三の四

 清龍殿の中心に位置する昼御座ひのおましは、帝が日中をお過ごしになる私的空間である。


 先日の宿直とのいでは、その裏手に位置する夜御殿よんのおとどに直接案内されたため、花祝がそこに案内されたのは今回が初めてであった。


「……すごい。さすが、陛下がお過ごしになるお部屋だわ……」


 広い空間には絢爛豪華な調度品の数々が配されており、見たこともない、用途すらわからない形の家具も置かれている。

 しかし、部屋の中で最も目を引くのは、中心に据えられた大きな御帳台みちょうだいであった。


「陛下はただ今殿上てんじょうの間にて政務をこなされております。御物忌みの間はこちらの御帳台の中でお過ごしになられますので、龍侍司様は出入口の脇に侍られますよう」


「はっ、はいっ!」


 昼御座ひのおましという私的な居住区の中でも、四方をとばりで囲われた御帳台は、帝がお寛ぎになる特別な空間である。


 高い鴨居から下ろされた白絹の帳には繊細な刺繍が施され、出入口となる帳は両裾を一際長く床に垂らしており、その上に金色に輝く一対の龍の彫像が置かれている。


 中の様子は窺い知れないが、帝がお休みになられるということだから、皇族だけが使用する繧繝縁うんげんべりの畳が敷かれ、ふかふかの真綿が詰められたしとねが置かれているのだろう。


 花祝は御帳台を守るように置かれた黄金の龍の横に座ると、はしたないと思われないようにこっそり辺りを見回した。


(薔薇の花は、どこに飾られているのかしら……)


 視線を泳がせると、昼御座の南側は一面白壁になっており、明り取りの小窓越しに複数の男達の話し声が聞こえてくる。


(あの壁の向こうが殿上の間なのね)


 その声に意識を向けていると、殿上人の声の中に、聞き覚えのある朗々とした声が時折混じる。

 彗舜帝も積極的にまつりごとに関わっていらっしゃるのだろう。

 桜津の民を大切になさる聡明な君主だと坂東でも評判だったが、その噂は本当のようだ。


(なのに、なぜ、陛下はあんなことを仰ったんだろう……)


“この国が乱れる、か……。むしろそうなった方が良いのかもしれぬ”


 初めての宿直の夜にぽつりと呟いた、陛下の寂しげな声色が耳元でよみがえる。


 それと同時に、直後に重ねられた唇の感触をまたしても思い出し、花祝は「ひゃっ」と思わず声を上げ、熱くなった頬を両手で覆った。


「酉の刻までの御物忌みならば、今日は昼御座での守護で終わるはず。いくら “エロ陛下” でも、こないだみたいな真似はなさらないはずよね!」


 誰に確かめるでもなく小声でそう呟くと、花祝は居住まいを正し、帝のお戻りをじっと待った。


 数分の後、亥の刻を知らせる太鼓の音が九つ聞こえた。


 南側の小窓から、殿上の間にいた貴族達が退出していく気配が伝わってくる。


「陛下のお戻りにございます」


 東側に下ろされた御簾みすの向こうから女官の声がして、花祝はすぐさま床に両手をついて頭を下げた。


 緊張を押し殺したままじっとしていると、御簾の上がる気配がして、するすると絹衣の滑る音が近づいてくる。


「龍侍司よ、本日の守護よろしう頼む」


 数歩離れた辺りから、涼やかで朗々とした声が向けられ、「承知仕りました」と答えつつ、一層礼を深くする花祝。


(陛下の声の雰囲気が夜とは違う。清廉潔白な君主という誉れのとおり、昼はやはり立派な立ち居振る舞いをなさるのね)


 これならばつつがなく務めを終えられそうだと緊張の緩む花祝に、「面を上げよ」と声がかかる。


 ゆっくりと顔を上げると、御引直衣おひきのうしと呼ばれる帝特有の裾の長い直衣をお召しになった彗舜帝が、こちらを向いてお立ちになっていた。


 緋袴ひのはかまの上に白の長御単ながおんひとえ薄二藍うすふたあい長御衣ながおんきぬを重ね、裾の折り返しに瑠璃紺るりこんの裏地を見せた本紫ほんむらさきの直衣を羽織られているその御姿は、まさに絵巻物で憧れていた美麗な公達きんだちそのままで、花祝の口から知らず感嘆のため息が漏れる。


「本日は亥の刻まで物忌みが続くため、一日じゅうここから出られぬ。退屈なことこの上ないから、そなたが話し相手になってくれ」


 涼やかに澄む藍鉄の瞳を花祝に向けながら、帝は両脇に侍る女官に任せて御引直衣を滑らせ脱ぐ。

 花祝が目を逸らす暇も与えぬまま長御単のくだけた姿になられると、するすると衣擦れをさせて歩み寄り、「入るぞ」と声をかけられた。


「へ? 入るって……?」


「帳台の中へ入るのに決まっておろう。退屈しのぎに語らうのに、帳越しの会話では趣きに欠けるからな」


「でっ、でもっ、先ほどご先導くださった掌侍ないしのじょう様には、御帳台の外で侍るように言われ──」


「守護されるのはこの俺だ。龍侍司と帳を隔てては邪気に忍び込まれるのではと不安になる。できるだけ近くにいてもらわねば困る」


“不安だ” とか “困る” とか、そんな御言葉とは裏腹な笑みを浮かべて、帝は花祝の腕を取り立ち上がらせた。


「でっ、でもっ、御帳台の中へ入るなんて、そんな畏れ多い──」


 あれよあれよと御帳台の中へ引きずり込まれそうになり、慌てた花祝は御直衣を片付ける女官達に助けを求める視線を送った。


 しかし、掌侍と呼ばれる女官達は花祝に一瞥もくれることなく、無表情なまま昼御座を出て行ってしまったのだった。


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