一の二

「花祝さま。こちらが “龍袿りゅうけい”。龍の残零ざんれいを集めて染めた特別なうちきになります」


 小雪が葛籠つづらの蓋を開けると、中から淡い光が溢れ出た。

 ごくりと唾を飲む花祝が中を覗くと、葛籠の中には光を蓄えたうちきが折りたたまれている。


「これが龍袿……。本物の龍もこんな色をしているのかしら」


「龍の姿を見ることができるのは、清らなる谷に入ることを許されている男の “遣わし”、つまり龍染司りゅうぜんのつかさだけです。現職の龍染司、冨樫とがし様より聞いたお話では、清らなる谷には紅龍、青龍、黄龍、白龍、黒龍の五色の龍が棲んでいて、それぞれに眩く光る鱗を持っているとか。その鱗が生え変わり、古い鱗が剥がれて砕け落ちたものが “残零” なのだそうです」


 小雪は葛籠に腕を入れると壊れ物を扱うように中の龍袿を次々取り出した。


「え……まだ出てくるの? そこには一体何枚の龍袿が入っているの?」


「こちらの葛籠に入っておりますのは、花祝さまのために冨樫様が新たに染められた二十枚でございます。これよりほかの龍袿は、新しき龍染司殿が花祝さまのために染めることになりますわね」


「新しき龍染司……」


 それは花祝と同じく、十七年前の龍鱗桜の咲いた日に生まれた、もう一人の遣わし。


「この後に行われる “代わりの儀” には、その新しい龍染司様とも顔を合わせるのよね。一体どんな方なのかしら」


 坂東ばんどうの片田舎で生まれ育ったとは言え、貴族の端くれである花祝は、家族やごく近しい家来のほかは、男と顔を合わせたことがない。

 なのに、龍侍司となれば、同じ運命さだめを負う同士とは言え、見ず知らずの男と向こう十二年も共に務めを果たすことになるのだ。


 うまくやっていけるだろうか、と一抹の不安をよぎらせた花祝を見上げ、小雪が心得顔で大きく頷く。


「本日より長きに渡り、帝の加護というお務めを共にされる御方ですもの。花祝さまも当然気になりますわよね。私といたしましても、せっかく花祝さまのお傍にお仕えできるのですから、お二人の間であんな展開やこんな展開があったらと妄想が膨らみますけれど……。でも、現職の冨樫様がああいう風貌ですし、運命の御方とは言え、過度な期待はできないような気が……」


「え? 妄想? それに、運命の御方って――」


「いっけない! 口が過ぎましたわっ! ささ、花祝さま、急いで “襲” をお選びくださいまし」


 慌てた小雪に促され、花祝は首を傾げつつも龍袿を手に取った。

 手触りだけで極上の絹で織られたとわかるそれは透けるほどに薄く繊細だが、花祝が触れたことに反応し、残零の放つ光が輝きを増した。


「何て美しい袿なのかしら。どの色を組み合わせようか迷ってしまうわ」


 花祝が選んだ龍袿は、白のほか、薄桜、薄紅、真朱まそおと赤系の三枚に、花緑青はなろくしょうと呼ばれる鮮やかな緑が一枚。


「素敵な色目ですわ……! やはり “遣わし” のお方は素晴らしい感性をお持ちなのですね。この五衣いつつぎぬで、早速襲を整えましょう」


 浮き立つように声を弾ませた小雪が、すぐさま花祝の地味な装束を脱がせにかかる。


 花祝の実家には十人ほどの使用人がおり、乳母めのとことが身の回りの世話をしてくれていた。

 毎日の着替えも琴が手伝ってくれていたけれど、育ての母である琴の雑な手つきとは違い、宮仕えの小雪の手つきは綻ぶ花に触れるがごとく優しく、しかもあれよあれよという手際の良さで真新しい単衣ひとえ(肌着)と龍袿を花祝に着せ、表着の上から引腰ひきごし(飾り紐)の華やかなを履かせ、仕上げに綾織の唐衣を羽織らせた。


「花祝さま、いかがです? 新しき龍侍司として、襲を纏ったご自分のお姿は」


 額に滲む汗を満足げに拭った小雪が、いそいそと花祝の前に姿見を用意する。


「まるで幻を見ているみたい……こんなに豪華な装束を纏っているなんて、これは本当に私なの?」


「ご自分で選ばれた色目だけあって、よくお似合いですわ! 唐衣からのぞく龍袿の色目が、まるで桜花の宴のように艶やかで素敵。花祝さまは元々が可愛らしい見目ですし、これで紅をさし直せば、かの彗舜すいしゅん帝の御前でも恥ずかしゅうございません!」


「彗舜帝……」


 花祝の暮らしていた坂東の田舎でも、自国のおさである帝の噂は聞き及んでいる。


 数え二十にして一昨年の冬に先帝より譲位を受けた彗舜帝。

 秀麗にして寛雅、清涼にして優美と形容されるほど素晴らしいお方だそうだが……。


「小雪。陛下が即位なされて一年以上経つというのに、未だに寵姫のお一人もいらっしゃらないというのは本当?」


「まあ、坂東にもそのお噂が届いておりましたか。そうなんです。先帝が有力貴族の美しい姫君達をいくら入内じゅだいさせようとしても強く拒まれているそうで……」


「帝でありながら世継ぎのことをお考えにならないなんて、少し変わったお方なのかしらね」


 龍侍司は帝に侍り、邪気から守るのが役目。

 願わくば、あまり気難しいお方でなければよいのだが、と花祝は思う。


薫物たきものは “華やぎ” にして正解でしたわね。伝統的な黒方こくぼうと迷いましたけれど、花祝さまの瑞々しい美しさには、やはりこちらの方が相応しいですわ」


 まるで自分が帝に拝謁するかのように張り切る小雪に気圧されるまま、柘植つげの櫛で黒髪を丹念に梳かされ、首までの白粉おしろい、唇に紅をのせられる花祝。


 そうこうしているうちに、菖蒲が再び襲芳殿に現れた。

 己の後継者である花祝の晴れ姿に目を細めつつ、花祝と小雪、そして数人の女官を引き連れ、 “代わりの儀” が執り行われる紫辰殿ししんでんへと向かった。






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