七、龍侍司、龍染司とともに薬叉殿のためし着に赴きけること

七の一

 龍侍司りゅうじのつかさ付きの女房である小雪は、ここ数日の主人の様子にたいそう心を痛めていた。


「国の凶日の守護は形ばかりのものだとお聞きしておりましたのに……花祝さまの御身に一体何があったのか……」


 ぼうっと庭を眺めていたかと思うと、何かを思い出したように顔を上げ、 みるみる頬を染めたかと思うと髪を振り乱さんばかりに首を振る。

 時折、「やっぱり有り得ないわ。何かの間違いよ……」と独りごち、ため息をついてまた庭に目をやる。


 そんなことを一日に何度も繰り返す花祝に声をかけるのもはばかられ、小雪は几帳の影からそっと主人の様子を見守っていた。


 と、そこに襲芳殿の部屋付き女房がすす、と膝を進めてにじり寄ってきた。


 龍侍司付きという、花祝の側近と言える立場にあるのは小雪一人。あとの女房は部屋付きと呼ばれる者たちで、取次や給仕など身の回りの雑用をするのが役目だ。


 さきの龍侍司りゅうじのつかさである菖蒲がこの襲芳殿の主であった頃は小雪も部屋付きの一人であったが、その気遣いの細やかさと主人への忠義心、そして花祝と同い年で良き相談相手になれるだろうということで、代替わりの節目に大抜擢されたのだ。


 襲芳殿の女房を束ねる立場として、小雪は背筋をしゃんと伸ばし、毅然とした態度で応対する。


「どうされました?」


「龍侍司様の乳兄弟、相葉あいば凪人なぎと様が、龍侍司様にお取次願いたいと渡殿わたどのの下にいらしておるのですが……」


「凪人さんが?」


 近衛舎人このえのとねりとして内裏の巡回がてら庭先に忍び込んできては、花祝の様子をこっそりと覗いて帰るのが常の凪人。

 そんな彼が、取次というまともな手順を踏んで訪れるとは珍しい。


「わかりました。花祝さまにお取次ぎいたしますので、相葉様にはしばしお待ちいただけるよう伝えてください」


「承知いたしました」


 部屋付き女房が下がるのを見送り、小雪は几帳の向こうで脇息にもたれかかる花祝に声をかけたのだった。


 ❁.*・゚


「つーか花祝、お前大丈夫かよ!?」


 襲芳殿の母屋もやに案内された凪人は、部屋に入るなり花祝にそう声を掛けた。


「ナギ兄こそどうしたの。毎朝のように覗きに来ていたのがここのところ三日に一度になったし、今日はきちんと訪問の形を取ったりして……」


 供された麦湯をぐいっと飲みながら、凪人はどことなく心ここに在らずな様子の花祝をじっと見つめる。


「ちっとばかし大事な仕事が入ってよ。忙しく動き回ってはいるんだが、こないだからお前の様子がおかしくなったのが気がかりでさ。俺なりに色々と調べてきたんだ」


「色々と調べたって、何を?」


「帝っちのことだよ。俺が清龍殿に忍び込んだあの後から、急にお前の様子がおかしくなったじゃねーか。どう考えても怪しいのはあいつじゃね?」


「は……!? し、忍び込んだ!? 清龍殿に!? しかも、へへへ陛下に何て呼ばわり方を……っ」


 凪人の衝撃的な一言に、小雪が目を白黒させる。

 花祝はと言うと、“帝” という言葉に心臓が過剰反応を示し、動悸息切れめまいを覚え始めた。


「へ、陛下が怪しいって……どういうことよ」


「お前、毎朝きっちり完食してた朝メシをあの翌日から急に残すようになったじゃねえか。それ見てたら、やっぱ花祝はあいつに嫌なことされてんじゃねーかって心配で心配で心配で心配で心配で……。居ても立ってもいられなくて、あいつの身辺を色々と調べたんだよ」


 花祝の故郷坂東と接する日高見国ひたかみのくにには、中央政権に反発する恵海えみ氏という武装勢力がのさばっている。

 恵海氏への偵察や隠密工作などの任を負う坂東藤原家の精鋭部隊、“木隠こがくれ” 。

 その一員である凪人からすれば、帝の身辺を調べるのは造作もないことであろう。

 しかし、下手なことをしては凪人の身が危うくなる。

 妹同然の自分を心配するあまりに無茶をしているのではないかと、花祝はにわかにこの過保護な乳兄弟のことが心配になった。


「ナギ兄、危なっかしいことはしてないでしょうね!? 私の方は心配しなくても何もないんだから」


「とりま俺の心配を花祝がする必要はねえよ。っつーか、色々と調べたら、あいつ今ちょっとやべーことになってるみたいじゃん。花祝の様子がおかしいのも、もしかしてそれ絡みなんじゃねえのかなって思って、忠告がてら来たっつーわけよ」


 へらりと緩ませていた口元を引き締め、凪人が木隠れ特有の鋭い眼差しで周囲を見回した。

 ちょっとした話ならばいつものように庭からふらりと現れれば済むであろうに、今日わざわざ訪問の形をとったのは、帝に関して何か大切な情報をつかんだに違いない。


「ナギ兄……、大事な話ならば人払いをするからちょっと待って」


 そう言った花祝が真っ先に小雪に視線を送るので、彼女はまたしても「えー……」というしかめっ面をした。

 噂好きの小雪としては、帝にまつわる凪人の話を耳に入れておきたいところだが、主人に席を外すよう指示されては従わぬわけにはいかない。

 渋々腰を浮かしたところを、凪人が「ちょい待ち!」と制止した。


「花祝付きの女房さん……小雪さんって言ったか? あんたは内裏での交友関係が広い上に人柄が良くて信頼できるらしいじゃん。小雪さんにはむしろ今から俺がする話を聞いてもらった方がいいと思うんだよね」


「そ、そうですか? もちろん私は花祝さまに誠心誠意お仕えいたす身。“きゃら“ というのが何かはわかりませんけれど、凪人さんの信頼にあたいする者であると自負しております! ぜひ私にもお話をお聞かせいただきたいですわ」


 凪人の言葉に喜色をあらわにした小雪は、きびきびとした物言いで部屋付きの女房達を下がらせる。

 母屋もや(屋敷の中心となる空間)に三人きりになると、凪人と小雪は敷いていた畳を花祝の傍に寄せ、なるべく声が漏れ聞こえることのないように膝を寄せあった。




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