七の四
母屋から出てきた小雪が迎えると、牛車から降りた楓が甘やかに顔を綻ばせる。
「
改まった口調で来訪の目的を告げた楓に、小雪は恭しく礼をする。
「
小雪の先導に続いた楓が明かりの灯された
常ならば同期の遣わし同士、気安い挨拶を交わすところであるが、今宵は二人の務めにあたって重要な “ためし着” を行うのだ。
龍侍司と龍染司が対面して最初に交わす挨拶は古来より口上が定められており、向かい合った二人は固い表情でそれぞれの挨拶を述べた。
「龍侍司どのにお知らせ申し上げます。清らなる谷にて集めし龍の
「龍染司どのにおかれましては、此度の龍袿染めのお務め、誠にお疲れ様でございました。今宵 “ためし着” をいたした後に、我が
お決まりの口上を滞りなく言い切ると、二人はどちらからともなくふうっと息を吐きながら微笑み合う。
「堅苦しい挨拶は済んだし、ここからはいつもどおり気安くいこうか。ただでさえ、今宵ひと晩は緊張しっぱなしになるだろうからね」
「気安くいくのはもちろん賛成! けど、楓くん、そんなに緊張しなくても、きっとうまくいくから大丈夫よ」
「花祝ちゃんに信頼してもらえるのは嬉しいけれど、そりゃあ緊張するよ。僕が初めて染めた龍袿を花祝ちゃんに着てもらうんだもの。万が一にも、“ためし着” で花祝ちゃんの身に何かあったらと思うと、気が気じゃなくて……」
「楓くんが心を込めて染めてくれたのだから、私には何の不安もないわ。早速染め上がった龍袿を見せてもらっても?」
「もちろん」
そう頷いた楓は、脇に置いていた絹布の包みを花祝の前に差し出した。
結び目をほどき、丁寧に布を開く。
すると、淡い光に包まれた一枚の龍袿が、きっちりと畳まれた状態で姿を現した。
「わあぁ……素敵な色!」
「今回集めてきた残零は紅龍と青龍のものだったから、紫系統の色にすることは決めていたんだ。花祝ちゃんに似合う色をと思って、紅を多めに調合して染めてみたんだけど、どうかな?」
「
「気に入ってくれたのなら良かった。それじゃ、僕は簀子縁で待っているので、着替えの方よろしくお願いします」
「はい。それでは今しばらくお待ち下さいね」
差し出された龍袿に花祝が触れると、淡い光の輝きが少し増した。
龍袿の染料となる残零とは、龍の鱗が剥がれ落ちたもの。
そのため、新しいものほど龍の気が多く残っており、花祝の通力に反応しやすい。
およそ十年は効力をもつとされる龍袿だが、染め上げたばかりの龍袿は触れるだけで花祝の体にも清浄な気が流れ込んでくるのがわかる。
大切な龍袿を胸に抱くと、花祝は几帳の後ろへと移動した。
楓の退出と同時に母屋の
「龍染司様は見目も甘やかで素敵ですけれど、感性も素晴らしいですわね。この若紫は瑞々しい花祝さまのお可愛いらしさを引き立てる絶妙の色味ですわ!」
白絹の
花祝のために心を込めて染め上げてみせる、と意気込んでいた楓の甘やかな笑顔が脳裏に浮かび、花祝の心臓がとくとくと鼓動を早める。
「あら、花祝さま、首元が少し熱いようですけれど、体調がお悪いのでは?」
「な、何でもないわ! 龍袿を羽織った途端に龍の気が流れ込んできたせいで、少し体が熱くなったみたい」
花祝が袖を通した若紫の龍袿を小雪が前で合わせる。
龍侍司の務めにあたるときは龍袿を
部屋付き女房が
紅縁の
「私としても付き添えぬだけに、花祝さまに何かあったらと気が気ではございませんから……」
「心配しないでも大丈夫よ。
小雪が心配する気持ちもわかるが、いざとなれば “破邪の刀” もあるし、龍染司として “ためし着” に立ち会う楓もいる。そうそう危険な目には遭わぬであろう。
手際よく着付ける小雪に余計な心配をかけまいと明るく声をかけた花祝だったが、小雪は眉をひそめて花祝に詰め寄った。
「何を仰います! 龍侍司様にお仕えして三年。この小雪、龍袿の祓いの力を今さら疑ったりはいたしませんわ。私が心配なのは、花祝さまの恋の行方ですっ!」
「…………は?」
「だって、今宵は密室で龍染司様と二人きりになるんですよ? お互い着任したばかりで心の余裕がないとは言っても、うら若き男女なんですから、良い感じの雰囲気にならぬとも限りませんもの。……まあ、お二人が早々にくっついてもいいんですけど、せっかく彗舜帝の線が浮上してきたことですし、物語的にはもうしばらくじれじれとしていただいた方が、読み手をのめり込ませることができるかと思いますし……」
「ちょ、ちょっと待って!? 小雪ったら何て突拍子もないことを言い出すの!? しかも、物語って何よ!?」
「あら、お知らせしておりませんでした? 私、先日から花祝さまを主人公の
得意げに胸を張る小雪の横で、その読み手の一人であろう部屋付き女房がうんうんと大きく頷いている。
「呆れた……あなた、自分の主人を噂のネタにするようなことはしないって前に言ってたじゃないの」
急な頭痛に見舞われた花祝が額を押さえながら
「もちろんでございますわ! 花祝さまはあくまでも主人公の雛形であって、花祝さまご本人を登場させているわけではございまん。『この物語は架空であり、実在する人物とは一切関係ありません』って但し書きを毎回つけておりますからご安心ください。何なら花祝さまにもお見せしましょうか?」
「……内容的にはすごーく気になるけれど、私はそれを読まない方がいい気がするわ。楓くんと一緒にお仕事できなくなっちゃいそうだもの」
(陛下の告白に気を取られている間に、小雪がそんな物語を書き始めていたなんて……)
ただでさえ今晩は楓と二人で過ごさねばならぬというのに、彼を変に意識するようになってしまっては心臓が持ちこたえられそうもない。
物語の連載を止めさせるべきかどうか。今はそんなことを考えるよりも、“ためし着” を無事終えることに集中せねば。
光沢のある
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