僕 私 2
2
「涼介、この間美里のことずっと見てたでしょ」
大学の講義中、不意に隣に座る真由美から予期せぬ質問を受けた僕は「へ」と間抜けな声を上げた。それは自分で思っていた以上に大きかったらしく、真由美と二人で僕を挟むように隣に座る修二が手を口に覆い被せて笑う。
「なんだよその声」
「いや、急に変なこと真由美が言うから」
戸惑った僕は少し目を泳がせながら修二に訴えかけるけれど、それをまともに取り扱ってくれるような雰囲気ではなかった。
「だって、お前あの日美里ちゃんのことずっと見てたし」
見てたと言われれば実際に見ていたのだけど、僕の見てた、はそういう見てたじゃない。きっとそんなこと言っても二人には通じるはずもないから、僕はこの話が自然に流れるのを待った。
サークルの中でも、僕と真由美と修二は比較的講義を受けているほうだと思う。芳也なんて来てもいないし、美穂はバイトに明け暮れ単位ぎりぎりにならないと講義に出ないと豪語している。
さあ、普段道理真面目に講義を受ける感じに戻ってくれと願ってみたけど、その願いは儚く散った。
「気になっているなら連絡先教えてあげようか」
「え」
少し眉間に皺を寄せた僕とは対照的に、真由美はにやにやと口角を上げて僕に訴えかける。
「いいよ。そういうんじゃないし」
小声で否定してみるけど、僕の意思なんて関係ないかのように「でも、一応連絡先送っとくね」と真由美ははにかんだ。
じゃあ、なんでそんな聞き方したんだよと言いたくなるけど、講義中なので口を閉じた。
「連絡だけでもしてみれば」
「いいよ、僕の事なんて覚えてないだろうし」
「隣に座ってたし、それはないって」
「俺が連絡してあげようか」
「いいって」
修二はなんだか嬉しそうだけど、正直それはただのおせっかいにすぎない。僕はそんなこと望んでいないのだから、それを手助けするような真似は別に僕の為でも何でもない。
粛然とした雰囲気の講堂内で僕らだけ異質だったのか、教壇で話す教授の視線がこちらに向いたことに気が付く。僕はすっと二人に視線をやると、二人もそれに気づいたのか、普段通りの授業スタイルに切り替えた。こういうところを見るとやっぱりさすがだなと思う。
講義の時間は残り二十分。集中してメモを取り出したふたりを見て僕はそっと胸を撫で下ろす。良かった。これで悪乗りも終わりだ。美里さんの連絡先はもらったけど、それだけで僕から何もしなければ今のやり取りなんて存在しなかったように消える。そして僕はこの講義の後バイトがあるので、終わってから二人に詰められることもないだろう。そう思うと僕も安心して講義を聞くことができた。
講義が終わると、僕はそそくさと「バイトがあるから」という決まり文句を引っ提げて二人に別れを告げた。
別れ際、修二から「ちゃんと連絡しておけよ」と言われたけどそんなことする訳がない。きっと僕から連絡があったところで、美里さんにとってもそれは迷惑極まりないことだろう。
大学を出て、僕はバイト先の焼き肉屋に向けて足を進める。この時間まで講義あるときは少し急ぎ足で向かわないと十七時半のスタートのバイトに間に合わない。速足になりながら左腕に着けた時計に目をやる。時刻は十六時半。辺りが暗くなり始めていたから少し遅いかと思ったが、まだまだ時間には余裕があった。一息つくように足を緩める。普段は誰かと少し話してから大学を出るけれど、今日はあの話題から逃げるように大学を出たから、その分時間に余裕があった。
このままバイト先に行っても早すぎるから、徐々に明かりが灯しだした街並みをゆっくりと歩く。
二月。春の暖かさを待ちながら、透き通るような寒さで、明るく光る街全体を包み込むこの時期に僕は、寒いけれど暖かい。といった優柔不断な感想を抱いていた。
バイト先の焼き肉屋は大学から歩いて三十分のところにある。電車でも使ってすいすい行ってしまいたいものだけど、大学自体が駅から距離がある上、バイト先も駅から離れているものだから結局歩いて行った方がいいという結論に至った。
大学一年の僕に、どうしてそんなところを選んだんだと問い詰めたくなるけど、上京してきて友達のいなかった僕があえてこの場所を選んだのは他でもない。ここなら誰ともバイトが被ることはないだろうと、至極消極的な理由で過去の僕はここを選んだのだ。
それでも、この道を歩くのは嫌ではなかった。途中、河川に沿って木が生い茂る並木道を通る。僕は地元の風景を思い出させてくれてくれるこの道が好きだ。
今日のバイトは十時まで。平日だし、そんなに人も来ないだろうと気楽に考えながら、バイト先にユニフォームに袖を通した。
