六の七

「そなたらの絆の深さに免じて、今日の無礼を咎めはすまい。しかし、木隠こがくれよ、もう二度と清龍殿ここへ忍び込むような真似はするなよ? その代わり、そなたや故郷の者が心配せぬよう、花祝に辛い思いは決してさせぬと、国の長たるこの俺が誓おう」


 あの “代わりの儀” で拝聴したような、凛とした涼やかなお声で帝がのたまう。


 陛下の御身をお守りするのが花祝の務め。

 なのに今のお言葉は、陛下が花祝をお守りくださると宣言されているかのようだ。

 力強きその声音に、花祝の胸が小さく打ち震える。


 陛下のその凛然として寛雅な御気色みけしきには、さすがの凪人もいくらか恐縮したようだった。


「……そっちこそ、いくら帝でも花祝の嫌がることをしたらタダじゃすまさねーかんな!」


 先ほどよりも語気が弱まったものの、相変わらず言葉遣いは不遜極まりない。

 けれども、陛下は凪人のそんな態度にお気を悪くされるどころか、むしろ楽し気にくつくつと笑い声を漏らされる。

 そして、胸元に縋りついたままの花祝に視線を移されて――――


「当たり前だ。ほれ、花祝を見てみろ。口づけは嫌だと言いながらも、俺に抱きついたまま離れようとせぬではないか」


 嬉しそうにそう仰ったのだ。


 それを聞いた瞬間、花祝の顔に一気に熱が集中した。

 どんっ! と突き飛ばすほどの勢いで帝の胸を押しやり、陛下の御前にもかかわらず声を荒らげて否定する。


「こ、これは誤解ですっっ!! 私はただ、ナギ兄の無礼をお許しいただきたい一心で……」


「言い訳など要らぬ。花祝は俺に触れられるのが嫌かどうか、その答えだけが必要なのだ」


 花祝を囲っていた大袿おおうちきを肩に掛け直し、脇息で頬杖をつかれた陛下がゆったり微笑まれる。


「そっ、それは当然龍侍司りゅうじのつかさとして────」


「もちろん、おのが務めのためであるという建前も許さぬぞ」


「うぐっ……」


 建前で乗り切ろうとしたことも陛下にしっかりと見切られて、花祝は言葉を詰まらせた。


 陛下に触れられることが、

 嫌か、嫌ではないか。




 嫌ではない────


 と言ったら、このエロ陛下は言質げんちを取ったとばかりに、これからも遠慮なくこの身に触れてくることだろう。


 嫌だ────


 と言ったら、過保護な凪人の心配の種を増やすことになり、守護の務めのたびに清龍殿に忍び込もうとするだろう。

 優秀な木隠れとは言え、精鋭部隊である滝口の目をそう何度も欺けるとは限らないし、陛下にも二度とするなと釘を刺されたばかりだ。


 花祝は小さくため息を吐く。


(ああ、もう、どうお答えしても正解になんてならないのよね、きっと)




 ならば────




「嫌…………ではないです」




 答えた途端、顔から火が出たように熱くなる。


 どう答えても正解にならないのであれば、初めに心に浮かび上がってきた答えをそのまま告げるしかないと思ったのだ。


 どうせこの御方には、きっと初めから見透かされているのだから────




「木隠れよ、これで安心したか。そなたの大切な妹は、はなから嫌な思いなどしておらぬ。わかったら務めに戻るがいい」


 簀子縁すのこえんに座す陛下が前庭に立ったままの凪人にそう言い渡すと、凪人は罰が悪そうに扇の当たった眉間をさすり、それから足元に落ちた彗舜帝の扇を拾った。


 陛下の代わりにきざはしを下りた花祝にそれを手渡し、「騒ぎを起こしてすまなかった」と言い残すとくるりと背を向けた。


 白砂利の敷き詰められた庭を音も立てずに歩き去る凪人を見送ると、花祝は帝へ向き直り、階の下で平伏して改めて乳兄弟の非礼を詫びた。


「死罪に値するほどの乳兄弟の非礼に寛大な御心をもってお許しを賜りましたこと、心より感謝いたします。合わせまして、義兄とも言えるの者に代わり、改めて陛下にお詫び申し上げます」


「許すと言ったのだから、そうかしこまらずともよい。早くこちらへ上がってこい。大切な龍袿が汚れてしまうぞ」


「は、はい」


 十二単を引きずる花祝の手を取り、膝をおつきになった陛下が階を上るのをお手伝いなさる。


 するとそのまま隣に座ることはお許しにならず、いつものようにご自身の膝の内に花祝を囲われてしまわれた。


 触れられるのは嫌ではないとつい先程言ってしまった手前、そこから逃れる上手い言い訳が見つからず、花祝は黙ってそこに収まった。

 花祝の体のこわばりに気づいた陛下が忍び笑いを漏らされる。


「そう罰が悪そうにするな。そなたの口から嫌ではないと聞くことができて、俺はたいそう安堵しておるのだ」


「え、それはどういうことですか? 陛下の御心に不安があったとでも?」


「薔薇の宴の夜、俺は嫉妬に駆られてついそなたに無体なことをしてしまった。あの時ばかりは花祝に嫌われても仕方がないと思った」


 陛下のお言葉に、花祝はその夜の出来事を思い出した。

 菖蒲の助言に従い、心に決めた人がいると偽って陛下のお戯れを避けようとして────

 楓の名を出されて動揺し、陛下の御心を逆撫でしてしまったのだ。


 強引に唇を奪われ、貞操の危機を本気で感じたのは事実だ。

 けれどもあの時ですら、花祝は陛下のことを嫌だとは思わなかった。


女子おなごの反応の一つひとつに己が振り回されるなど、これまで想像だにしなかったこと。何とも情けないようでいて、何ともこそばゆいような、妙な気分だ」


「妙なご気分、なのですか?」


 陛下のお言葉の意図がわからずに花祝が首を傾げると、陛下の腕が花祝にふわりと回された。


「妙ではあるが、決して不快ではない。この言葉では言い表せぬ情趣こそ、恋なのかもしれぬな」


「こここここ、恋ィっっ!?」


 あまりに突拍子もないお言葉に、花祝は飛び上がらんばかりに驚いた。


「あああの、誰が、誰に、恋していると……」


 がたがたと体が震え出すが抑えがきかない。

 声まで震える花祝を抱き留めたまま、陛下はあからさまに呆れた声を出された。


「そのようなこと、今さら聞くまでもなかろう。俺が、花祝に、恋をしているのだ」


 はっきり、くっきり、一語一語を区切り、諭すようにのたまう陛下。


 想定の範囲を思い切り突き抜けたその告白を受け止めきれず、花祝は白目をむいて気を失ってしまった。




(六、はからざるとぶらひ人、襲芳殿にしのび来て立ち騒ぎけること おわり)







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