九の七

 彩辻宮あやつじのみやから予期せぬ興味を向けられ、花祝はどうしてよいのかわからない。


 戸惑う花祝の様子にお気づきになった陛下が斜め後ろを振り返り、扇で口元を隠しつつこう言い添えられた。


「実を言うと、彩辻宮は妖術や物の怪、五色の龍など、人智を超えた力や存在に異常なほど興味を持っておるのだ。龍の通力を授かったそなたが間近にいることに感激したのであろう」


「そうなんですか……?」


「とは言え、あやつとの対面に備えて龍侍司を守護につかせているなどと、宮本人には説明できぬ。ここは俺が適当にあしらうから、そなたは話を合わせてくれ」


「わ、わかりました」


 口元を隠す扇の上で細められた、悪戯っぽい藍鉄の瞳に若干の不安を覚えつつ。

 花祝はこくりと頷いてみせた。


 確かに、兄帝が自分と相対することで邪気を呼び寄せるほどの負の感情を抱く可能性があると知れば、少年の純真さを失わぬ彩辻宮の心は大層傷つくに違いない。


 御簾越しに彩辻宮に向き直り、こほん、と咳払いされる陛下のお背中を見つめつつ、陛下の出方に合わせるように花祝も居住まいを正す。


「ここに侍るは、確かに龍侍司である。……だが、彼女は本日、公務ではなくごく私的な理由でここにいる。気にせず話を続けるといい」


「でっ、でもっ! 陛下は側仕えの筆頭である尚侍ないしのかみですら、滅多に御簾の内に入れないと聞いております。守護でもないのに龍侍司を侍らすなんて、何か理由がおありなのでは?」


「……宮はそんなに理由が知りたいのか?」


「はいっ! 五色の龍はもちろんのこと、龍の通力を授けられし遣わしは私の憧れでございます。龍侍司殿にお目にかかれる機会など滅多にありませんし、存在を気にするなと言われても気になってしまいます」


「そうか……。では仕方あるまい。彼女がここにいる理由を教えてやろう」


 そうお答えになった陛下が、斜め後ろに控えて事の成り行きを見守っていた花祝を手招きなさった。


「?」


 どう話を合わせればよいのかと、身を乗り出した花祝。

 陛下はその手首を掴むと、ぐい、とご自分に引き寄せられた。


「きゃ……っ!?」


 倒れ込んできた花祝を抱きとめると、花祝の腰に腕を回して体ごとさらに引き寄せ、ご自分の膝の内に収めるいつもの態勢を取られる。


「龍侍司は俺の恋人だ。昨晩逢瀬を楽しんだが、襲芳殿に帰すのが惜しくなり、こうして今も侍らせておる」


「は、はぁぁっ!!?」


 涼やかな御声でのたまう陛下に、彩辻宮が御簾の向こうにいることも忘れ、花祝は腹の底から抗議の声を上げた。


(ちょっ! 陛下! いきなり何てことをっ)

初心うぶな宮を黙らせるには、艶っぽい理由をつけるのが一番効果的なのだ。そなたは話を合わせておればよい)


 ひそひそと声を潜めてなじる花祝に、陛下は平然とそう仰る。

 事実無根のことはきちんと訂正していただこうと口を開いた花祝であったが、彩辻宮の震え声が花祝の抗議を遮った。


「……それはまことにございますか? 后妃を娶らぬ陛下が、龍侍司を恋人になさっているなんて……。そもそも遣わしは純潔を保たねば龍の通力を失い、役目を果たすことができぬはずですが」


「もちろん、龍の通力を失わせるような真似はしておらぬ。その手前のギリギリのところでも互いに十分楽しめるからな。のう、花祝?」


「…………っ」


 悪戯っぽく、けれどもとびきり艶やかに微笑まれ、花祝は飛び出しかけた心臓が喉に詰まったかのごとく絶句した。


 脳裏によみがえるのは、

 甘やかについばまれる唇の感触。

 逃れたいのに心地よくもある胸の硬さ。

 そして、龍袿の合わせにするりと忍び込む手の滑らかさ。


 こちらは楽しんでいるつもりはさらさらないが、恋人まがいの行為に身に覚えがないとは言い切れない。

 否定の言葉の出ない花祝は、ただただ顔を赤くした。


 返事がないことを肯定と受け取ったのか、頬を染めて俯いた彩辻宮が眼鏡をくいっと押し上げながらぼそりと呟く。


「そんな……。兄上に恋人ができたなんて……あの御方に何とお伝えしたら……」


 膝の上でぐっと拳を握られた宮がお顔を上げた。


「では、兄上……いえ、陛下は後宮を復活させるおつもりがあるということですか? ゆくゆくは龍侍司殿を娶り、中宮や女御をお迎えなさると?」


「いや、今後も後宮をもつ気はない。女がまつりごとの争いに絡めば、誰もここで幸せには暮らせまい。それに昨年秋の台風で喜美きび地方の作物に大損害が出た折も、後宮の維持費がなかったおかげで国庫から喜美の民に十分な援助を与えられたのだ。民から集めた租税は、贅沢が身に染みた貴族の姫達に豪奢な暮らしをさせるためのものではない。国の民が幸せに暮らすために最大限に使うべきだ」


 花祝を膝に囲われたまま、凛然とそうお答えになる彗舜帝。


(後宮をつくらないと仰っていたのには、そんなお考えもあったのね……)


 頬に上った熱が冷めやらぬまま、陛下のお言葉を聞いていた花祝であったが、陛下は一旦お言葉を区切られると、膝の内に閉じ込めた花祝をじっと見つめなさる。


「そういうわけで、この先も俺が後宮をつくることはない。……ただ、最近になってふと思うことがある。后妃は要らぬが、 “家族” は欲しいかもしれぬ、と――――」


 花祝を見つめる藍鉄の瞳に、寂寥とも憧憬ともとれる色がのせられる。

 その眼差しに胸が締めつけられ、花祝の心臓が小さくきゅうっと鳴いたような気がした。


 唇を噛み締めて陛下のお言葉をお聞きになっていた彩辻宮が、眼鏡の縁をくいっと指で押し上げた。


「陛下……。家族は欲しいと仰るのに、後宮をつくらぬ、后妃は迎えぬでは、お世継ぎの皇子はどうされるのです? 龍侍司殿に寵をお与えになるのは自由ですが、春宮とうぐうという立場の皇子は、貴族達を納得させるだけの身分の腹から生まれねばなりませぬ。いくら陛下が民を思う政をなさっても、その意志を継ぐ皇子が生まれねば、この国は龍の加護を失います!」


「ならば俺の後をそなたに任せよう。そなたの明晰な頭脳をまつりごとに向ければ、国を良き方向に導くことができるはずだ。左大臣も甥っ子が帝となれば協力は惜しまぬであろうし、何ならそなたが左大臣の姫を后にしてやればいい。さすれば左大臣の野望も叶い、政も盤石になるのではないか?」


「…………っ! 兄上は、何もわかっておられない……っ」


 帝の一言に胸を締めつけられてから一転、腹違いの兄弟の穏やかならぬやり取りに、花祝の表情が強ばっていく。


(結局はご兄弟でこの話題になってしまうのね……。この流れでは邪気を呼び寄せかねないわ)


 花祝の懸念は間を置くことなく現実のものとなる。

 昼御座ひのおまし簀子縁すのこえんを隔てる御簾の隙間から、赤白橡あかしろつるばみの邪気が入り込んできたのだ。


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