まだお客さんが来るような時間ではないので、ホールに立ちながらぼーっとお客さんが来るのと時間が立つのを待った。忙しいのも嫌だけど、何もしていないこの時間は余計に時間の進みが遅く感じるから嫌だ。
入口のベルが鳴ると同時に「いらっしゃいませ」と声を張り上げた。そこからちらほらと来店するお客さんが増えてきて、僕が次に時計を見た時はもう二十一時半を超えていた。
あと少し。そう思い僕は少しずつ店内の片付けを始める。余程のことがなければ定時で上がらせてくれるので、僕は店長の「上がっていいよ」との声をしっかり聞いて、帰り支度を始めた。
外に出ると、刺すような寒さが僕の頬を撫でる。一歩足を踏み出すのを怖気づくほど、二月の夜は寒い。
マフラーで口を隠すくらいに巻いて、また自宅まで三十分ほどの道のりを歩く。途中、コンビニで今晩食べる焼肉弁当を買った。バイト終わり、毎回この焼肉弁当を買って帰るのが僕の中で楽しみになっている。これを食べながら、スマホで動画を見るのが至福のひと時だ。
寒いし、早く帰ろう。冷めないようにと焼肉弁当を背負っていたリュックに入れて、僕は速やかに自宅を目指した。
帰る道中、僕は一か所だけ、できたら通りたくない場所がある。大学からバイト先に向かう時は通らないのだけど、自宅へと曲がった道の先にある公園が僕はどうしても好きになれない。昼間はいいけど、夜は街灯も少なく、少し薄気味悪い小さな公園。バイト帰りにここを通るとき、僕は公園の方に目を向けず、そそくさと通り抜けている。
その公園を前にして、今日も早く通り抜けようとした矢先、僕は一瞬ドキッとしその場に立ちすくんだ。普段なら昼間でも人のいないような公園なのに、今日に限ってベンチに人影が見えたのだ。ここから丁度横顔が見えそうな位置に座っている。何となく、恐怖と興味が混在した心の中で、ほんの少しだけ興味が勝ったのがわかった。
そっと公園の方へ体を向け、その横顔を見つめる。もしかしたらこの世のものではないかも知れないその人物を一瞬だけでも見たいと思った。
しかしその横顔は、僕がついこの間見たものと瓜二つに見えた。
あれ、美里さん・・・・
僕が見た横顔は、この前飲み会で見たものと同様に、彼女ものだった。そしてまた、あの時見せた暗い影のある表情を浮かべながら、何をする訳でもなくそこに座っている。
一瞬、迷った。
もしかしたらこのまま放っておいた方がいいかもしれない。何か考え事をしていて、僕なんかが行ってもどうにもならないかもしれない。
それでも、何か力になれることがあれば、と導かれるように彼女の元へ足を運んだ。そこにあったのは彼女への思いか、それとも自分のエゴか、正直なところよくわからない。
正面に立つのは気が引けたから、ベンチの斜め横くらいから「美里さん?」と少し小声で声を掛けた。
声に驚いたのか美里さんは肩をびくっとさせ、ゆっくりと顔を後ろに向けた。
「ごめん、驚いた?」
僕が声を掛けても美里さんは目をぱちくりさせるだけなので、ああ、きっと覚えていないんだろうな、と僕は少し肩を落とす。
ほんの一瞬、沈黙が生まれた後、美里さんはこの前と同じ笑顔を見せ、「あ、涼介君」と声を発した。
良かった。覚えていてくれたんだ。と嬉しくなった僕が軽くはにかむと、美里さんはわずかに無間に皺を寄せて「びっくりさせないでよ」と言った。
「ごめん、ごめん。もしかしたら美里さんかと思ったら本当にそうだったから、声掛けちゃった」
「本当にびっくりしたんだからね」
頬を膨らませながら言う美里さんは、小動物的な可愛さがあった。
「涼介君こそ、何してたの」
「バイト終わりにいつもここ通るんだよ。美里さんのストーカーしてたとかじゃなくてね」
「なにそれー」
美里さんはいたずらに笑顔を作り、僕を軽くはたいて笑った。つられて僕も笑ってみたけど、ぎこちないのが自分で分かる。きっと寒さのせいだろうと自分の中で勝手に言い訳をする。
一通り笑い終えた後、美里さんは何かついてるのかな、なんて不安に思わせるほど僕のかをまじまじと見つめる。先ほどとは打って変わって真剣な表情を見せるので少し恐怖すら覚えるが、美里さんはすぐに笑顔を作り言った。
「涼介君、この後時間ある?」
「あるけど」
反射的に「ある」と答えてしまったことを少し動揺していた。
「じゃあさ、今からご飯食べ行こ」
「え、ご飯」
「うん、どこがいいかな」
そう言うと美里さんは立ち上がり、「ほらほら」と僕を手招きしながら歩き始める。されるがまま、僕は美里さんについていく。
歩きながら、僕はさっきの焼肉弁当、リュックの中に閉まっておいてよかったな、なんて罰当たりなことを頭の中に浮かべていた。
愛、会い、哀、I 辻川優 @shimura
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