六の二

「ど、どうしたの? そんなにニヤニヤして」


 扇で口元を隠してはいるが、くっきり二重の小雪の目がにんまりと半月に細められている。

 背筋に汗がつたうような感覚を覚えつつ、花祝はあえてすっとぼけるという無駄な抵抗を試みた。


「んもう、花祝さまったら! しらばっくれても小雪の目はごまかせませんわよ? 龍染司様のお帰りをそんなに心待ちにしてらしたなんて♪」


「そ、それは誤解よ! 確かに、楓くんが無事に帰ってきたことを喜ばしいとは思ったけれど……」


「ああ、そうでした。日増しに膨らむ想いをお認めになってしまったら、龍侍司としてのお務めに障りが出てしまうのでしたわね。では、先ほどの花祝さまの満面の笑みを小雪は見なかったことにいたしましょう」


 なんだか明後日の方向で得心してしまった小雪だが、これ以上弁明を重ねると余計にややこしくなりそうだ。

 何にせよ、追及は免れそうだと花祝がほっとしたところで、「でも」と小雪がにじり寄ってきた。


「あまりに素っ気ない態度を出し続けていては、龍染司様に “脈ナシ” と取られかねませんわ! 時には頬を染めて恥じらったり、“お会いできて嬉しい” と言葉にして、あちらのお心を掴み続けていきませんと」


「そんな助言いらないってば!」


 大真面目な顔で進言する小雪に呆れ、花祝は熱くなる頬を隠すように扇を広げた。


 龍侍司たるもの、純潔を守り十二年の務めを果たすために、色恋は遠ざけるべきだと考えてきた。

 けれども、先龍侍司である菖蒲は、恋を諦める必要はないと言っていた。


 誰かを愛する気持ちは、人の心を強くするのだ、と。


 現に、菖蒲は先龍染司である冨樫への想いを胸に秘め、帝の誘惑にも負けず立派に龍侍司の務めを全うした後に幸せを手に入れている。


 だから。


 花祝がもしも楓に心惹かれているのであれば、小雪の言うとおり、それを無理に抑え込む必要はないのかもしれない。


 けれども。


 楓の甘やかな笑みを思い出して胸が高鳴ることや、再会を楽しみに思うことが、果たして恋という感情からくるものなのか、今の花祝にはよくわからないのだ。


 だって。


 胸の高鳴りはあのエロ陛下に触れられる時にも感じるし、花摘みの宴では陛下と過ごす時間をとても楽しいと思えたのだから────




 輪郭を持たぬふわふわとしたそんな気持ちは、みだりに表に出すべきではないだろう。


 ただでさえ思っていることが顔に出やすい自分だからこそ、そこは気をつけねばなるまいと戒める花祝であった。


 ❁.*・゚


 楓の訪問を受けたのは、翌日の朝のことであった。


「少しでも早く花祝ちゃんに会いたかったんだ。朝早くからごめんね、迷惑だったかな?」


 十日ぶりに見た楓の笑顔は龍の残零集めの疲れを感じさせず、相変わらず甘やかに整っている。


 あやふやな気持ちはみだりに表に出すまいと気を引き締めたばかりだというのに、楓から友情とも恋慕とも判断がつかない好意を前面に出され、花祝は頬が熱くなるのを抑えることができない。


 そんな戸惑いに追い討ちをかけるように、小雪が口を挟む。


「いいえ、迷惑などとはとんでもございませぬ。龍染司様とお会いできるのを心待ちにしておりましたのは、我があるじもまったく同じにございます!」


「ちょ、小雪っ!? 何を勝手に────」


「えっ、それ本当……? だとしたら、めちゃくちゃ嬉しいんだけど」


 小雪の暴走を止めようと思わず腰を浮かせた花祝だったが、楓の低く甘やかな声が差し挟まれた。


 見ると、楓は扇を持ち合わせていないのか、大きな右手で口元を覆い隠しているものの、垣間見える頬が紅葉のごとく赤く染まっている。


 そんな反応を目の当たりにし、花祝の意識からは小雪をたしなめようとしていたことなどすっかり吹き飛んでしまった。

 楓の赤さが伝染したかのように、熱が一気に顔に集まり、心臓がばくばくと大きな音を立てる。


「と、とにかく……っ。無事のお戻りに心より安堵しました。龍染司としてのお務め、誠にお疲れ様でございました」


 照れを隠すために、敢えて口調を改めて楓をねぎらう。

 すると、自分の訪問の目的を思い出したのか、頬を赤らめたままの楓も居住まいを正してそれに応えた。


「こうして内裏に戻って花祝ちゃんの顔を見ることができて、僕もすごくほっとしました。今回は清らる谷に着くのに二日かかったし、残零集めに七日を費やしたんだ。京に戻ってくるまでずっと野宿だったから、花祝ちゃんが恋しいのと同じくらいにしとねが恋しかったよ」


 甘やかな冗談をさらりと混ぜられ、気を引き締めたはずなのに口元が緩んでしまう。

 花祝がたまらず扇を広げて口元を隠そうとしたところで、「そうだ、これ」と楓が懐から小さな巾着を取り出した。


「僕が集めた残零ざんれい。花祝ちゃんに見せたくて持ってきたんだ」


「えっ!? 残零!? 見たい見たい!」


 折り畳んだ懐紙を畳の上に広げ、楓は慎重に巾着袋から残零を出す。


 清らなる谷で朝日を受けた龍が飛び立つ折に、龍の体から古い鱗が剥がれ落ちる。

 それが煌めく粒子となって地上に降り注ぐのが龍の残零だ。


 残零で染めた龍袿を纏い務めを果たす花祝であるが、残零を見るのは初めてとなる。

 いそいそと楓ににじり寄り、袋からさらさらと流れ出る眩い粒子をじっと見つめた。

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