第7話 何でも屋にて、顛末

 古いビルの階段をにぎやかに上がってくる足音がする。あれは家主の麦さんの足音だ。どうしたらあれほど重量級の音が出るのか不思議でならないが、とにかく、「どすん、どすん」という音を立てて上がってきて、ひと呼吸ついて戸を開ける。ノックをするというデリカシーはないらしい。

「ちょっと、聞いたわよ、いっちゃん」

 一華を言っちゃんと呼ぶのはこの人だけだ。

 白い割ぽう着姿なのは、仕事の最中抜け出してきたせいだろう。とれかかったパーマが三角巾からだらしなく出ている。年齢不詳だが、多分、70は超えていると思われるが、実に若々しい。

 好奇心に頬が赤くなり、目はらんらんとしている。

「そうですか」

 それに対して一華は顔色が悪く、長い髪はひっつめただけで、化粧っ毛などまるでない。

 一華は煩そうに目の前のノートパソコンの画面を見ている。それを麦さんが覗き込み、

「またゲーム? そんなの良いから、ねぇ、話してよ。どうなったって?」

「何がですか、」

「ほら、うちの焼き立てのパン持ってきたからさぁ」

 と、勝手知ったる何とやらで小さな台所でお茶を入れ、座ったままの一華をキャスター椅子ごと引っ張り、ちゃっかり応接セットの椅子に腰かけ、焼き立てだと言ったクロワッサンを一華に差し出す。

 麦さんは、このビルの一階で「ベーカーベイカー」というパン屋を開いている。

 なんと楽しそうな顔で待っているのやら。

「何を聞きたいんですか?」

 根負けしたように一華が言うと、

「あれよ、行方不明の奥さんが見つかったって話」

「あぁ、空き家の怪?」

「空き家の怪?」

 別の声がする。自分でコーヒーを入れ、麦さんのパンを取りに来た、派手なスーツ姿の田中 実だった。

「赤毛組合かと思っていたが? 団地やら、番地やら、名前までも赤いから」

「あたしは、依頼人というか、近所の奥さんたちの話しで空き家の怪だと思っていたけどね、」

「そんなのどっちでもいいわよ。で、どうなったのよ」

「どうなったって、解決しましたよ」

「解ってるわよ。なんで解決したかって話よ。というか、そもそもなんでそんなところに居たのよ、」

「あぁ。別件の帰りですよ。猫の捜索。で、歩いていたら、紅葉団地、赤西何丁目、赤坂病院。って看板見つけて、随分赤い場所だと、面白いでしょ、そこまで赤いと。それで、面白いことでも起こらないかと思って入っていったんですよ」

「知らない団地に?」

「まぁ、運動と思って」

「(風変わりな子だわ、相変わらず)それで?」

「そしたら、近所の人が集まって、おかしいわよねって話してるんで、少し遠巻きに聞いてたんですよ。奥さんたちが団地内案内地図の側で会話してたんで、別段怪しまれなかったですけどね、

 奥さんたちの話しによれば、赤井さんちの奥さんてのが、半年前に亡くなって無人のはずの家に、最近人の出入りがあって、それから夜になると明かりが点くって。昼間に見たことのない男が台所にいるのを見たって話でね、ホームレスが棲みついたのかもと、連絡しようかと相談していたんですよ」

「お人好しのホームレスね、新聞に書いてた」

「お人好しねぇ。まぁ、そうなんでしょう。

 そこで、奥さんたちに、ホームレスがそうやって空き家に棲みつくのか聞いたら、初めてだけど、ちらっと見た男が川原に居たホームレスに似てるっていうんで、―何で判ったって? 結構偏屈な人で、近くを歩くと舌打ちしたり、睨んだりする人だったようでね、それで何人かが覚えていたらしいんですよ―

 炊き出しして情報を得ようと思って、行ったら、一週間前に居なくなったホームレスがいるって話を聞いてるときに時、その本人が戻ってきて、荷物がすっかり処分されてパニックになってて、それで話しかけたんですよ。

 長幹ながよしさんていうんですけどね、長幹さんから聞いた話ではなんだか家に居させようとしている感じを受けて、」

「そうなの? どこが?」

「昼間、出歩くな。まぁ、近所の目もあるのでこれは良いですけど、主である赤井 良介がいるように明かりは点けていいけど、姿を見せるな。差し入れやら、常備していた缶詰なんかがご丁寧すぎてね、」

「そういうのは親切。ってとらないのね?」

「仕事をしてもらうのに、お金を取らずに―天引きという形でね―衣食住のうち二つを与えるのは親切というより、他の対価を考えませんか? 飯屋でのまかないじゃあるまいに、光熱費ですら出してもらったそうですしね」

