六の四

 母屋もやの板の間に敷かれた高麗縁こうらいべりの畳に座る花祝。

 その向かいで、同じく高麗縁の畳に座る楓。

 花祝付き女房である小雪は縁のない畳を几帳の陰に置き、そこからわくわくと様子をうかがっている。


 そして、母屋もやの外、庭に面した南庇みなみびさしの板の間に、畳もないまま胡座をかく若い男。


 四者四様の妙な緊張感が襲芳殿の空気を支配する。


「えーと……。まずは楓くんと小雪にこの人を紹介します。彼は相葉あいば凪人なぎと。私の乳兄弟なの。坂東にいるとばかり思ってたから、いきなり庭から出てきてびっくりしたわ」


「だからさっき言ったべ? 花祝のことが心配で、いても立ってもいられなくなってんだって。んで旦那様の伝手で内裏にバイトに来たっつーわけよ」


 枇杷茶びわちゃ直垂ひたたれ姿に烏帽子を被った、庶民よりは少しばかり小綺麗な格好をした凪人。

 浅葱色あさぎいろ直衣のうしに冠をつけ、高麗縁の畳に座る楓の方が位が高いのは一目瞭然なのだが、主家の姫君に紹介してもらったというのに挨拶もせず、腕組みをしたまま楓を睨む。


「にしても、ひと月も経たねーうちに花祝にこんな虫がついてるなんて想定外だったぜ」


 挑発的な言葉に思わず腰を浮かしかけた楓だったが、ぐっと唇を引き結んで座り直す。

 楓が自分の顔を立てて我慢してくれているのだと悟った花祝は、彼の代わりに慌てて凪人をたしなめた。


「お仕事の打ち合わせにいらした龍染司様に向かってなんって失礼なこと言うの! ナギ兄の無礼が過ぎるようなら、父さまに言って国に戻してもらうからね!」


「げっ、それは勘弁! ってか、この人もつかわしだったのか。それを早く言えよっ!」


「言わせる暇もなくケンカ売ったのはナギ兄の方でしょ!」


「花祝が世話んなってるとはつゆ知らず、マジサーセンしたっ!!」


 青ざめた凪人が上座の楓に向かって烏帽子が床につくほどに頭を垂れて謝罪する。


「楓くん、私の乳兄弟が本当に失礼しました。ナギ兄は国の訛りもきついし、血気盛んで粗野だけど、本当はすごく優しくて面倒見がいい人なの。私に免じてどうか無礼を許してください」


 目の前に座る花祝にまで頭を下げられ、顔をこわばらせていた楓は慌てて笑みを繕った。


「花祝ちゃんも凪人さんも頭を上げてよ。妹みたいに大切な姫君が御簾も隔てずに男と会っていたら、凪人さんが心配する気持ちもわかるよ。それに、花祝ちゃんの乳兄弟を近衛府に突き出すだなんて脅した僕も失礼だったし……」


「龍染司さん、あんた話のわかるナイスガイだな! つーか十二年も花祝とコンビ組むのがどんなヤローかってのは、旦那様に代わってオレがきちんと見定めなきゃいけねえとは思ってたんだけどさ。あんたなら安心して花祝を任せられるぜ!」


 先程までの敵対心はどこへやら、単純な性格の凪人は日焼けした顔に白い前歯を見せて頭を上げた。

 その様子にほっと心を撫で下ろす花祝であったが、凪人には色々と聞きたいことがある。


「ねえ、ナギ兄。故郷の様子はまた改めてゆっくり話を聞くとして、内裏でバイトするってどういうこと?」


「ばいと?」


 花祝の言葉を聞いていた楓が、耳慣れない言葉に首を傾げる。


「あ、これも坂東の方言ね! バイトっていうのは、期間を限定して奉公に出ることなの。 ナギ兄は坂東藤原家うちの人間だけど、一時的に内裏で働くことになったということね」


「本当は花祝が内裏にいる間はずっと傍にいてやりたいとこなんだけどよ。さすがに俺もあっちでの仕事があるし、十二年も坂東を離れるわけにもいかねえ。っつーことで、一年の期間限定で、近衛舎人このえのとねり として内裏の警護にあたる仕事を口利きしてもらったんだわ」


「ってことは、ナギ兄は警護の途中でここに忍び込んできたってこと?」


「まーな! やっぱ内裏に来たからには、一刻も早く花祝の顔が見たいじゃん? とりま見廻りの途中に迷い込んじまったってていを装ってここに来たっつーわけ」


「近衛府の所属なら、突き出したところでいくらでも言い訳が立つってことか……」


 眼光鋭い精悍な顔立ちを崩し、にししと白い歯を見せて笑う凪人を前に、楓は呆れたように苦笑いする。


「っつーことで、花祝の元気そうな姿も見れたことだし、今日のところは仕事に戻るとすっかな。あ、そうだ、花祝に渡してくれって、奥方様とうちの母ちゃんから預かった手紙があるんだった」


「えっ!? 母さまと琴から!?」


 南庇の板の間で立ち上がった凪人は、懐をごそごそと探りながら母家の中の花祝に近づく。


 ぱっと顔を輝かせた花祝が膝を進めてその手紙を受け取った。


空良そら烏帽子着えぼしぎも滞りなくすんだし、旦那様も奥方様もうちの母ちゃんも、みんな超絶バリクソ元気だから安心しろよな!」


「そう、甘えん坊の空良がとうとう成人したのね。可愛い弟の晴れ姿、私も見たかったなあ」


 遠く離れた家族を思い、花祝の瞳が涙で潤む。


「坂東の話は非番の時にでもまたゆっくり話に来るわ。んじゃ、龍染司さんも、女房さんも、大切な花祝のこと、くれぐれもおなしゃす!」


 ぺこりと頭を下げる凪人につられて、楓と小雪も頭を下げた。

 それを見届けてから腰を浮かした凪人が、「あ」と声を上げる。


「龍袿司さん。あんた超イケメンで良い奴っぽいけど、仕事それ恋愛これとは別問題だかんな。花祝に手ぇ出したらマジで締めっから、あんま調子こくんじゃねーぞ!」


 口元に笑みを浮かべつつも殺気を隠さない凪人の眼差しが楓に向けられ、花祝が慌てて割って入る。


「ちょっ! ナギ兄、もういい加減にしてってば!」


 いくら温厚な楓でも、舎人風情にここまで挑発されたら怒り出すんじゃなかろうか。

 おさまりかけた冷や汗が吹き出しそうになった花祝の耳に、楓の低く穏やかな声が届く。


「凪人さん、安心してください。僕とて花祝ちゃんと同じ遣わしの身。授かった通力に障りが出るようなことは決してしません。……少なくとも、務めを無事に果たすまでは」


(えっ? “少なくとも” ってどういう意味?)


 驚いた花祝が振り返ったが、楓はいつも通りの甘やかな笑みを崩すことなく、ゆったりと凪人を見つめている。


「へぇ……。そういう心づもりかよ。なら、こっちもそのつもりでガチでいかせてもらうかんな!」


 凪人はニヤリと白い歯を見せると、南庇のきばはしを軽やかに下り、庭の向こうへと消えていった。




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