八の三

 牛車の中の二人に向かって、凪人は己の見解を述べ始めた。


「楓っちは剣の扱いに関して素人じゃねえ。むしろ、ガチ強かったろ?」


 同意を求められ、花祝は鳳凰狼に斬りかかった楓の姿を思い返す。

 細身の体躯から繰り出される、無駄のない鮮やかな太刀筋。

 その動きはしなやかでありながら、一太刀で鳳凰狼の首を斬り落とす力を併せ持っていた。

 普段は穏やかな物腰を崩さない彼があのように気迫の込められた太刀を扱えるのは、正直驚きであった。


「確かに、楓くんのあの強さは思いもよらなかったけれど……」


「鳳凰狼を斬りつけた時のそいつの太刀筋は、実戦的でありながら、無駄がなくて洗練されていた。賊の類でも戦い慣れはしてるだろうが、あれは技術として磨き上げられた型を日々の鍛錬によって体得した動きに間違いねえ。つまり、楓っちはガキの頃から散々剣術の稽古をしていたってことだよ。しかも、相当腕の立つ奴にしごかれてきたはずだ」


 車外から聞こえてくる凪人の分析は、偵察を得意とする木隠れならではの緻密さがある。


「確かに、一朝一夕の訓練や天賦の才というだけでは、あそこまで太刀を見事に振るうことはできないわね……」


 納得する花祝の横で、楓が深く嘆息した。

 誤魔化しきれないと悟ったのか、物見の窓から視線を外し、花祝を見つめて口を開く。


「凪人さんの分析は正しいよ。僕は幼い頃から父に鍛えられて武芸を身につけてきた。……つまり、僕は武家の出身なんだ」


「でも、楓くんの実家が武家であることが、どうして犯人と繋がるの?」


「それは…………」


「楓っちが “長谷部” の姓だからだよ」


 言い淀んだ楓の代わりに、凪人がそう答えた。

 しかし、武家のことはまったくわからない花祝は、長谷部の姓を改めて聞いたところで全然ピンと来ない。


「俺のバイト先の近衛府このえふは内裏全体の警護を任されてる部署だから、皇族の近侍を務める兵衛府つはもののとねりのつかさとも繋がりがあってさ。先日、そこの上官である長谷部ってオッサンに会ったんだよ。どっかで聞いた姓だなーって思ってたんだが、さっきの楓っちの太刀筋と、楓っちの姓が長谷部だったってことでピンと来た。楓っちは、あのオッサンの一族なんじゃねえかって」


「……いかにも。贈正七位ぞうせいしちい左兵衛尉さひょうえのじょう長谷部はせべ信勝のぶかつは僕の父だ」


「……やっぱな。んで、問題はこの先だ。兵衛府の武官っていうのは、皇族に直で警護にあたる人間だから、有力貴族からの推挙があって初めて役職につけるんだ。長谷部のおっさんを左兵衛尉に推挙したのは……左大臣、豊原とよはら元頼もとよりなんだよ」


「え…………っ?」


 話を聞いていた花祝の思考が一旦止まる。

 直後、頭の中でばらばらに散らばっていた情報が一気に組み上がり、とある形をなした。


 楓の実家は、左大臣家と繋がりのある武家。

 兵衛府の上官として推挙されるほどであるから、左大臣家からの信頼の厚さも推し量られる。

 もしも左大臣が彗舜帝と表立って対立することになったら、長谷部家は左大臣側の武力の筆頭となる可能性が非常に高いのだ。


 つまり、長谷部家の子息である楓は左大臣派だった────?


「凪人さんの言うとおり、長谷部家はここ数代に渡り豊原家の警護を請け負ってきた武家です。左大臣殿は、自家お抱えの武人の強さを誇示し、周囲の貴族を武力面においても威圧するため、腕の立つ我が父を左兵衛尉に推挙したわけだけれど……。でも、これだけは信じてほしい。僕も父も、武家の人間である以前に、この桜津国おうつのくにの民だ。龍の加護を受けて国を束ねる帝を傷つけるようなことは絶対にないし、花祝ちゃんを傷つけるようなことだって絶対にしない!」


 青ざめた花祝の信頼だけは失うまいと、璃寛茶の瞳を揺らめかせた楓が必死に言い募る。


「僕が長谷部家の出自であることを隠すつもりはなかった。ただ、もしも花祝ちゃんが彗舜帝と左大臣家の因縁を耳にしていたら、誤解を受けるんじゃないかって恐れていたんだ。お互いの信頼関係を十分に深めてから身元を明かし、僕の誠意を理解してもらおうと思っていた。なのに、身元を明かす前にこんな事件が起こってしまって……。でも、信じてほしいんだ。今回の呪符がたとえ左大臣派の仕業だとしても、僕は龍染司として陛下や花祝ちゃんを傷つけるようなことは決して許さない!」