「まぁ、なんて境遇の良い、」

「そうでしょ? それで日当一万。いつ起きても、いつ寝てもいい。しかも、大好きなギャンブル放送は見放題。家にいるだけで酒だって飲めるんですよ」

「だとしても、ちょっとぐらい出掛けたり、おかしい話だって思わなかったのかしらね?」

 麦の質問に、実が答える。

「長幹は、サボりがばれてリストラ、ギャンブルと酒で離婚してホームレス。ホームレスになってから、好きなだけ酒もギャンブルもできていなかったんで、欲求がたまっていた。だから出て行きたくなんかないでしょう」

「それに」一華がお茶を飲んでパンを流す。「たとえ家の中のものに好奇心がうずいても、建付けの悪い戸を開けて、隙間を作ったら、毎日やって来ていた田村に何を言われるか解らないし、自分より若い男が必死で開け閉めをしているところを見て、開けようとは思わなかったんでしょう。変な物音とかしない限りはね」

「でも、隣の部屋にあった地下室に居たんでしょ? 奥さん」

「そう。

 長幹さんは少し耳が遠い。普段の生活に支障をきたすほどではないけど、かすかな音の反応が悪い。そのうえで、好きなギャンブルチャンネルを見ているから、人の声というより、。ぐらいにしか思わなかったそうですよ。ただし、捜査員が行って聞いた限りでは、ちゃんと、助けて。と聞こえたらしいけどね」

「まぁ、年取ると耳が遠くなるからね。でも、なんでそんな地下室の隣なんかの部屋に住まわせていたのよ、もう少し離れたところなら、もっとよかったんじゃないの?」

 麦さんの質問に、一華は三つ目のクロワッサンを手にしながら、

「お前食いすぎだぞ」

 実に舌を出し、

「台所と、その隣の風呂、トイレの確保は住むうえで重要でしょう? そのうえで、台所の隣だけはもともと、使っていたこともあってきれいだし、一人暮らしなら便利な部屋ではあったんですよ。

 だけど、さと子さんの声が聞こえる。だけど、それは本当にかすかで、よほど気にかけていないと最初は聞こえないらしいので、それに近い音を出して、長幹さんが反応しないので、家に連れて行く、もし、何かしら声に反応したら、後で登場する赤井が別の人を見つけたとでも言って断るつもりだったんでしょうけど、全く気付かないので、長幹さんに決まった。というわけですよ。

 長幹さんは、犯人たちにとって、。わけですよ。

 地下室はもともと食料を保管しておくために掘ったらしいので、台所の側にあるんですって」

 一華はおいしかったと手を合わせ、椅子の背もたれに身を預けた。

「なんで? そんな面倒なことをしたの? 新聞では、遺産を巡ってのやり取りがどうとか書いてたけど?」

「なぜ、他人を住まわせたのか? 地下室の声を気づかれて警察に連絡されるという危険を冒したのはなぜか? そこがこの犯人たちの悪知恵というか……。地下室に監禁されていたのは、赤井 さと子さん。良介の奥さんで、あの家はさと子さんの実家。二人は別のところに住んでいたんだけど、離婚調停中。というか、離婚成立したと思うけども。離婚が成立する前に、良介はさと子さんから名義変更を取り付けたかった。

 そこで監禁してサインさせようと思った。ちょうど監禁するにはいいぐらいの地下室がある。だけど、そう思ったはいいけど、サインをさせるまであの家に住む気になれない。かといって、何かの拍子に監禁がばれたら、捕まるので、その時のためのダミーが必要になる。それが長幹さん。

 近所の人には、さと子さんか、良介がいるように思わせるために、昼間姿を見せるなと言い聞かせる。買い物に出歩かれても面倒なんで、酒を買い与えておく。そのうえで、ずぼらな人間が家から出ないエサ、ギャンブルチャンネルを与えれば、そう出て行くわけないだろう。その間に、さと子さんにサインをさせればいい」

「サインをさせたらどうするの? あれは無効だっていえば、」

「だから地下にそのまま放置」

「でも、そうしたら、」

「死んで、その腐臭に近所が通報する、住んでいた長幹さんが不法侵入、監禁、殺害、で捕まる。いくら長幹さんが話したとしても、毎日やって来ていた田村は別の町で目撃されているのだから証拠にならない。第一、指紋は長幹さんのものしかないんだから」

「手袋ね」

「アルバムか何かを探す。と言って軍手をしていたんで、気にしなかったらしい」

 一華はお茶を飲んで、ほぅ。と息をつく。

「でも、なんで長幹さんだったのかしら? 他にもいたわけでしょ?」

「それは、長幹さんが、超簡単だったからですよ」

「超簡単?」

 一華が笑いながら、「長幹旦」と書く。

「チョウカンタンて読めません? まぁ冗談ですけど。長幹さんの性格でしょうね。犯人は三人いたんですけど、主犯格の赤井 良介。さと子さんの夫ね。ギャンブル仲間の田村と吉田。この吉田が、ホームレスに近づいてあまり馴染んでいない人、その人の性格なんかをリサーチしてたんですよ。

