第70話「なんてこった、寝てやがる……」

「(お兄ちゃん、もうちょっと右……!)」

「(え? ど、どこ?───うわわッ!)」


 へっぴり腰でロープを伝うビィトをエミリィが誘導している。

 薄暗い空間で、垂直に近い煙突を下るのはかなり怖い……。

 足掛かりとして壁に突っ張ってはいるものの、余り体重をかけると大きな物音をたてそうで慎重にならざるを得ないのだ。


「(ひゃ?!───だ、大丈夫?)」

「(う、うん……焦ったよ───)」


 足が滑り、ロープを危うく手放すところだった。

 落ちても、即死するほどではないが、大怪我は免れないだろう。


「(あ、あと少しだから頑張って!)」

「(わかった………………)」


 ダラダラと脂汗を吹き出しながらロープを下るビィト。


「(はい──────到着!)」

「(ふぅ………………疲れたよ)」


 はーーーーーー……。

 垂直の壁は苦手だよ。


 汗を拭いつつ周囲を見渡すビィト。その横でエミリィが慣れた様子でロープと器材を片付けている。


「(ここは?)」

「(んー? 多分、書斎なのかなー?)」


 エミリィの言う通り、周囲には本棚のようなものがいくつか立ち並んでいる。


 ビィト達が下った先は、城の部分で言えば書斎───あるいは図書館といったところだった。


 巨大な暖炉を抜けた先には、本こそないものの、かなり大きな本棚がズラリと並んでいる。

 おそらく、大昔は巨大な本が並んでいたのだろう。

 だが今は痕跡のみで、風化したボロクズがあるだけのみ。棚自体はガラ~ンとしている。


(実際に本があれば圧巻だったろうな……)


