四の六
ひそひそ話が花祝の耳に入るよう、女官たちはわざと
田舎者であることを馬鹿にされて花祝は下唇を噛み締めたが、女官達の言葉にも一理ある。
確かに、妻でもない女が、雲の上のような貴い身分の方の前で食べる姿を見せるなど、見苦しいことこの上ない。
帝が気安くお声をかけてくださり、お傍に引き寄せられるから、そんな常識すら忘れて舞い上がっていたのだ。
「花祝、確かに俺は公務を疎かにしたくはないが、そなたがこのまま襲芳殿へ戻るのは忍びない。朝餉の代わりに菓子を用意させるから、もう少しここにいればよい」
「陛下、もったいないお言葉を賜りありがとうございます。でも、自分付きの女房もきっと心配して待っております。やはり今日はこれで下がらせていただきます」
にっこりと微笑んでから深く礼をすると、花祝は立ち上がって
御簾をくぐろうとしたところで、涼やかなお声が背後からかけられる。
「では、本日の詫びに、今度そなたに薔薇の花を見せてやろう」
「本当ですか!? それはとても楽しみです!」
「これ以上そなたを傷つけぬよう、棘はしっかりと抜き取っておく。次は安心して来ればよいぞ」
「…………? はい、ありがとうございます」
含みをもったようなお言葉に、花祝は小さく首を傾げたが、絵巻物でしか見たことのない渡来ものの華やかな薔薇を見られるのはとても楽しみだ。
帝に向かって再び深く礼をして、花祝は清龍殿を後にしたのだった。
❁.*・゚
花祝の姿を見るや、心底ほっとしたように破顔し、指をついて主人を出迎える。
「守護のお務め、誠にお疲れ様でございました。邪気を祓うのに一晩じゅうかかったなんて、花祝さまの御身に何かあったのではと気が気ではございませんでしたわ。して、陛下の
「確かに御身に入り込むほど強い邪気に囚われていらしたけれど、今朝はすっかり元に戻られているわ」
「それはようございました……って、花祝さま、一晩守護をお務めになった割には随分とお元気そうですわね? お顔の血色もよろしいですし、たっぷりとお休みになられたような……」
渡殿を歩いていた小雪が振り返ると、訝しげな目つきで花祝の表情をうかがう。
花祝と帝を心配し、控えの間でまんじりともせず夜を明かしたであろう小雪。
そんな彼女を待たせたまま、帝に添い寝しながら一晩ぐっすり眠ってしまったなど、口が裂けても言えない。
ごまかすように咳払いをし、その口元を扇で隠すと、花祝は必死にしらばっくれた。
「そ、そうかしら? 明け方には陛下の御気色も落ち着いて、少しうとうとしたせいかもしれないわね」
「陛下のお傍で無防備にうたた寝なさったんですか?
「ああ、お腹が減ったわ! 今日の朝餉は何かしら。お務めの労いってことで、小雪も一緒に食べましょうね!」
「あっ、食べ物でごまかそうとしてません? お顔色に出ておりますよっ」
扇で隠した花祝の表情を覗き込もうとする小雪を躱し、花祝は渡殿を小走りに駆け抜ける。
「花祝さまっ! 内裏をそのように走るのははしたのうございます! 内侍司の女官に見られたら、どんな悪口を言われるか……っ」
慌てた小雪も小走りするが、宮仕えの女性が纏う十二単はかなりの重さだ。
成人するまで坂東の野山を駆け回っていた花祝の体力にはかなわず、小雪は息を切らしてよたよたと主人の後を追いかけた。
❁.*・゚
襲芳殿に戻り、お互い笑い合った後に、花祝は二人分の朝餉を用意させた。
主人と共に食事をするなど畏れ多いと遠慮していた小雪だったが、子犬のように懇願する花祝に根負けし、花祝の下座で食事をとることに。
「この菜花のおひたし美味しいわね」
「今の時期に菜花が供されるということは、これは恐らく
「日高見は、坂東よりも北にあるものね。坂東でも、今頃はきっと葉桜の緑が美しく、つつじの花が庭を鮮やかに飾っているでしょうね」
花祝の脳裏に、慣れ親しんだ坂東の風景がよみがえる。
貴族とは言っても庶民との垣根が低かった実家では、何の行事のない日でも両親や弟、乳母や乳兄弟らと共に食事をとることが多かった。
「小雪……。あなたさえ良かったら、これからも時々は一緒に食事をしてもらえないかしら。誰かと話をしながら同じ料理を食べるのってやっぱり楽しいし、食事もより美味しく感じるもの」
「そうですか。畏れ多いことですけれど、花祝さまがそう仰るのならば……。花祝さまが内裏で快くお過ごしになられるようお支えいたすのが、私の使命ですから」
ぱくぱくと朝餉を口に運びながらの小雪の返答に、花祝は顔をほころばせた。
それと同時に、帝と朝餉をご一緒できなかったことを思い出し、ちくりと心が痛む。
(広い内裏で多くの者にかしずかれていても、陛下はきっとお寂しいのだわ。今度お声を掛けていただいたら、その時はお食事をご一緒させていただこう)
「あら、この焼き魚、おいしー! 花祝さまも早く召し上がってくださいまし!」
「どれどれ……まあ、本当に美味しいっ! 」
こうして小雪と笑みをかわしながら食べるうちに、女官の放った小さな棘も、花祝の心からすっかり消えてなくなっていたのだった。
(四、彗舜帝の、月夜の宴より戻られ給ひて、邪気に憑かれ給ひけること おわり)
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