七の二

「ナギ兄。彗舜帝がヤバいことになっているって、どういうこと?」


 花祝が尋ねると、凪人は用心深く周囲に視線を走らせつつ、前のめりで話を聞く気満々の小雪に問いかけた。


「なあ、小雪っち。あんた、帝の側仕えの部署である内侍司ないしのつかさで、先日大掛かりな配置替えがあったのは知ってるか?」


 いきなり “小雪っち” 呼ばわりで話を振られて目を丸くした小雪だが、すぐさまそれに答える。


「ええ、内侍司にいる同僚から話は聞いております。なんでも陛下は “棘を抜かねばここはまた茨の宮となる” とのたまって、随分と大胆に人を動かしたようでございますわね」


「そのとおり。これまで帝の傍で直接世話をしていた掌侍ないしのじょうの半分くらいが、あいつとは直接関わることのない裏方に回されたって話だ。そんで、そいつらが側仕えを外された原因は、どうやら花祝に嫌がらせをしたからだってことらしい。どうだ花祝、何か心当たりはあるか?」


「えっ、心当たり……?」


 内侍司の配置替えの話は初耳であったが、そう言えば……と思い当たることはある。


 花祝に御物忌おんものいみの日にちを伝えなかった先導の女官も。

 蜘蛛の入った粥を膳ごと下げた女官も。

 御簾越しに花祝の田舎育ちを嘲笑った女官達も。

 薔薇の宴に呼ばれた折には、姿を見ることがなかった。


“ 花祝を傷つけぬよう、内裏の薔薇の棘は全て除いた”


 薔薇の宴の折、陛下が含みのある笑みを浮かべて仰っていたのは、花祝に嫌がらせをした女官達を遠ざけたことを指していらしたのだ。


 そのことにようやく思い至った花祝の横で、小雪がぽん、と手にした扇で膝を叩いた。


「ははぁ、今の凪人さんのお話で合点がいきましたわ! 同僚の話では、掌侍を務められていた中納言家の姫君が、突然陛下のお側仕えから外されたそうなのです。有力貴族の姫まで配置替えの対象となるのは何か大きな問題があったに違いないという噂でしたけれど、よもやそれが花祝さまをお守りなさるためでしたとは……」


 己に非のないこととは言え、自分に関わることで内侍司の内部がごたごたしたのならば、何とも複雑な心境だ。

 他人が不幸になることを望まぬ花祝は、側仕えから外された女官たちの今後が気になってしまう。


「私は内裏のことはよくわからないけれど……。陛下のお傍から離されるというのは、内侍司の女官にとって都合が悪いことなのかしら」


「内侍司は陛下の日常生活や後宮の諸々を取り仕切る部署ですから、直接陛下の身の回りのお世話をする以外にも仕事は色々とございます。仕事内容が変わっても待遇にはほとんど影響がないはずなのですが、出仕の目的によっては由々しき事態となりますわね」


「出仕の目的って?」


「たとえば、中納言家の姫君ですけれど……。彼女は帝のお傍仕えをして陛下の御目にとまることで入内を狙っていた御方の一人なのです。お父上である中納言様も、娘が妃となり皇子を産めば将来的に絶大な権力を手に入れることができるわけですから、当然実家の期待も背負っておられたはず。そのようなお方からすれば、陛下から遠ざけられれば目的を果たせないことになりますわね。ま、嫌がらせなど低俗なことをされた時点で、お妃となる資質などないのですけれど」


「でも、そのような目的があった方ならば、確かに私が陛下のお気に召されたのは面白くなかったでしょうね……」


「え? 花祝さまが嫌がらせを受けたのは、坂東の田舎貴族の娘が突然御殿暮らしの高貴な身分になったから妬まれた、というだけではございませんの? 陛下のお気に召されたとはどういうことです!?」


 何気なく口に出した言葉を小雪に拾い上げられて、花祝は「しまった」とばかりに口をつぐんだ。


「ちょっと花祝さま!? 前々から怪しいとは思っておりましたが、やはり花祝さまは帝と禁断の恋を────」


「ちがっ! 誤解よ! だって私、まだ陛下の “あのお言葉” が真意だなんて思えないし……」


「“あのお言葉” って何のことです? この小雪に隠しごとをされてるなんて水くさいではありませんか! 恋のご相談も包み隠さずにしてくださるお約束だというのに────」


「ちょ! お前ら、そういう女子トークは後にしろって! こっからが大事な話なんだからよ」


 人払いも無意味なほどにぎゃあぎゃあと騒ぎ出した二人に、凪人が呆れたように横槍を入れた。


 はっと我に返った花祝と小雪は、罰が悪いとばかりに扇で口元を隠して俯く。

 そんな二人を見てやれやれと首をすくめた凪人が、先ほどよりもさらに声を潜めた。


「入内狙いの中納言家の姫が干されれば、多かれ少なかれ中納言家の帝への反発は必至だろう。だが、それよりも事を重大にしそうなのが、左大臣家との関係なんだよ」


「左大臣家────!?」


 先代から二代に渡り左大臣を務め、娘を中宮ちゅうぐう(妃)に据えることで絶大な権力を保持してきた豊原氏。

 その豊原氏に追い落とされた三条氏の血筋を母にもつ彗舜帝は、左大臣家豊原氏の姫の入内じゅだいを拒み続けている。

 陛下から豊原氏が因縁浅からぬ相手であると聞かされていた花祝は、位人身を極めたその名家が話題に上ったことに、言いようのない不安を覚えた。


「左大臣家の姫は内裏に出仕なされてないんでしょう? それがどうして内侍司の配置替えと関係するの?」


「今まで帝の側仕えをしていた掌侍ないしのじょう達は、先帝の代に後宮を牛耳っていた大后おおきさき、つまり左大臣の妹の口利きで出仕している奴も多い。これまではそいつらが帝っちの私生活を監視していたわけだが、花祝が帝っちに気に入られたことで、左大臣家の姫の入内がさらに遠のいたと焦ったんだろうな。中納言家の姫と一緒になって花祝に嫌がらせして、今回まとめて遠ざけられた。帝っちが大后派の女官達を一掃して己の干渉を拒んだと受け取った左大臣は、心中穏やかではないだろうな」


 いつになく硬い口調の凪人の言葉に、花祝の顔からさあっと血の気が引いた。


「そんな……。私の存在が、陛下の政治的なお立場を危うくしたかもしれないなんて────」


「花祝さまっ! 畏れながらそれは違いますわ! 花祝さまは何も悪くない、悪いのは嫌がらせをした大后派の女官たちですもの!」


「でも、陛下が私をお守りくださったために、お立場を悪くされたのは事実よ」


“そなたや故郷の者が心配せぬよう、花祝に辛い思いは決してさせぬと誓おう”


 花祝を腕に囲いながら、凪人にそう宣った陛下の凛然としたお顔を思い出す。


(いとも容易いことのように仰っていたけれど、あれは御身のお立場を犠牲にした上でのお言葉だったなんて────)


「とにかく、外戚の立場を得ようと画策していた左大臣が、今回の件で別の手段で権力の保持を図ろうとする可能性が出てきたっつーわけだ。花祝の色恋沙汰も兄貴としてはもちろん見過ごせねえ。だが、目下レベルMAXの心配事は、花祝が左大臣家の謀略に巻き込まれる可能性があるっつーことよ。何かちょっとでも気になることがあったら、すぐに俺に相談しろよな!」


 凪人は最後にそう言うと、「長居をすると誰に怪しまれるかわからないから」ということで早々に席を立ち、襲芳殿を辞去していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る