二、龍侍司、破邪の剣を受け継ぎて夜御殿に侍りけること

二の一

「では、僕もそろそろ縫殿寮ぬいどのりょうに戻ります」


 先輩二人を見送った後、幾分くだけた口調になったかえで花祝かしくにそう告げた。


龍染司りゅうぜんのつかさ様も “代わりの儀” お疲れ様でございました」


 花祝がぺこりと礼をして顔を上げると、楓はその場に留まったまま、親しげな微笑みを浮かべている。


「僕たちは同い年で同じ階位で、これから長く一緒に仕事をするんだ。陛下のお言葉をお借りするわけじゃないけど、お互い畏まらずに気楽にやろうよ」


 故郷を離れて以後、こんな風に親しげに話しかけてくれる人物がいなかったせいか、その言葉で花祝の強ばっていた心が一気にほぐれた。


「うん……っ! そうしてもらえると、私も嬉しい!」


「よかった……。花祝ちゃん、紫辰殿にいた時からずっと心細そうだったから、気になっていたんだ」


「え、か、花祝ちゃんって……」


「あっ、ごめん! 君が飾らない雰囲気なので、つい……。同僚とは言え、やっぱり女の人を名前で呼ぶのはさすがに馴れ馴れしすぎるよね」


「ううん、そんなことないっ! 名前で呼んでもらえて嬉しかったの! 京には親しい人が少ないからほっとするわ」


「それならよかった。僕のことも、楓って呼んでくれたら嬉しいな」


 ふんわりと笑う楓の甘い顔容かんばせを前にして、先ほど抱いた妄想がよぎる。


(楓くんは純粋に親切心からこう言ってくれてるだけよね。この人と恋に落ちたら……なんて不純な妄想をするのは、誠実な彼に対して失礼だわ)


 頭をぶんぶんと振ってから、花祝は楓ににっこりと微笑みかけた。


「それじゃ、楓くん、改めてこれからもよろしく!」


「こちらこそよろしくね。……ああ、それから、さっきさきの龍侍司りゅうじのつかささまが仰ったことだけど……」


「邪気や物の怪よりも恐ろしい存在のこと?」


「そう。僕もそれが何なのかはわからない。けれど、龍侍司の宿直とのいの際は、龍染司は清龍殿せいりゅうでんのすぐ北にある滝口たきぐちの詰所で待機することになっているんだ。龍侍司だけでは払いきれないような力の強い “まがもの" が出た時なんかは、龍染司も加勢することになってる。もしもの時は僕が駆けつけるから、怖がらなくて大丈夫だよ」


 背は高いが細身だし、武勇とはまるっきり縁がなさそうに見える楓を頼っていいものか。

 花祝は一瞬返答に窮したが、そう言ってくれる彼の心意気が嬉しい。


「ありがとう! 一人で立ち向かうわけじゃないって思えるだけでも心強いよ」


「うん。そろそろ戻って、僕も宿直の支度をしてくるよ。明後日からは冨樫様と龍の残零ざんれいを集めに清らなる谷に行く予定だから、その準備も始めなくちゃ」


「明後日から? 冨樫様も新婚早々お家を空けることになるなんて大変ね」


「龍染司は、一年の半分近くを清らなる谷で残零集めをして過ごすからね。冨樫様にゆっくり新婚生活を楽しんでいただくためにも、僕が早く一人前にならなくちゃね!」


 くすくすと笑い合ってから、楓を見送った花祝。

 ふと振り返ると、ニヤニヤとこちらを見つめる小雪と目が合った。


「ど、どうしたの? そんな顔をして」


「うふふ、花祝さまと龍染司様、早速良い雰囲気だなあって思いまして」


「そっ、そんなんじゃないわ! 田舎から一人で出てきたんじゃ心細かろうと、楓くんは敢えて気安く話しかけてくださってるのよ」


「ええー、そうですか? 冨樫様と菖蒲様は美女と野獣の意外な組み合わせですけど、お二人はすごくお似合いに見えますよ」


「お願いだから、これ以上からかわないで! 楓くんと顔を合わせづらくなっちゃうからっ」


「ふふっ、花祝さまは思ってることがお顔に正直に表れる、可愛らしいお方ですものね」


 龍侍司としての初仕事に緊張していたはずの花祝だったが、楓と小雪のおかげで心がだいぶほぐれたのだった。


 ❁.*・゚


 元々桜花京おうかきょうの内裏は陰陽や風水の知識を元に建設され、さらには陰陽師による結界で守られているため、“まがもの" と呼ばれる邪気や物の怪のたぐいのほとんどは入り込めないようになっている。

 しかし、凶日や穢れの出る日は、内裏の防御力が弱まり、少しの綻びをぬってそれらが入り込むことがある。


 皇族の死により内裏にけがれが出たため、今晩花祝は龍侍司として、清龍殿の夜御殿よんのおとどでご就寝なさる帝の傍に待機し、穢れに引き寄せられてくる邪気や物の怪を祓うのだ。


 祓いのために花祝が選んだ龍袿りゅうけいは、月白げっぱく紫水晶むらさきすいしょう薄鼠うすねず紺鼠こんねず青褐あおかちの五枚。

 これをかさねとし、服喪を表す鈍色にびいろ表着うわぎに裳を着けて、烏羽色からすばいろ唐衣からぎぬを羽織り、五衣唐衣裳いつつぎぬからぎぬも(通称:十二単)の正装とする。


 “代わりの儀” のような晴れの席で纏う色目とは対照的に色味を極力抑えた組み合わせだが、龍の残零で染めたうちきは夜闇の中でも仄かな光を放つため、重ねて身に纏うと花祝の姿は燈台がなくても浮かび上がって見えるほどだった。


 宵の口、花祝と小雪が帝の居住区である清龍殿に入ると、案内の女官が出迎えた。

 小雪はここから先へ入ることが出来ないため、清龍殿入口手前にある女官の控えの間で花祝を一晩待つことになる。


「では、行ってまいります」


「くれぐれもお気をつけて」


 緊張を顔容かんばせの前面に出した花祝が心配ではあるものの、小雪は花祝の不安をできるだけ煽らないようにと、ゆったりと微笑みつつ主人を見送った。

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