一の二
「花祝さま。こちらが “
小雪が
ごくりと唾を飲む花祝が中を覗くと、葛籠の中には光を蓄えた
「これが龍袿……。本物の龍もこんな色をしているのかしら」
「龍の姿を見ることができるのは、清らなる谷に入ることを許されている男の “遣わし”、つまり
小雪は葛籠に腕を入れると壊れ物を扱うように中の龍袿を次々取り出した。
「え……まだ出てくるの? そこには一体何枚の龍袿が入っているの?」
「こちらの葛籠に入っておりますのは、花祝さまのために冨樫様が新たに染められた二十枚でございます。これよりほかの龍袿は、新しき龍染司殿が花祝さまのために染めることになりますわね」
「新しき龍染司……」
それは花祝と同じく、十七年前の龍鱗桜の咲いた日に生まれた、もう一人の遣わし。
「この後に行われる “代わりの儀” には、その新しい龍染司様とも顔を合わせるのよね。一体どんな方なのかしら」
なのに、龍侍司となれば、同じ
うまくやっていけるだろうか、と一抹の不安をよぎらせた花祝を見上げ、小雪が心得顔で大きく頷く。
「本日より長きに渡り、帝の加護というお務めを共にされる御方ですもの。花祝さまも当然気になりますわよね。私といたしましても、せっかく花祝さまのお傍にお仕えできるのですから、お二人の間であんな展開やこんな展開があったらと妄想が膨らみますけれど……。でも、現職の冨樫様がああいう風貌ですし、運命の御方とは言え、過度な期待はできないような気が……」
「え? 妄想? それに、運命の御方って――」
「いっけない! 口が過ぎましたわっ! ささ、花祝さま、急いで “襲” をお選びくださいまし」
慌てた小雪に促され、花祝は首を傾げつつも龍袿を手に取った。
手触りだけで極上の絹で織られたとわかるそれは透けるほどに薄く繊細だが、花祝が触れたことに反応し、残零の放つ光が輝きを増した。
「何て美しい袿なのかしら。どの色を組み合わせようか迷ってしまうわ」
花祝が選んだ龍袿は、白のほか、薄桜、薄紅、
「素敵な色目ですわ……! やはり “遣わし” のお方は素晴らしい感性をお持ちなのですね。この
浮き立つように声を弾ませた小雪が、すぐさま花祝の地味な装束を脱がせにかかる。
花祝の実家には十人ほどの使用人がおり、
毎日の着替えも琴が手伝ってくれていたけれど、育ての母である琴の雑な手つきとは違い、宮仕えの小雪の手つきは綻ぶ花に触れるがごとく優しく、しかもあれよあれよという手際の良さで真新しい
「花祝さま、いかがです? 新しき龍侍司として、襲を纏ったご自分のお姿は」
額に滲む汗を満足げに拭った小雪が、いそいそと花祝の前に姿見を用意する。
「まるで幻を見ているみたい……こんなに豪華な装束を纏っているなんて、これは本当に私なの?」
「ご自分で選ばれた色目だけあって、よくお似合いですわ! 唐衣からのぞく龍袿の色目が、まるで桜花の宴のように艶やかで素敵。花祝さまは元々が可愛らしい見目ですし、これで紅をさし直せば、かの
「彗舜帝……」
花祝の暮らしていた坂東の田舎でも、自国の
数え二十にして一昨年の冬に先帝より譲位を受けた彗舜帝。
秀麗にして寛雅、清涼にして優美と形容されるほど素晴らしいお方だそうだが……。
「小雪。陛下が即位なされて一年以上経つというのに、未だに寵姫のお一人もいらっしゃらないというのは本当?」
「まあ、坂東にもそのお噂が届いておりましたか。そうなんです。先帝が有力貴族の美しい姫君達をいくら
「帝でありながら世継ぎのことをお考えにならないなんて、少し変わったお方なのかしらね」
龍侍司は帝に侍り、邪気から守るのが役目。
願わくば、あまり気難しいお方でなければよいのだが、と花祝は思う。
「
まるで自分が帝に拝謁するかのように張り切る小雪に気圧されるまま、
そうこうしているうちに、菖蒲が再び襲芳殿に現れた。
己の後継者である花祝の晴れ姿に目を細めつつ、花祝と小雪、そして数人の女官を引き連れ、 “代わりの儀” が執り行われる
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