二の五
清龍殿の奥にある
女房の控えの間で夜を明かした小雪に出迎えられ、女官に見送られて清龍殿を出た花祝だったが、思い出したように小雪に声をかけた。
「そうだわ。襲芳殿に戻る前に、
「
「ちっ、違うわ! 昨晩宮中に物の怪が出なかったか聞きたいだけよ」
「そうですか。それは残念。ただ、龍侍司である花祝さまがいきなり縫殿寮を訪れては、出迎えた女官達が慌ててしまいます。私が用件を取り次いでおきますので、龍染司様に折を見て襲芳殿にお越しいただいてはいかがです?」
「そういうものなの? 楓くんを呼びつけるみたいで申し訳ない気もするけれど、宮中の決まりごとはよくわからないから、小雪に任せてもいい?」
「もちろんですわ。私は花祝さま付の女房なのですから、これからも何なりとお申し付けくださいませね。……ところで」
渡殿を先導して歩く小雪が花祝の方を振り返り、扇で口元を隠しながら近づいた。
「夜御殿での宿直はいかがでした? 一晩じゅう寝室で陛下と二人きりでしたのに、寵を賜ることはありませんでしたの?」
小雪の問いに、花祝の脳裏には息がかかるほどに近づく陛下の淡麗なお顔が思い出され、あの口づけと平手打ちの感触がよみがえる。
「なっ、何もなかったわよ!」
「あっ!? 花祝さまのそのお顔、ぜったい何かありましたよね!?」
「本当に何もないってば! そんな畏れ多いことを気安く言わないでちょうだい」
「ふぅ……ん。確かに、何かありましたらその程度の狼狽ではすみませんよね。第一、花祝さまの通力が失われて困るのは陛下ですから、お戯れにもそんなことはなさいませんでしょうし」
小雪の言葉に、燈台の明かりの元で彗舜帝が見せた憂いのある表情を思い出す。
“俺の身など、どうなろうが構わん”
帝は確かにそう仰ったが、あれも妖狐の見せた幻だったのだろうか。
幻と
「陛下にはくれぐれもお気をつけくださいましね。申し上げるのが憚られて昨日は黙っておりましたが、帝が内裏の女官を一夜のお相手に選ぶのは珍しいことではないのです。ただ、お手付きとなる相手は、お妃に迎えられる身分より格下と決まっているようで。寵を賜ったことを家族が知ったところで、高貴なご身分の姫を差し置いて入内させられるわけがありませんし、黙っているしかないということのようです」
「そ、そうなの? 小雪ったら、そんな裏事情をよく知ってるのね」
「内裏には、様々な部署で働く女官が
えっへん、と胸を張る小雪だが、この時ばかりは花祝の背筋が寒くなる。
楓とのことや帝とのことを妙に勘繰ってくるのは、その情報網に主人である自分を売ろうとしているのではないかと。
そんな花祝の顔色を読んだのか、小雪が慌てて弁明した。
「あっ、でも、大切な花祝さまのお噂を流すようなことは決していたしませんからご安心くださいね! その代わり、花祝さまの恋のご相談は、ぜひ私めに受けさせてください!」
「あ、う、うん……」
青ざめた花祝の曖昧な頷きを確約と取ったのか、小雪が満足そうに頷く。
「そういうわけで、夜御殿の宿直の折にはどうぞお気をつけくださいませね。いえ、花祝さまが見事陛下の本物のご寵愛を賜って、お妃として迎えられるのならば、それはそれで万々歳。小雪はもちろんどこまでもお供いたす所存ですわ!」
「そんな畏れ多いこと有り得ないわ。龍侍司になったばかりなんだし、次の遣わしに受け継ぐまで、自分の務めを全うするだけよ」
花祝は努めて毅然とした態度でそう宣言した。
しかし、内心では昨日の菖蒲の言葉を思い出す。
(菖蒲様が仰っていた “ある意味邪気や物の怪よりも恐ろしい方” というのは、もしかしたら陛下のことなのかもしれない……)
昨晩の彗舜帝の様子からして、美しい菖蒲にも迫っていたと想像するのは難しくない。
いくら菖蒲が拒んでも、かの御方は “つれないのも風情があるな”などと言って、なかなかへこたれなかったのではないだろうか。
宿直のたびに口説かれては、確かに畏れ多くも邪気や物の怪よりも恐ろしい……というか面倒くさいと思ってしまうだろう。
やはり昨晩の口づけは幻であってほしいと、小雪の話を聞いた今となってはうたかたのように儚くなった願いに縋る花祝であった。
(二、龍侍司、破邪の剣を受け継ぎて夜御殿に侍りけること おわり)
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