがとう、楓くん。残零集めから帰ってきたばかりなのに申し訳ないけれど、よろしくお願いします」
「じゃ、オレは引き続き花祝のストーキングでも続けっかな。ま、楓っちが帰るんならあんま張り合いねえけど」
「じゃあナギ兄も帰ったらどうなのよ? っていうかさっさと帰ってよ!」
「私は先ほどの尊みが鮮明に胸に残るうちに執筆活動に入らせていただきますわ!」
「小雪、フィクションであるという注意書きはくれぐれも忘れないでよね!?」
仲間のいる頼もしさで胸が温まる一方でなんだか妙な気疲れを感じつつ、散り散りに去っていく三人を見送る花祝であった。
(十、龍侍司、いにしへの術を知りて、その使ひ手をあなぐらむとしけること おわり)
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