八の二
狙われたのは、楓と花祝。
つまり、帝の守護にあたる “遣わし” の二人かもしれない────
楓のこの推測を荒唐無稽と一笑に付すことなど、花祝にはできなかった。
今日の昼間、凪人から左大臣一派の今後の動きに注意するよう警告を受けたばかりなのだ。
“遣わし” の二人が人の目の届かぬ場所に揃って出向き、結界の弱まった薬叉殿で “ためし着” をするというのは、帝の守護を排せんとする輩にとっては絶好の機会。
とは言え、刺客を差し向けるとなると、近衛府の警護を掻い潜らねばならず、容易に足がつきかねない。
だが、呪符におびき寄せられた “禍もの” に襲わせれば、“ためし着” の最中の不幸な事故で片付けられる。
そこで “遣わし” のどちらか一方でも排除することができれば、帝は龍の守護を失うことになる。
それなのに、呪符の存在に気づかぬまま、さらに強大な “禍もの” が現れたかもしれないと思うと、花祝の背筋を冷や汗がつたう。
「今回ばかりはナギ兄の過保護に感謝しなくちゃ。呪符が貼られたままだったら、私も楓くんもどうなっていたことか……」
「とりま花祝が無事で俺も一安心だ。……楓っち、その引き裂いた呪符は俺に預からせてくんねえか?」
「もう効力は失われてますが、それでよければどうぞ。あと、怪我を負った凪人さんにお願いするのは心苦しいんですが、襲芳殿に戻った
楓の頼みをすぐ引き受けるかと思われた凪人であったが、何やら思案顔で楓の瞳をじっと見つめる。
「……え、僕の顔になんかついてます?」
凪人から思いも寄らぬ沈黙と視線を寄越され、戸惑う楓。
何か顔についているのかと、
「……まあ、今の今で、下手な真似はさすがにしねえよな」
楓に向けた言葉なのか、それとも独りごちただけなのか。
とにかく凪人はぼそりとそう呟くと、楓から手渡された呪符を懐に突っ込み、「すぐに戻るからな!」と念を押して飛び出して行った。
❁.*・゚
薬叉殿に残った楓と花祝。
「ナギ兄、怪我をしたのに全速力で行って大丈夫かしら……」
鳳凰狼に噛まれた腕の出血がひどくならないかと、凪人を案ずる花祝であったが、楓は何も答えない。
振り向いて花祝の横を通り過ぎ、床に広がり落ちたままの
「あ、ありがとう」
「せっかく花祝ちゃんのために染めた初めての龍袿だったけど……“ためし着” で使いものにならなくなっちゃったな」
「あっ」
残念そうに眉をひそめる楓の表情で、花祝は龍袿の袖を
慌てて袂を確認すると、若紫の美しい絹地がぱっくりと口を開けている。
「
自身の言葉に、花祝は改めて先程の戦いに思いを巡らす。
金色の虹彩を爛々と光らせ、邪気の涎を垂らして牙を剥く鳳凰狼と老獺。
その形相を思い出すだけでも恐ろしいというのに、それらの物の怪は、花祝達を狙う何者かによって差し向けられた可能性が高い。
物の怪よりも恐ろしいのは、げに人の悪意なり。
戦慄と衝撃を受け止めきれず、小刻みに震える花祝の肩に、楓がそっと手を掛ける。
「大丈夫。たとえ誰に狙われようと、何が起ころうと、僕が絶対に花祝ちゃんを守ってみせる。龍袿も、すぐに新しいのを染めるよ」
「ありがとう。楓くんが傍にいてくれると、すごく心強いわ」
楓のおかげで張り詰めていた心が少しほぐれ、花祝は楓を見上げて微笑んだ。
しかし、常ならば頬を薄紅に染めて甘い笑みを返してくれるはずの楓は、笑みとは取れぬ表情で曖昧に口を歪め、ふいと視線を逸らした。
「花祝ちゃん……君が僕を信頼してくれるのはとても嬉しいよ。でも、凪人さんはきっともう気づいてる。僕は君に無条件で信頼してもらえるような人間じゃないんだ…………」
「楓くん……?」
言い淀む楓に花祝が小首を傾げたとき、牛車の近づく音が聞こえてきた。
❁.*・゚
夜闇の中をゆっくりと進む牛車。
狭い車内には楓と花祝が身を寄せ合って座っている。
牛車が揺れるたびに花祝のことを気に掛ける優しさはいつも通りだが、楓の表情は “ためし着” に赴く往路よりも固く強張っている。
(楓くん、さっきは何を言いかけたんだろう……)
無言の車内。
きしきしと
凪人が牛車を連れて薬叉殿に戻ってきたことで、それきり楓は口を噤んでしまった。
もしかしたら、凪人や車夫には聞かれたくない話なのかもしれない。
(それならば、楓くんの言いかけた話には触れずに、呪符の犯人のことを話してみようかしら)
気まずい空気をなんとか整えようと、花祝は思いきって楓に声を掛けた。
「ねえ、楓くん。あの呪符を貼った犯人のことだけれど、実は心当たりがないわけではないの。……ね、ナギ兄?」
凪人から得た情報を楓にも共有しようと、花祝は牛車の
牛車の脇でざりざりと足音が響く。
何かを思案していたのか、しばらく経ってから常よりも低い凪人の声が聞こえてきた。
「犯人の心当たり、か……。犯人に関しては、俺らよりも楓っちの方がよく知ってるかもしれねえぜ」
「え……っ?」
凪人の想定外の返答に、花祝は素っ頓狂な声を上げて楓の方を振り返った。
簾や物見から差し込まれる松明の明かり。
頼りないその明かりの下でも、楓が動揺しているのが見て取れる。
「凪人さん……何が言いたいんですか?」
「俺は
「ちょっ……! ナギ兄、何を言ってるの!? さっきは楓くんだって物の怪に襲われたのよ? 何を根拠にそんなことを────」
「根拠ならあるぜ? 楓っちの太刀筋だよ」
「楓くんの太刀筋……?」
凪人の言葉の意味するところがわからず、花祝は顔を強ばらせたままの楓を見つめた。
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