十の五

「彩辻宮様からの文……。私に一体何の用件なのかしら」


 思わぬ報せを受け、花祝は戸惑いをあらわにして小雪を見つめた。


「昨日のお話では、花祝さまは邪気に襲われそうになった宮様を咄嗟にお守りなさったのですよね? そのお礼を文にしたためたとみるのが自然な気がしますが……」


「私もそう思うんだけれど、使いの方が返事を待っているということは、ただのお礼ではなさそうよね。とにかく文に目を通してみましょう」


 花祝と小雪は頷き合うと塗籠ぬりごめ遣戸やりどを開け、母屋もやへと向かった。


 ❁.*・゚


 雲母刷きらずりの文様が豪奢な唐紙からかみを広げると、彩辻宮の御手筆跡であろう、流麗な文字が書き綴られていた。


 内容は、小雪の予想通り昨日のお礼。

 続いて、兄帝と花祝の前で邪気を呼んでしまったご自身の不徳への反省が綴られている。


 さらさらと文に目を通していた花祝の肩がぴくりと動く。

 文の最後には、かような用向きが書かれていた。


『実は、陛下の信頼厚き龍侍司殿に、折り入ってご相談があるのです。本来であれば私が襲芳殿に伺うのが筋ではありますが、私達の面会が陛下のお耳に入ることのなきよう、内裏の外でお話したいのです。つきましては、ご都合のよろしい日に我が邸にお招き申し上げたく思います』


「宮様が、私に相談があるから、お邸に来てほしいって」


 花祝が顔を上げて脇に控える小雪を見やると、不安げに花祝を見つめていた彼女が「まあっ」と目をみはった。


「相談って……。本来ならば接点のなかったはずの花祝さまに、宮様が一体何をお話しなさるおつもりなんでしょう? もしもあの夜の呪符に宮様が関わってらっしゃるとしたら、このお招きが罠だということも考えられますわ!」


「確かにそうね……。でも、彩辻宮様と直接お話ができるのは、あちらの意図を探るための絶好の機会でもあるわ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。お誘いにのってみる価値はあるかもしれない」


 そうは思うものの、これが左大臣側の罠かもしれないと考えると、花祝とてやはり二の足を踏んでしまう。


「こんな時、ナギ兄や楓くんがいれば相談できるのだけれど……」


 ぼそりと呟いた花祝の言葉を、小雪がすかさずすくい上げた。


「そうですわ! 彩辻宮様には、龍染司様と二人でお伺いしたいとお返事してみてはいかがでしょう?」


「楓くんと彩辻宮様のお邸に? でも、私に相談事があると書いてあるのに、楓くんが同行することを宮様が承諾なさるかしら」


「宮様は妖術や龍など、人智を超えた存在に大変なご興味をお持ちなのでございましょう? 遣わしのお二人が目の前に揃うとなれば、お喜びになるのではないでしょうか。折り入ってのご相談の間だけ龍染司様に席をお外しいただくにしても、同じ屋敷内にいらっしゃれば、いざという時に駆けつけていただけますし」


「確かにそうね……。でも、楓くんの意向を聞かずに同行のお返事をしてしまうのは気が引けるわ」


「かの龍染司様が花祝さまのお願いをお断りなさるはずがないですわ! 己が命を賭けて守り抜くと決めた女人がひとり敵地に乗り込まんとしているんですもの。花祝さまの危機には “僕が花祝ちゃんを守るんだ!” と開谷の太刀を携えて颯爽と登場し、次々と現れる物の怪達をばっさばっさと斬り倒し、最後の大物を倒した後で、 “花祝ちゃん、怪我はないかい?” “楓くんこそ! 危険を顧みずに助けに来てくれたのね” “当たり前じゃないか! 君を守れるのは同じ遣わしである僕しかいないんだ。お互い無事に使命を果たした暁には、晴れて夫婦の契りを交わそう” “楓くん、嬉しい……! 私も同じ気持ちよ” “花祝ちゃんっ!〈ひしと抱きしめながら〉それを聞いてしまっては、十二年の任期が余計に長く感じてしまう。今の僕達は、重ね合う唇に熱き想いをのせることしかできないのに” “ああ、楓くん……。そんなこと言わずに、もういっそこのまま私を攫って逃げて!” “本当にいいのかい……?”」


「ちょちょちょ、小雪っ、ストーップ!! どんだけ妄想を暴走させてるのよっ!?」


 話の途中から突然妄想の世界へと羽ばたいていってしまった小雪。

 主人そっちのけで一人二役を熱演する彼女を、花祝が必死で止めに入る。


「……はっ!? 私としたことが、つい妄想が先走ってしまいました」


「言っとくけど、小雪の妄想みたいな展開には間違ってもならないからね!?」


 きまり悪そうに女房装束の袖で口元を隠す小雪に、花祝はやれやれと呆れつつも、気を取り直してこう告げた。


「でも、確かに楓くんなら同行を承諾してくれるはずよね。御返事を保留にするのは宮様を変に警戒させてしまいそうだし、遣わしの二人で伺いたいとの旨をお伝えすることにしましょう」


 それを聞くと小雪はそそくさと立ち上がり、「では、御返事をしたためる準備をいたしますわね」と、部屋付き女房を呼びに行ったのだった。


 ❁.*・゚


『雲の上におわす宮様が私のような者を頼りにしてくださるとは、誠に畏れ多いことです。ですが、少しでも宮様のお役に立てるのであれば、喜んでお話をお聞き申し上げたく存じます。なお、またとない機会ですので、同じ遣わしである龍染司殿を宮様にご紹介いたしたく、同行をお許しいただけましたら幸甚にございます』


 かような旨を文にしたため、待機していた使者にお渡しする。


 彩辻宮からの御返事は翌日に届いたが、『龍染司殿にもお会いできるのであれば、これ程嬉しいことはありません。どうぞお二人でお越しください』とのことであった。


 桜花京は今日も梅雨空の重い雲が垂れこめ、時折ぱらぱらと雨が降る。

 本日も訪問者のいない静かな襲芳殿で、花祝は小雪と共に彩辻宮からの文を広げ、ううむ、と唸っていた。


「この文面からは、楓くんが同行することをお喜びになっているように感じられるわね」


「私はむしろ不気味ですわ。もしもこれが罠だとすれば、龍染司様も合わせて一網打尽にするおつもりなのかもしれませんもの」


「でも、もし “ためし着” の夜の呪符に宮様が関わってらっしゃるとしたら、鳳凰狼を撃退した楓くんの強さをご存知のはずでしょう? こちらに攻撃を仕掛けるつもりがあるなら、楓くんの同行にもっと警戒するはずよ」


「うーん、やはり女ふたりがこの場であれこれ考えているだけでは埒が明きませんわね。龍染司様の一刻も早いお戻りが待たれますわ」


 小雪がそうためため息を吐いた時であった。

 まるで図ったかのように、楓の帰京の報せが舞い込んできたのは。



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