一の四

 広い板の間に三間ほどの隔たりをつくり、男女四人の遣わしが向かい合って座る。

 その後方では、内裏での神事に携わる巫女達が “代わりの儀” の準備を粛々と整えていた。


 長い沈黙が花祝の緊張の糸をきりきりと締め上げていく。

 せり上がってくる胃液を抑え込むように細い息を吐き切ったところで、紫辰殿の板戸がすっと開いた。


「帝のおなりにございます」


 宮中で見かけた中でも一際美しい女官が厳かにそう告げると、菖蒲と冨樫が床に額をつくほど深々と頭を下げた。

 それぞれの隣に座る花祝と楓も、見様見真似で慌てて頭を下げる。


 やがてしゅるしゅるという衣擦れの音が複数近づいてきて、最後にゆったりとした足取りで誰かが入ってきた。


 紫辰殿の静寂が硬質さをいっそう増す。

 それでいて張り詰めた空気は滝の水で洗われたように清浄さを醸し出し、頭を下げたままでも、いまこの刹那に帝が入っていらしたのだということがわかった。


「皆の者、面を上げなさい」


 女官の言葉に従い、花祝は隣の菖蒲に合わせて顔を上げた。


 帝と臣下とは御簾みすを隔てて対面するのが常だが、本日は龍神を呼ぶ神聖な儀式に臨むため、御座みくらの御簾は上げられたままのようだ。


 帝を直視するのは憚られるため、正面を向いたまま固まる花祝だが、視界の端に映る御姿からは、禁色である黄櫨染はじぞめを身にまとっていることが窺える。


(なんて高貴で清浄な空気をもつお方なんだろう……。)


 その御姿を拝したい衝動をぐっと抑えつつ、花祝は正面に座る楓に視点を据えた。


 柔和な雰囲気をまとう楓も、流石に眼差しや口元が石のように固まっている。

 彼もまた自分と同じように緊張しているのだとわかり、花祝は緊張がほんの少しほどけた気がした。


「これより、龍染司並びに龍侍司の代わりの儀を執り行います」


 次第に沿って、厳かな儀式が始まった。


 雅楽寮うたりょうの楽師達が奏でる曲で巫女達が御神楽みかぐらを舞い、神の降臨を請う。

 神祇伯じんぎはく祝詞のりとを奏上し、帝以下全ての参列者を祓い清めた後、いよいよ龍染司並びに龍侍司の代替わりの瞬間がやってきた。


 まずは龍染司の “代わりの儀”。

 冨樫と楓が立ち上がり、祭壇に礼を捧げた後に、その正面で向かい合う。


 巫女が三方さんぼうにのせられた古い飾太刀かざりたちを恭しく差し出すと、冨樫がそれを手に取った。


「次なる遣わしに、我が “開谷かいこくの刀” を託さむ。此をもちて我が通力を龍神に返し、定められし任を解かるることを請うものなり」


 冨樫が差し出した太刀を、楓が緊張の面持ちで受け取る。


「先の遣わしより、この刀を受け継がむ。此をもちて定められし務めを果たさむと誓うものなり」


 神拝詞おがみことばを返す楓の声は微かに震えていた。

 けれども、低く力強く発せられたその言葉には、重責への戸惑いではなく決意が込められているようだ。


(気後れしている場合じゃない。私も帝の御前でしっかりと宣言しなくっちゃ)


 楓の神拝詞に背中を押され、花祝は龍侍司の “代わりの儀” に臨むべく、菖蒲と一緒に席を立った。


 祭壇に礼を捧げ、菖蒲と向かい合う。

 常に凛然としている菖蒲も、十二年に及ぶ役目を終えようとしているこの瞬間ばかりは緊張しているようだ。


 巫女が差し出したのは、錦を巻いた鞘に収められた古い懐刀ふところがたな

 それを手に取った菖蒲が、花祝をしかと見つめる。


「次なる遣わしに、我が “破邪はじゃの刀” を託さむ。此をもちて我が通力を龍神に返し、定められし任を解かるることを請うものなり」


 差し出された懐刀を花祝が受け取ると、ずしりとしたその重みに改めて気が引き締まる思いがした。


「先の遣わしより、この刀を受け継がむ。此をもちて定められし務めを果たさむと誓うものなり」


 参内する三日前、京に着いたばかりの花祝の元に菖蒲からの使いの女官が訪れ、今日の “代わりの儀” についての講義があった。

 そこで教わった言葉を一字一句間違えないよう、さらに心を込めて口にする。


 神拝詞おがみことばを言い終えた花祝が、教えられたとおりに懐刀を懐にしまうと、その所作を見届けた菖蒲がようやく安堵の笑みを淡く浮かべた。


 先の遣わしが役を降り、次なる遣わしがその役を継ぐ。


 龍神の前で代替わりが行われた後は、帝が龍神に加護を感謝し、その昔祖先が交わした盟約が未来永劫守られることを願う。


 帝の神拝詞を拝聴すべく、花祝達は儀式が始まってから初めて帝のおわす御座へと向き直った。


 恐る恐る顔を上げて──


 花祝は思わず息をのんだ。


 初めて拝謁する彗舜帝はあまりに煌びやかで。

 寛雅、端麗なその御姿は、心ごと吸い込まれてしまいそうなくらいに美しかった。

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