 魔術師らしく、知識欲が刺激されるビィト。しかし、本の行方についてはようとして知れず───。

 ……案外、オーガの連中が便所紙にでも使ったのかもしれないけどね。───っと、どうでもいいことを考えているな。


 ビィトがぼんやり周囲を見渡している間に、エミリィは探知スキルでオーガの気配を探っていた。


 既に小声で話しているのは、先行したエミリィから事前にオーガの存在を聞いていたためだ。


 そっと暖炉の中から室内を窺うと数体のオーガの気配。ビィトでも感じ取ることができるほど盛大に鼾をかいていらっしゃる。


「(寝てるね……)」

「(うん……。この部屋だけで10匹ほど、かな?)」


 エミリィは捜索のため一度この部屋に降りていた。その際に簡単に周辺の安全確認をしていたという。


 それゆえ、ビィト以上に油断のない足取りでそっと暖炉の陰から出る。


 チョイチョイと、手招きするエミリィ。

 どうやら、ついて来いと言う事らしいが───。


「(エミリィ?……いっそ、倒しちゃった方がいいんじゃない?)」

「(……無理無理! 外にもいっぱいいるんだよ)」


 む……。


 そうか、下手に攻撃を仕掛けて騒ぎになればここの10体だけでなく、外にいる個体も増援として押し寄せるわけか。


 この区画はビィト達が激等を繰り広げた『台所』からかなり離れているので、コイツらはのんびりと寝ているのだろう。


 だが、一部区画で大騒ぎがあったのは紛れもない事実で、その騒ぎを起こしたのがビィト達だ。


 下手にコイツ等をつついて大騒ぎになれば、先の騒ぎの集団も合流して収拾がつかなくなる恐れもある。


「(了解───……静かに行こうか)」


 コクッ、と小さく頷き返したエミリィ。その後ろに従う形で、ビィトもそろりそろりと暖炉の陰から出る。


 背に担った大荷物がつっかえそうで慌てたものの、幸い大きな音を立てることもなかった。


「(シー! 静かに……)」


 エミリィに怒られちゃった……。

 ビィトの背には大量の物資がある。事前に梱包を工夫しておいたお陰で大きく揺すらない限り音は出ないだろうが、慎重に行動しないとならない様だ。


 エミリィが購入したジャム瓶やナイフなどの金属が荷物の中でぶつかり合えば思わぬ大きな音が出ることもあり得る。


 それを想像して冷や汗をかくビィト。


「(大丈夫───アイツらを大きく迂回していくから)」


 エミリィは既にこの区画を探索したのだ、ルートにもあたりをつけているらしい。


 オーガが何処で寝ているかも把握しているようだ。


 そろそろ~と忍び足だが、存外しっかりとした足取りで歩いていく。

 その後をついていけば確かにオーガの鼾は聴こえるものの、間近に聞こえると言うほどではない。


 この書斎の中で寝ているオーガもある程度、固まった位置にいるのだろう。

 それでも冷や冷やした面持ちでビィトは進んでいく。


 頼むから起きてくれるなよ──────。そう思いつつ、


「(待って! 止って!!)」


 エミリィが突然制止する。


 ──────ッ!

 ───……ッ!


「(遠くで声が……。声が聞こえる?!)」

 探知スキルを最大限に伸ばしているのだろう。ビィトも身体強化の魔法で聴覚を伸ばしてみる。


 しかし、エミリィ程の聴力は望むべくもなく───……。

 微かに耳朶をうつ音が聞こえた程度。


 だが、エミリィは違う───。

 

「(これって……女の子の声?……それに悲鳴───……もしかして、これは?)」


 え───?

 お、女の子? ってまさか、


「(………………リスティ?!)」

「(シー!! 静かにしてってば)」


 エミリィに口を押えられなければ叫んでいたかもしれない。

 それほどに驚いた……!


 こんな僻地の派生ダンジョンの奥に女性冒険者なんていくらもいないだろう。

 ビィトの脳裏に思い浮かぶのは二人の冒険者。

 リスティとリズ───。


 そして、リズが悲鳴をあげるとは思えない。ならば、消去法でリスティしか、いないわけだけど……?


 ここまで来て、リスティが悲鳴を上げるような事態になっているなんて、一体何が?!


 ま、

 ……間に合うか?


「(な、何があったか分かる?)」

「(わ、わわわ、わからないけど───……喧嘩しているみたいに聞こえたよ)」


 そう言って、牙城の端───尖塔がある方向を指さす。


 ……やはり、ジェイク達だろう。


「(ただの喧嘩だといいんだけど……! い、急ごう!)」

 喧嘩がいいわけではないが、オーガに襲われて苦戦というよりはよほどいい。


 もっとも、ジェイクがオーガくらいで後れを取るとは思えないけど……。


「(わかった───最短ルートでいくね)」


 心持早く歩き出したエミリィ。

 ビィトも望むところとばかりに追従する。


 いまさらオーガくらいに怯えはしない。


 無数の本棚が屹立する中を早足で抜けていくと牙城の外壁にほど近い所に出た。

 ビィトでもわかるほど水の匂いがする。


「(ここを出ればあとはずっと回廊があるだけだよ。上手く隠れていけば戦闘は避けられるかも───)」


 書斎の壁にピッタリと体を寄せて、エミリィは部屋の外を窺う。

 相変わらず書斎の中ではオーガどもが鼾をかいているが、起き出す気配はない……。


 いや、あれ?

 なんかおかしいぞ……。


「(な、なぁエミリィ?……さっきのその───)」


 悲鳴? 喧嘩? 

 ……女の子の声って───。


「(ん?)」

「(お、俺や、エミリィに聞こえたってことは、結構な大声だったんじゃ───……)」



「(……………………あッ!)」


 傍と気付いたエミリィ。

 だがもう遅い───。



 ここは悪鬼の牙城。

 腹をすかせたオーガが冒険者を喰らわんとして昼夜うろついている。


 そんなとこで、大声をあげたらそりゃ───……。




 グルァオォォオオオオオオオオオオオオ!!!




 やっぱり…………───!

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