 馴染んでいないと一人でいることが多い。計画が計画なんで、あまり多くの人に関わってほしくなかった。あと、一人でいる人は誰も心配しませんからね、自分の話しをしないから、何かいい職でも見つけたんだろう。ぐらいで終わり。探されることはない。

 そのうえで、長幹さんの耳が少し遠いことを発見した時には、神が味方した! ぐらい思ったんじゃないかしらね。家に行き、さと子さんが騒いでいる声が聞こえても長幹さんは全く聞こえていない。でも、もしかすると自分たちが帰った後で家探しをするかもしれない。毎日ドキドキだったでしょうけど、想像以上に長幹さんはどうしようもない人だったわけですよ。

 大卒の自分をリストラした会社が悪い、自分を捨てた女房が悪い。というのが口癖だったようなんで、あなたに管理人なんて仕事を任せるのは悪いが、いかんせんこのご時世では、大卒者は貴重だし、その人が管理をしてくれるなら、なんとかかんとか、まぁ、。と持ち上げれば容易く落ちると解ってるから、それはそれは下手に出たんでしょうよ。

 そして、長幹さんは自分の性格をすっかり見透かされ、手の平で転がされ、危うく、監禁殺人犯にされるところだった。というわけですよ」

「結局サインは書いてもらえなかったのね?」

「いいえ、事件が発覚する前日に書いたようですよ。でも、それが土曜日。ああいうものは土、日休みですからね。長幹さんが警察署に出頭を渋ったら、もしかすると計画が実行されたかもしれないけど、腑抜けになっていたんで、ほぼ無理やり連れて行ったんで、早い段階で手を打てて、月曜の、営業開始と同時に赤井 良介がやってきたところを捕まえたんですよ」

「警察もすぐに動いたのね、確証もないのに、」

「ん? 通報は近所の人のようですよ、長幹さんが早朝出掛けるのを見て、やっぱり通報しようということになって、それが一人が通報したのではなくて、ご近所さんが一斉にしたらしいので、これは何かある。って数台のパトカーがやってきたらしいです。まぁ、ご近所さんの中には、さと子さんのうめき声を聞いた人もいたようですしね」

 麦さんは納得したように頷いていたが、

「なんかごちゃごちゃしてたのよね? 足がつかないように」

「あぁ名前を変えていたんですよ。長幹さんに田村と言った人が赤井 良介だったんです。まぁ、家に出入りする姿を見られても、あれはさと子さんの亭主だと近所は納得しますからね。それに、サインをもらわなくちゃいけないのでね。でも、そこで良介が出入りしていたと長幹さんが証言したら、良介がすぐに捕まる。そこで、田村だと名乗る。本物の田村は実はすごく若くて、吉田というホームレスに扮して長幹さんに近づいていた。そして、赤井 良介に扮していたのが吉田という、まぁ、三人ともギャンブル仲間で、借金持ちなんでね、悪知恵も、三人寄れば何とやらで出たようですよ」

「それで、その後長幹さんは?」

「自分の性格が単純で、大卒が役に立たないと解ってかなりへこんでいたようですね。そもそも、大卒なら、こんな話が存在するわけないと思わなかったのか。とかそういうことを言われたようでね、とにかく仕事を見つけて生活を改善したらどうかと諭されて保釈されましたよ」

「今も、ホームレス?」

「さぁ? そこは興味ないので」

「冷たいわね」

 麦はそう言ってコップなどを重ね片付けようとしたが、首を傾げる。

「まだ、何か疑問でも?」

「ええ、あるわ。いっちゃん、あなた依頼料は? というか依頼受けたの?」

 一華は麦さんのほうを見てほほ笑む。

「家賃だってタダじゃないんだからね、ちゃんと仕事しなさいよ、

 そう言って麦さんは出て行った。

 どすん、どすん。と音をして降りて行く。

「今回は仕方ないじゃない、だもの」

「やっぱりあれだな、赤毛組合。がいいな」

 実がコートを羽織りながら言う。

「出勤かい?」

「ああ、ディオゲネス・クラブのNO1ホスト、ヒカルさんの同伴時間なんでね」

 と言って出かけた。

「ディオゲネス。ディオゲネス。変わり者のディオゲネス。変わり者のホストクラブのNO1……あほらしい」

 一華はそう言って自席のパソコンでそのままにしておいたゲームをするためにマウスを動かした。

「赤毛組合? やっぱり、空き家の怪が妥当じゃないか? ま、どうでもいいけど」

 冬の日暮れは早く、すでに薄暗くて寒さが押し寄せてきた―。

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「赤髪組合」をもう一度 松浦 由香 @yuka_matuura

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