一の三

 十二年に一度、清らなる谷にある龍鱗桜の咲く朝に生まれる男女の “遣わし”。

 龍の通力つうりきを授けられた二人は、数え十七の春に桜花京の内裏に召され、男の遣わしは “龍染司りゅうぜんのつかさ” として、女の遣わしは “龍侍司りゅうじのつかさ” として、次代の遣わしが内裏に上がるまでの十二年間、帝を守護する役につく。

 新しい遣わしが召される日、現職の龍染司と龍侍司は役を解かれ、“代わりの儀” にて新しい遣わしに役を託すのが、桜津国おうつのくにで千年続くならわしだ。


 これからその儀式に臨む花祝かしくの足取りは、紫辰殿が近づくにつれ覚束なくなっていた。


 遣わしとしてこの世に生を受けた自分の使命については、幼き頃からしっかりと教えを受けてきた。

 己の宿命を誇りと思う一方で、帝をお守りするという重責に不安がないと言えば嘘になる。


 龍侍司としての務めを十二年間全うした菖蒲は今日を限りに職を退き、今後その重責は花祝一人の肩にかかってくる。


 坂東の田舎暮らしで宮中のことも何一つ分からないのに、いきなりそんな大役が務まるのだろうか。

 美麗な名君と名高い一方で、后妃を迎えぬ変人とも囁かれる彗舜帝の機嫌を損ねるようなことを自分がしでかさないだろうか。


 宮中の室礼しつらえや美しい装束に歓喜の声を上げていた一刻前とは別人のように青ざめる花祝を見て、龍侍司付き女房となる小雪にも我がことのように不安と緊張がこみ上げてきた。


「これより先へは、私と遣わしどのだけで参ります。そなたらは、儀式が終わるまで控えの間で待機しておるように」


「かしこまりました」


 菖蒲の指示を受け、小雪をはじめ女房数名が恭しく礼をする。


 頼みの綱の小雪とここで離れることになった花祝が、母犬と引き離される子犬のような眼差しを小雪に向けた。

 声をかけることすら憚られる雰囲気だが、小雪は眼差しに力を込めて頷くことで主人を激励する。


「ここより先が紫辰殿です。行きましょう」


 菖蒲の毅然とした口調に促され、花祝は弾かれたように背筋を伸ばし、彼女の後に従った。


 ❁.*・゚


 紫辰殿と呼ばれる儀式のための空間は、厳かで広い板の間であった。

 磨き抜かれた鏡のごとき床に菖蒲と並んで座り、待つことしばし。


「失礼いたします」


 朗々とした男性の声が聞こえたかと思うと、戸がすうっと開き、がっしりとした大柄な体格の男が入ってきた。


 下級貴族の出とはいえ、女は男性にやすやすと顔を見せるべきではない。

 花祝は咄嗟に扇を開いて顔を俯けたが、「これは龍染司どの」と彼に呼び掛けた菖蒲の声に、思わず顔を上げて男を見つめた。


(このお方が、現職の龍染司……。確か小雪が “冨樫様” とお呼びしていたわね)


 先代の遣わしである冨樫は、花祝より十二歳年上、数え二十九のはず。

 しかし、熊のように大きな体躯と頬や顎を覆うもしゃもしゃとした髭のせいか、四十代くらいに見える。

 紫辰殿で儀式の準備をしていた巫女が顔を扇で隠しつつ顔を顰めているところを見ると、典雅なものを好む宮仕えの女性には、このような無骨な風貌の男は毛嫌いされてしまうのだろう。

 ただ、坂東で育った花祝としては、父の家来にも似たような風体の者が何人もいたので、却ってほっとするのだが。


 そんな龍染司の後に続き、若い男が紫辰殿に入ってきた。

 歳は花祝と同じくらい、熊のような冨樫とは対照的に、ほっそりとした背の高い男だ。

 穏やかで理知的な雰囲気をたたえたその男が、花祝の注いだ視線に気づいてこちらを向いた。

 柔らかくも端正なその顔立ちをまともに見てしまい、花祝は恥ずかしさのあまり今度こそ扇で顔をそっと隠した。


「これはこれは、龍侍司どの。後からの参上となりましてあいすみませぬ」


「いいえ、お気になさらず。遣わしどのの身支度が思いの外早く済みまして、早めに参上できましたの」


「ほう、そちらが新しき遣わしどのですか。初めまして。龍染司を務めておる冨樫清正と申します」


 目上の冨樫の挨拶を受け、花祝は慌てて扇を閉じると、両手をついて深く礼をした。


「初めまして。このたび遣わしとして参内いたしました、藤原是清ふじわらのこれきよの娘、花祝と申します」


「それにしても見事な色目の組み合わせですな。我が手仕事ながら、龍袿の染めの美しさが引き立っておる。楓どのもしかと見せていただくがよいぞ。今日からは貴殿が龍染司として、彼女の纏う龍袿を染めることになるのだからな」


「はい」


 冨樫の言葉に頷くと、後ろにいた若い男が一歩前に膝を進め、花祝の前で手をついた。


「あなたと同じく、遣わしとして本日参内いたしました、長谷部はせべかえでと申します」


 低く温かな声色と優しげな物言いのせいか、彼のまとう空気は花祝に警戒心を抱かせず、むしろ親しみやすさを感じさせる。


「花祝どのとは、本日より末永く共にお仕事させていただくことになりますね。どうぞよろしくお願いいたします」


 初対面の若い男に名前で呼ばれ、その不意打ちに花祝の心臓がとくんと跳ねた。


「こ、こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!」


 慌てて礼を返す花祝に、楓は笑みを深くしつつ、冨樫に従い花祝達の対面に座る。


 新旧の遣わし男女四名がここに揃い、いよいよ帝のお出ましを待つこととなった。

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