七の三
長身で引き締まった体躯の凪人が、
小雪は眉間に深いしわを刻んだ表情で花祝に詰め寄った。
「先ほどの凪人さんのお話では、左大臣寄りの女官たちを遠ざけたことで、陛下と左大臣の対立が深まるかもしれないということでしたが……。陛下の守護にあたる花祝さまが巻き込まれたらと思うと、小雪は心配でなりません! しかも、対立の遠因に花祝さまが絡んでいらして、それが陛下の寵を一身にお受けになっていたからだなんて……」
「ちょっと待って、小雪! 妄想が飛躍しすぎてるわよ。私は陛下に寵を賜ってなんかいないわ。その証拠に龍の通力は失っていないし、陛下の守護もきちんと務めているでしょう?」
「でも、先ほど “帝のお気に召されている” と、花祝さまご自身が仰っていたではありませんか」
「それは……っ」
“俺が、花祝に、恋をしているのだ”
数日前の凶日の守護で、彗舜帝は確かにそう仰った。
あまりに畏れ多いそのお言葉に、花祝はずっと陛下の真意を測りかねていた。
「小雪。陛下がどこまでの思いを込めて私をお守り下さっているのか、正直私にもわからないの。でもね────」
凪人の話を聞いて、花祝が思い至ったこと。
それは────
「どんなことがあっても、私は陛下のお傍にいたい。この先もずっと陛下をお守りしたい。この気持ちに嘘偽りはないわ」
「花祝さま……。それってつまり、花祝さまは陛下のことを────」
「あ、言っとくけど、そういうんじゃないからっ! あくまでも、龍侍司として帝をお守りしたいという、その一心よ」
これ以上小雪に気を揉ませぬよう、努めて軽く言い切った花祝であったが、心の内はいまだ帝の思い、そして自分の帝への思いに揺れている。
ただ――――
これだけは揺るがない。
この先も自分に授けられた遣わしの力をもってして、陛下をお守り申し上げたい。
この世に生を受けてすぐ欲望や嫉妬の渦中に放り込まれ、多くの者にかしずかれながらも孤独を拭えぬ日々。
それでも国を束ねるという自らの務めに、真剣に向き合って生きてこられた彗舜帝。
エロやセクハラで覆い隠されているが、陛下に侍る中で垣間見えたそのお人柄は、花祝が身を挺してお守り申し上げたいと心に決めるに十分なものであった。
そんな陛下だからこそ、
“花祝に決して辛い思いはさせない”
この誓いを陛下がお破りなることはないと、花祝は確信を持っている。
なればこそ、花祝のとるべき道はただ一つ。
花祝自身が、陛下を追い込む存在にならないことだ。
帝の外戚の立場を狙う左大臣は、その野望が断たれぬ限りは表面上だけでも陛下をお支えする姿勢を崩さぬであろう。
しかし、その可能性を失えば、強硬手段でさらなる権力を手に入れようとするのではないか。
例えば、そう――――先帝の第二皇子であり、自身の甥にあたる
だが、この国の決まりごととして、皇太子以外の皇族が即位できるのは、今上帝が崩御し、皇太子が立てられていない場合に限る。
つまり、外戚の立場を諦めざるをえなくなれば、左大臣が次に狙うものはおのずと見えてくる。
だから。
これ以上、陛下と自分の仲を疑われるようなことは避けるべきだ。
そのためには、あくまでも龍侍司として陛下に侍るという姿勢を崩さぬのが一番なのだ。
「花祝さま……。その決意、遣わし様として大変ご立派だと思います。ですが――――」
膝を進めてにじり寄った小雪が、膝の上で握りしめた花祝の拳を両手で包む。
「どんな事情があれ、花祝さまが争いごとに巻き込まれるのは、この小雪が耐えられませぬ。どうぞお務めを優先するあまり、危険に御身をさらしたり、辛い状況を耐え忍ぶことはなさらないでくださいましね」
「小雪……」
「私は花祝さまの故郷に赴いたことはございませんけれど、坂東の野山に咲く花々は、きっと花祝さまのように強く美しく伸びやかに咲き誇っているのでございましょう。ですから、花祝さまには故郷を遠く離れても、清らかな美しさのまま咲き続けていただきたいのです」
「ありがとう……。遣わしとしての本分を忘れなければ、私は大丈夫よ」
握りしめていた拳をほどいて小雪の手を握り返すと、花祝は引き締めていた口元を綻ばせた。
そんな主人の笑みを見て、小雪もほっとしたように居住まいを正した。
「花祝さまのお気持ちも安らいだようですし、そろそろ部屋付きの女房たちを呼び戻しましょうか。今宵の支度もそろそろ始めねばなりませんし」
「今宵の支度? ……って、何か用事でもあったかしら」
「まあっ、花祝さま! 一体どれだけ心ここにあらずだったんですか!? 今宵はいよいよ
「えっ! そうなの!? 確かに先日楓くんから “龍袿が染め上がったらよろしく” とは言われていたけれど、それが今晩になったなんて話は聞いていなかったような……」
「嫌ですわ! 昨晩
「う……す、すみません……」
「酉三つ(午後六時ごろ)には龍染司様がお迎えにいらっしゃるのですよ! それまでに夕餉をすませて髪もお化粧も整えねばなりませんから、花祝さまもそのおつもりで動いてくださいまし」
「はいっ、わかりましたっ」
ぴしりと叩かれたように花祝が背筋を伸ばすと、香を焚きしめるためにすぐに
揺れ動く
今宵花祝は、帝をお守りするための新しき龍袿の “ためし着” に臨むのであった。
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