 動揺する花祝に向かい、楓は必死に言い募る。

 牛車に添う松明の明かりが僅かに入るだけの車内だが、楓の表情や眼差しに一点の翳りもないことは夜目にも十分伝わってくる。


 遣わしとして、十二年に一度の同じ日に生を受けた楓。

 慣れない内裏での暮らしを気にかけ、いつも優しい言葉をかけてくれた楓。

 花祝のために立派な龍袿を染め上げてみせると、清らなる谷へと出かけていった楓。

 花祝が傷つくことがあってはならないと、龍袿を纏う自分以上に緊張した面持ちで “ためし着” に臨んだ楓。


 力を合わせて陛下をお守りしよう、と。

 手を取り誓い合った楓――――




 花祝は薬叉殿で互いの使命を果たそうと誓い合った時と同じように、楓の手をそっと握って彼を見つめた。


「わかったわ。私は楓くんを信じる。」


「花祝ちゃん…………ありがとう!」


 繋いだ手を楓がぐいと引き寄せる。


「きゃ……っ!?」


 ひし、と抱き締められ、驚いた花祝は思わず声を上げた。


「花祝っ、どーかしたか……って、あぁっ!? 楓っち、てめえ何しやがる!?」


 花祝の声に反応した凪人が、牛車の御簾をめくり上げて声を荒らげた。

 凪人が無理やり乗り込もうとして、牛車がぐらりと傾く。


「ちょ、ナギ兄、危ないってば!」

「危ねえのはこいつだろ!? 花祝が信じるっつったからって、調子こいて抱きつきやがって! おい楓、俺の大事な妹から離れろ!」

「凪人さんには悪いけど、花祝ちゃんに信じてもらえたこの喜びは言葉だけじゃとても表せないんです!」

「花祝っ、お前も男に隙ばっか見せてんじゃねえよ! こないだだってあいつに……」

「ぎゃあぁっ! ナギ兄、それ以上は言っちゃダメ!!」


 夜が更けて、しんと静まり返る内裏の中をぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて牛車が通る。

 襲芳殿しゅうほうでんの西の簀子縁すのこえんで出迎えた小雪も、一体何の騒ぎかと半ば呆れたような表情を浮かべていた。


 ❁.*・゚


「今宵の “ためし着”、お疲れ様でございました。凪人さんからちょっとした物の怪が現れたと聞いた時にはひやりとしましたけれど、あの気味の悪い薬叉殿で夜を明かすことにならずにすんだのはかえって良かったかもしれませんわね」


 心地よい眠りを誘えるようにと、牛の乳を温めて蜜を入れたものを小雪が差し出した。


 塗籠ぬりごめ(寝室)で脇息にもたれ掛かった花祝は、「ありがとう」とそれを受け取り、ゆっくりと口に含む。


 刀で斬らねば倒せぬほどの物の怪が出たと知れば、心配症の小雪は泡を吹いて倒れるに違いない。

 牛車を呼びに来た凪人が腕の怪我を隠して嘘をついたようだが、そのまま黙っておくのが得策であろう。


「あら、花祝さま、随分浮かない顔をなされてますわね。……はっ! もしや、龍染司様と夜を明かすまで二人きりで愛を育みたかったとか!?」


 いつもながらの小雪のトンデモ推察に、口の中で転がしていた牛乳がうっかり気管に入り込む。


「ゲホッ、ゲホゲホッ! ちょ、ゲホッ、ちがっ!」


「あらまあ、そんなにむせて大丈夫ですか? お背中さすりますわね。図星を指されたからって、何もそんなに動揺なさらなくても、小雪はちゃあんとわかっておりますわ。麗しきおのこ二人からの求愛を受けて、どちらにしようかと迷うのもこの時期ならではの恋の楽しさですからね!」


「ゲホゥッ……!! ゲホゲホ!!」


「いいですか、花祝さま。女は男から求愛されている時が最も幸せで輝かしき時期なのでございます。絵巻がお好きな花祝さまならば、恋愛に “じれじれ” の要素がいかに大切かお分かりでございましょう? ですから、今すぐどちらと決めることなく、殿方お二人のお心をもっと引き寄せなさるといいですわ!」


 咳込んで否定できないのをいいことに、小雪の妄想はますます勢いをつけていく。


 ようやく咳がおさまる頃には、小雪の暴走はもはや追いすがることのできぬ遥か彼方まで突き進んでおり、“ためし着” からの疲れが溜まりまくった花祝は今宵の弁明を諦めたのだった。

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