六の三

 楓が大事そうに懐から出した巾着から、さらさらと光の粒子のようなものが零れ出てくる。

 懐紙の上にこんもりと積もったそれは、宵の口に広がる瑠璃の空と天の川を混ぜ合わせて漉したがごとく、きらきらと輝いてた。


「これが龍の残零ざんれい……。なんて綺麗なのかしら」


「これは青龍の残零だよ。これだけ集めるのに四日かかった。後の三日は、紅龍の残零を集めるのに費やしたんだ」


「一日で集められるのは、本当に僅かな量なのね」


「そうなんだ。しかも、空から降り注ぐ残零を網で掬って集められるのは、朝一番の陽を浴びて龍が飛び立つ時だけだからね。早朝に残零を集めたら、日が暮れるまでの間に残零と塵を選り分けたり、別の龍の寝床を探して広い谷を探索したりして過ごすんだ」


「私が纏う龍袿が、楓くんや冨樫様の苦労を重ねた末に染められたものだと思うと、本当に尊くて大切にしなくちゃって思うわ」


「今回集めた残零で染める龍袿は、僕が龍染司として初めて手がける一枚になる。自分が染め上げた龍袿を他でもない花祝ちゃんに纏ってもらえるなんて、すごく幸せな仕事だなって思えるんだ。心を込めて染め上げてみせるから、楽しみに待っていてね」


 深みのある璃寛茶りかんちゃの瞳をまっすぐに花祝に向けて、低く温かな声を弾ませる楓。

 瑞々しく香り立つ甘やかな笑みに、花祝の心はきゅうんと変な音を立てそうなほど締め上げられる。

「何かお返事を!」と無言の圧をかけてくる小雪の眼差しが痛いけれど、熱に浮かされそうな意識から掬い上げられる言葉はほんの僅かだ。


「う、うん……楽しみにしてる」


 顔面に集中した熱をとにかく下げようと、広げた扇でぱたぱたと仰ぎ出した花祝に、甘い笑みの余韻を残した楓が頭を下げる。


「天気にもよるけれど、龍袿が染め上がるのにはおよそ五日ほどかかるんだ。花祝ちゃんには、その後の “ためし着” をよろしくお願いします」


“ためし着” ────


 その言葉を聞いて、舞い上がっていた花祝の心がようやく引き締まる。


「そうだよね、“ためし着” を経て、初めて龍袿は守護の衣と認められるんだものね。でも大丈夫、楓くんならきっとうまくいくよ!」


「僕が染める初めての一枚ってことで花祝ちゃんも不安だろうけれど、“ためし着” の時は僕もついてるから心配しないで。いざと言う時には、命がけで花祝ちゃんを守るから」


 楓がきっぱりと宣言した時だった。


 御簾みすを巻き上げて朝日を取り込んでいた南庇みなみびさしの先の庭から、がさがさと何かが動く音がした。


「何奴っ!?」

 声と眼光を鋭くし、片膝を立てて開谷かいこくの刀に手を掛ける楓。


「花祝さまっ!」

 咄嗟に几帳きちょうの影に主人を押し込め、息を潜めて身を隠す小雪。


「あら、狸かしら?」

 押し込められた几帳からひょいと顔を出し、庭の様子を窺う花祝。


 三人の視線が捉えたその先に現れたのは────


 身の丈六尺をゆうに越える、引き締まった筋肉質の男だった。


「刺客かっ!」

「ひぃぃっ!」

「ナギにいっ!?」


 三人同時に上げた声であったが、松の木陰から現れたその男は、日に焼けた精悍な顔を綻ばせ、真っ白な歯がこぼれんばかりに破顔した。


「よぅ、花祝! おひさ!」


「どうして内裏にナギ兄が!?」


「っつーか、溺愛してる妹分が一人で都会で暮らすっつったらマジ心配するべ? 旦那様に頼んで、オレも内裏でバイトすることにしたんだわ」


 不審な男と花祝の間で交わされる親しげな言葉に、楓と小雪は目を白黒させた。


「花祝さま、このおのこは一体……」

「花祝ちゃんの知り合いなの?」


「あっ、うん、この人はね……」


 花祝が楓に向かって男を紹介しようとした時だった。

 花祝しか目に入っていなかった男が、刀の柄に手をかけたまま射るような視線を送る楓の存在に気づいた。


「花祝、こいつ誰よ? 花祝と御簾も隔てねえで、かなり親しげじゃね?」


「貴様こそ、龍侍司殿の御殿に取次もなく庭から侵入するとは不届千万! 内裏はかしこき帝のおわす所ぞ。許可なく立ち入ったのならば、近衛府このえふに突き出してやる!」


「あ? てめえみてーな優男やさおとこにオレが捕まえられるとかマジで思ってんの? 超ウケんだけど」


「何ぃっ!?」


 男を見据えて今にも抜刀しそうな楓と、そんな楓を頭から足の先まで睨めつける男。


 一触即発の空気に、花祝は几帳の後ろから飛び出して、慌てて二人に割って入った。


「ナギ兄、ちょっとイキりすぎだよ! 落ち着いて! 楓くん、ごめんね、彼は私の乳兄弟なの。二人ともちゃんと紹介するから、とりあえずナギ兄は御殿に上がって」


 花祝の必死の取り成しに、楓は刀に掛けた手を渋々と緩めて畳の上に戻る。

 一方、ナギ兄と呼ばれた男は草履を脱いで庇に上がり、楓を睨みつけながらどっかりと胡座をかいた。


 その状況を几帳の影からはらはらと見守っていた小雪は、「これは恋物語の定番、三角関係に発展するのかしら……っ」と独りごちたのだった。

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