三の三

 清龍殿の秘書的部署である内侍司ないしのつかさから帝の御物忌おんものいみの知らせが来たのは、結局翌日の朝であった。


「昼前から御物忌みに入るというのに、当日の朝になってようやく知らせてくるなんて、やっぱりわざとであるとしか思えません!」


 朝餉あさげをいただく花祝の横でぷりぷりと怒る小雪に、粥を口に運びかけた花祝はゆったりとした笑顔を向ける。


「昨日のうちに御物忌みのことは聞けたわけだし、準備は間に合うんだからもういいじゃない」


「今回はたまたま難を逃れましたけれど、きっとまた何かしらの嫌がらせをしてくるに違いありませんわ!」


「どうして私が嫌がらせされなきゃいけないの? 何も心当たりがないんだけど」


 のんびりとした坂東の田舎で育った花祝には、まさか自分が妬み嫉みの標的となるなど思いも寄らぬことのようだ。

 そんな純朴な主人をできるだけ傷つけぬようにと、小雪は言葉を選んで説明を始めた。


「元々、龍侍司りゅうじのつかさという職は帝を守護するという特別な使命を負うため、女官の中でも破格の待遇なんです。内裏に御殿を与えられるのは后妃の他には龍侍司だけですし、今上帝は后妃をお迎えなさっておられませんから、現状は龍侍司である花祝さまが内裏で最高位の女性ということになるのです」


「えぇっ!? そうなの?」


「本来、内裏の女官として帝のお姿を拝見できるほどのお側仕えとなるためには、中級貴族以上の身分がなければなりません。特に、入内じゅだいを狙う上級貴族の姫君達の中には、何としても帝の御目に止まろうと、出仕の必要もないのに内侍司でお務めなさる方もいらっしゃるほどなのです。そのような方にとっては、突然参内された花祝さまは……その……」


「小雪の言いたいことがようやくわかったわ。本来は側仕えの資格すらない田舎の下級貴族の小娘が、いきなり御殿住まいの最高位に成り上がったのが面白くないということね?」


「……そういうことになります」


 今回の件に関しては、たまたま内侍司の方で連絡を忘れただけかもしれないと思う一方で、小雪の推測がまったくの的外れであるとも言い切れない。


 とは言え、遣わしとして生まれたのが自分である以上、そうした妬み嫉みを躱すことも難しいと考えた花祝は、嫌がらせを恐れてびくびくしても仕方がないと腹を括った。


「小雪の言う通りかもしれないけれど、私が身に余る待遇を受けていることは事実だもの。私に出来ることは、龍侍司として陛下をしっかりお守りすることで、周りの女官にも認めてもらうことだと思うわ」


「ううっ、花祝さまはなんて心根のまっすぐなお方なのでしょう……っ! 確かに仰るとおり、実力で相手の鼻を明かしてやればいいのですわ!」


 潤んだ目元に袿の袖をあてがったかと思うと、小雪は奮い立つように背筋をしゃんと伸ばした。


「さあ、そうと決まれば私も気合を入れ直しますわ! 花祝さま、早く朝餉をお召し上がりくださいませ! かさねを纏う花祝さまの美しさが際立つよう、たっぷりと時間をかけて準備いたしますからっ」


 そう言うが早いが、花祝がまだ食べ終わらないうちに膳を下げさせ、あれよあれよと言う間に袿を脱がせにかかった。


 ❁.*・゚


 結局、小雪が化粧に念を入れすぎたため、花祝は重い十二単を引きずり、急ぎ足で清龍殿に向かうこととなった。


 桜津国おうつのくにには、陰陽寮が毎年定める全国民共通の凶日があり、年に五十日ほどあるその日には、公務を始め商売や農作業に至るまで、仕事を控えて心身を休めることと決められている。


 それとは別に、国を統べる帝には個人的な凶日がさらに三十日ほどあり、“御物忌おんものいみ” といって公務を休み、人と会うのを避ける日がある。


 本日はその御物忌みの日で、陰陽寮の占いでは、午の刻(午前十一時頃)から酉の刻(午後五時頃)までが物忌みの時間と決められていた。


「龍侍司様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 帝のお住いであり、まつりごとの行われる場所でもある清龍殿の入口で、内侍司の女官が花祝達を出迎えた。


 御物忌みの知らせが遅れたことに対する謝罪もなく、何事もなかったように先導する女官が憎らしいのか、後ろ姿を睨みつけながらぶつぶつと何かを呟く小雪。

 女官の控えの間の前まで来ると、大袈裟なほど気遣わしげな表情を見せて花祝に縋った。


「ああ、花祝さま! ここから先をあなた様おひとりで行かせるなんて心配すぎます! 清龍殿は華やかな花園ですが、にはどうぞお気をつけくださいましね!」


 小雪が力を込めた嫌味にも、女官はすました顔を崩さない。


「小雪、心配しすぎよ。しっかり務めを果たしてくるから、ここで待っていてね」


 花祝は笑顔で小雪と別れると、西の簀子すのこを女官の後に続いた。


昼御座ひのおましには、薔薇の花が飾られているのですか? 坂東には海の向こうから渡来した花などなかったから、見るのが楽しみです!」


「……そうですか。でも、棘付きの薔薇なんて飾られてあったかしらねえ?」


 小雪の忠告がまるで伝わっていない花祝の様子に、これまで一切表情を変えることのなかった先導の女官も、思わず歪んだ口元を慌てて扇で隠したのであった。

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