五の三

 千々ちぢの薔薇 にほひ立つとも

  鈴蘭の 心にくきに え向かふまじ




 一房の鈴蘭に添えられたふみには、力強くも流麗な手(筆跡)でこのような歌が書かれていた。


数多あまたの薔薇が咲き誇り芳香を漂わせようとも、この文を付けた一房の鈴蘭の奥ゆかしい美しさにはかなわないことでしょう”


 純朴な花祝を鈴蘭の花にたとえたかのようにも解釈できる歌はまるで恋文のよう。

 だが、それを受け取った花祝以上に興奮したのは小雪であった。


「へ、陛下からこのような歌をいただくなんて……っ!! 花祝さまはやっぱり陛下のご寵愛を賜ってらっしゃるのでは!?」


「陛下は恋多き御方だから、このように艶っぽい歌を贈られるのは珍しいことではないのよ、きっと。その証拠に、使いの方のご用向きは、宴へのご招待なのでしょう?」


「しかしながら、陛下が龍侍司様を宴にお招きになるなど、菖蒲様がお務めの間は一度もありませんでしたわっ」


「きっと気まぐれに私を呼んでくださるだけよ。せっかくだから、美味しいお料理をご馳走になってきましょうよ」


 余裕ある口ぶりの花祝だが、初めて男性から恋歌まがいの歌を贈られ、胸の高鳴りが抑えられない。

 けれども、贈り主はあのエロ陛下だ。かの御方からすれば、きっと挨拶程度のご趣向に過ぎないと自分に言い聞かせることで、舞い上がりそうな乙女心をなんとか宥めている。


「花祝さま、返歌かえしうたはいかがいたしましょう?」


「ええっ!? 陛下の御歌みうたに返す歌なんて、畏れ多すぎて思いつかないわ」


つたなくとも、お返しせねば御無礼となります! さあ、頑張ってお詠みになって」


 ずい、と硯箱を差し出され、花祝は渋々と筆を取った。




 しのび咲く 花のあまたに かくるれど

  見つけし人ぞ あはれなりける


“多くの花に隠れてひっそりと咲く鈴蘭の美しさを見つけた貴方様は、なんと趣き深い方なのでしょう”




 この歌を装飾の施された料紙に書きつけ、文箱に入れて使いの者に託し、合わせて宴への出席の旨を言付けたのだった。


 ❁.*・゚


 翌日の夕方。


 清龍殿で花祝達を出迎えたのは、いつもの先導役の女官とは違う人物であった。


「龍侍司様、お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」


 慇懃だがどこか険のあった女官に比べ、今日の女官は花祝にそれなりに好意的な雰囲気を醸し出している。


(いつもの先導の方はお休みでもいただいているのかしら)


 花祝はあまり深く考えず、小雪を連れて清龍殿の簀子縁すのこえんに上がろうとした。

 そこで女官が「あ」と声を上げる。


「恐れ入りますが、お傍仕えの方は控えの間にてお待ちいただきますよう」


「えっ? 今宵は宴なのではないのですか?」


 花祝と小雪は訝しげに顔を見合わせ、先導の女官に確認した。


 貴族の催す宴とは、通常複数の人物を招くものだ。

 そのため、女性の出席者がいる場合は会場に御簾や几帳といった目隠しになるものが用意され、傍仕えの女房が侍り、男性の出席者と言葉を直接交わすことのないよう、女房が全て取り次ぐことになっている。


 帝以外に出席者がいるのならば、自分付きの女房である小雪を随伴させるのが当然のはずなのだ。


 しかし、問われた女官は顔色ひとつ変えることなく、穏やかに答える。


「今宵の宴については、陛下御自おんみずからお手配なさっておられますため、龍侍司様におかれましても、何のご心配も無用、御身ひとつにて参らせ給うようとのご指示にございます」


「はあ……」


 取次役の女官はあちらで用意しているということだろうか。

 宴のあえ(ご馳走)が口に入らぬこととなり、不機嫌そうに花祝を見送る小雪。せめて菓子の一つでも懐紙に包んで持ち帰ってやろうと思いつつ、花祝は案内されるままに清龍殿の中へと入った。


 その刹那、甘美な花の香りが漂ってきたかと思うと、歩みを進めるほどに芳香が強くなっていく。


「龍侍司様のお着きにございます」


 昼御座ひのおましの御簾の手前で女官が告げると、涼やかなお声で帝御自らが「入れ」と応えられた。


 御簾が上げられた瞬間、花祝の目に入ったもの。

 それは────


 広い昼御座を花園に変えたかのように乱れ咲く、色とりどりの薔薇の花であった。

 夕暮れ時ではあるが、多くの燈台の灯が薔薇を照らし出し、幾重にも重なる花びらの陰影を鮮やかにして幻想的な美しさをつくり出している。


「これは────」


「薔薇の花をそなたに見せてやると、先日約束したであろう? 今日はその約束を果たすためにそなたを呼んだのだ」


「すごい……っ! まるで絵巻に描かれた薔薇園に迷い込んだみたいですっ!……でも、今宵は多くの方をお招きしての宴だったのでは?」


 花々が咲き乱れる中を見渡しても、人払いをされたかのように、帝お一人のほかには誰も見当たらない。


 薔薇園の中で寛いでお座りになっている彗舜帝は、花を引き立たせようとされたのであろう、葉の色に近い青丹あおに御直衣おのうしを纏っていらっしゃるが、寛雅端麗なその御姿は、むしろ薔薇を背景としてしまうほどに際立っていらっしゃる。


「今宵は俺と花祝だけの、ごく私的な宴だ。そなたが見たがっていた薔薇を眺めながら、夢の中に迷い込んで楽しもうではないか」


「近くへ」とお声をかけられ、呆然としたままの花祝はおずおずと花園の中を進み、帝の横に用意された畳の上へと座した。


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