一、 遣わしの女、新しき龍侍司となりて今上帝に目通りしけること

一の一


「わ……あっ! まるで絵巻物の世界に入り込んだみたいだわ!!」


 龍侍司りゅうじのつかさを務める菖蒲あやめの案内を受け、襲芳殿しゅうほうでんの奥の一室を覗いた花祝かしくが、かくも乙女らしい感嘆をもらした。


「本日より、ここがそなたの居室となります。室礼しつらえは整えさせてありますが、不足や不具合があれば、そちらの小雪に申しつけなさい」


 菖蒲の視線を追って、花祝が振り返る。

 と、内裏だいりに上がってからずっと三歩後ろを付き従っていた若い女官とぱちりと目が合った。


 数え十七となった花祝と同じくらいであろうか。

 新しい主人と視線がぶつかったことで、小雪は恐縮したように俯く。

 けれど、京に入る前の自分よりもよっぽど美しい身なりをした彼女が自分付きの女房であるなど、むしろ花祝の方が恐縮してしまう。


「田舎者の私には、わからないことだらけだわ。小雪さん、これから色々教えてくださいね!」


 互いの緊張をほぐそうと、花祝が小首を傾げて微笑みかけると、はっと顔を上げた小雪は頬を染め、慌てて一礼で応えた。


 十二年前、自身が初めて参内さんだいした時のことを懐かしく思ったのであろう。

 初々しい二人のやり取りを見つめる目元に柔らかさを滲ませた菖蒲だったが、自らの責務を思い出すと、咳払いを一つして場の空気を引き締める。


つかわしどの。さっそくですが、そなたの “かさね” が整い次第、帝の御前にて “代わりの儀” を執り行います。襲の着付は小雪が心得ておりますゆえ、そなたは新しき “龍侍司 ” として、このき日に相応しき色目をお選びなされ」


「はっ、はい!」




 “遣わし” として生まれてきた自分が、いよいよ “襲” をまとう時がきた────




“襲” とは、この世でただ一人、龍の通力を持つ女の遣わしだけが纏うことを許された、五衣唐衣裳いつつぎぬからぎぬものことである。


 宮中の女官の正式な装束で、俗に十二単じゅうにひとえと呼ばれるもの。

 ただし、龍侍司のそれは、龍の “残零ざんれい” によって染められた龍袿りゅうけいを幾重にも重ね着したもので、邪気を退け空気を清める力があるとされる。


 物心ついたときから、将来の龍侍司りゅうじのつかさとして自分の果たすべき務めをさとされてきた花祝だったが、実際に龍袿を目にしたこともなければ、かさねを纏う自分の姿など想像すらできなかった。

 いよいよその時が来たのだと思うと、雲の上の存在である帝に拝謁する以上に、龍侍司の任を受けることに胸の高鳴りと緊張を覚える。


 着替えの終わった頃合いで迎えに来ると言う菖蒲を見送った後、花祝は真新しい畳の香りのする部屋に足を踏み入れた。


 広い板の間には、目隠しや間仕切りの役割をする美しい几帳きちょうがいくつも点在している。

 その間を縫うようにして奥に進むと、衣桁いこうに掛けられた紅緋べにひの艶やかな唐衣からぎぬが目に飛び込んできた。


「わああ……綺麗!」


 見るもの全てが眩しいほどに豪華絢爛。

 坂東ばんどうの下級貴族の家で育った花祝には、まさに絵巻物の世界に迷い込んだかのよう。


「綺麗」「すごい」以外の語彙を完全に失っている花祝のきらきらとした笑顔は、同い年の女主人と上手くやっていけるだろうかという不安を密かに抱いていた小雪の心をふわりとやわらかくした。


「遣わし様。さっそくお着替えをお手伝いさせていただきます」


 目の前の豪華な唐衣に目を輝かせている花祝の背後から小雪が優しく声をかけると、坂東の実家から持たされた地味なうちきを羽織った花祝の肩がぴくんと跳ねた。


「あの、私、“遣わし様” なんて呼ばれるの初めてなんだけど……。宮中では、これからもそんな風に呼ばれるんですか?」


 居心地が悪そうに苦笑いを浮かべる花祝。


 心情が素直に顔に出てしまうこの少女が、宮中でも特殊な立ち位置の龍侍司を向こう十二年も務め上げられるのであろうか。


 数え十二からすでに五年もの間、宮中のさまざまを見てきた小雪の心に一抹の不安が浮かぶ。

 が、それと同時に自分が矢面に立ってこの純朴な主人を守らねばという使命感がふつふつと湧いてくる。


「宮中では女官を官職名で呼ぶのがならわしなのです。あなた様はまだおおやけの官職を授かっておいでではないので、そうお呼びすることになろうかと……。ですがこの後、花祝さまが正式な龍侍司になれば——」


「そうっ! それっ! 身近にいるあなたには、せめて名前で呼んでほしいの。そうでないと、今まで暮らしてきた環境と何もかもが違いすぎて、自分が何者なのかわからなくなっちゃいそう」


 すがりつく花祝の栗色の瞳が頼りなげに揺れている。

 宮中の華やかさにはしゃいでいるばかりと思っていたけれど、親元から遠く離れてひとり大役を果たさねばならない少女の心細さと重圧は、そう簡単に覆い隠せるものではないのだろう。


「わかりました。畏れ多きことにございますが、これからはあなた様を花祝さまとお呼びいたしますわ。わたくしのことは “小雪” と気安く呼んでくださいね!」


「うんっ! 小雪、どうか末永くよろしくお願いします!」


 ほっとした表情で微笑む花祝に笑みを返して頷くと、小雪は唐衣の前へと進んで膝をつき、その横に置かれた葛籠つづらをそっと開けた。


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