第1章 僕 私

 何十人もの声が響き渡る店内は、そこで一つの祭りが開催されているんじゃないかと思うほど騒々しい。

 もちろん客は僕らだけではないし、他の客も僕らと同じくらいにうるさい。

 

 「生ビールお持ちしました」と声を張り上げる店員に対し「ありがとうございます」と礼儀正しく挨拶をして中ジョッキを四つ受け取った。

 「これ頼んだの誰」

 

 ビールを掲げ、僕が声を張ってもなかなか反応がない。それもそのはず、みんな各々で騒いでいて、僕の声が簡単に通る訳がないのだ。

 仕方がないから自分の分だけ取って、他は頼んだであろう人物の近くに置いておく。サークルの飲み会なんてもう何回もやっているから正直誰が何を頼むかなんて大体想像できる。

 それなら最初から運んであげればいいじゃないかという話になるけど、長テーブルの端から端まで行くのは少し面倒だ。

 

 「おお、涼介分けてくれたの」

 隣と話していた北原芳也が手元にあるビールの存在に気づいたのか、酔って半開きの目を見せながら言う。

 「うん、ていうか、芳也もうきついでしょ」

 「まだまだこれからだってー」

 そういうと同時に、芳也はグラスの半分近く残っていたビールを一気に飲み干した。

 

 「おお、芳也いいねえ」

 芳也が飲み干すとどこかしらから、はやし立てるような声が上がる。それに悪い気はしないのか芳也は飲み干したグラスを掲げ、半開きの目を周りに見せながら声を上げて笑っている。

 

 「お、真由美もついたみたい」

 スマホを片手に、飲み会の幹事である西尾修二が言った。幹事なんて言っても、ただ同期のサークル仲間で行うこの飲み会は、誰が仕切るとかそういう形式に沿ったものではない。ただ、同期で飲んで騒いで、たまには先輩のぐちを言い合うような、そんなどこにでもある飲み会だ。

 「何か、真由美の友達もいるらしい」

 「可愛い子ならオッケーだって言っておいて」

 酔ってふらふらになりながら、芳也が声を張り上げた。それにつられて周りも叫びだしたので、僕もつられて声を上げる。

 もう、まるで動物園。そんな世界が僕の居場所であり、楽しみだった。

 

 いつも来るこの居酒屋は、座敷にテーブルを並べた形になっており、一つ一つが敷居で区切られている。人数の多い僕らはいつも六人用のテーブルを二つ合わせて十二人で使っている。今日は一人来れなくなって真由美も入れたら十一人だな、なんて思っていたけど、これでまた十二人だ。

 

 時刻は二十三時を回っている。それでも、土曜の居酒屋なんて、まだまだこれからだと言わんばかりの空気が流れている。

 

 僕が初めて居酒屋に来たのも、お酒を飲んだのも、このサークルがきっかけだ。高校時代サッカーをしていた僕は、大学入学と同時にこのサッカーサークルに入った。少しくらい体を動かせたらいいな、なんて思っていけど、それは大きな間違いだった。実際は週に二回活動する程度で、しかもそれもほとんどお遊びに近い男女共用のサークルだった。そしてその終わりには毎回飲み会を行うという、「大学生」と体現したようなサークル。正直、最初はすぐにやめようと思った。高校時代はどちらかと言うと真面目に生活してきたし、お酒なんて飲んだこともない。なにより、こういう雰囲気が苦手だった。

 それでも、今僕がここにいるのは、このサークルのメンバーが思った以上にいいやつだった以外に何もない。今では僕を受け入れてくれたこのサークルが大好きだ。

 

 「ごめん、遅くなっちゃった」

 敷居を開けると同時に、真由美が申し訳なさそうに眉間を下げたまま、顔の前で軽く手を合わせる。

 「大丈夫、大丈夫、まだまだ始まったばっかりだってー」

 芳也が大げさに顔の前で手を横に振りながら言った。

 「いやいや、お前もう出来上がってるだろ」

 それに対して修二がすかさずツッコミを入れたところで一気に場の空気が明るくなった。

 

 修二と芳也はタイプは違うけど、二人ともこのサークルのムードメーカーだと思う。何となくだけど、この二人のどちらかがいないときは少し盛り上がりに欠ける。

 「真由美待ってたよ」

 声と同時に木村美穂が真由美に抱き着いた。

 「ちょっと何いきなり」

 真由美は美穂を話そうと手で押しのけているけど、その表情は全く嫌そうではなく、むしろ楽しそうだ。美穂も真由美がいなくて寂しかったのだろう。この二人は本当に仲がいい。

 

 「あ、ちょっと、美里おいでよ」

 振り向きざまに、真由美の友人らしき人の名前を呼んだ。僕はこのメンバーで満足してたのにな、なんて思いながら、それでも僕が真由美の友人を拒む権利はないので、従順に受け入れる準備はできている。

 「ねえ、これ本当に私が来てよかったの」

 困惑しているのか、緊張しているのか、僕たちの空間に顔を覗かせた彼女は真由美の顔をずっと見ながら話している。 

 それもそうか、急にこんなよくわからない集団の中に放り込まれて、混乱しない訳がない。

 

 「え、真由美より全然可愛いじゃん。もうこれは真由美とチェンジでいいんじゃない」

 嬉しそうな笑みを浮かべて、芳也は大げさに手を叩く。酔うと動作が大きくなるのが芳也の癖だ。

 「ちょっと、何言ってんの」

 真由美が軽く右手を振り下ろし、芳也の頬をひっぱたいた。「何すんだよ、本当のことを言っただけじゃ」と言った途中で、芳也はまたひっぱたかれる。芳也が真由美にひっぱたかれるのは、もうお決まりのノリの一つだ。芳也が真由美を茶化してひっぱたかれる。お互いに少し嬉しそうなのが、また微笑ましい。

 

 ふと、僕は、彼女の方に目をやる。

 彼女は軽く衝撃を受けた様に目を丸くしたあと、みんなにつられて笑っていた。きっと、きっとだけど、芳也が真由美を彼女を比較して茶化したのはこうやって彼女がこの空間に入りやすくするためだったんじゃないのかな、なんて考えて一人嬉しくなる。意外と芳也はそんな性格をしている。ぶっきらぼうだけど周りにきづかれないように気を使えるというか、そういう芳也を僕は一目置いている。

 

 僕は周りの人間観察が好きだ。客観的に人を見ると、普段気づかないようなことにも気付けるから。その人をもっと好きになれるから。

 「美里も座りなよ。こいつらは危ないから、涼介の隣にしな」 

 いきなり涼介なんて言っても、全く目立っていない僕の事なんて分からないのにと思いながら、彼女が座れるくらいのスペースを作り、「どうぞ」と声を掛けた。

 

 「ありがとう、涼介君っていうの」

 「うん」

 腰を下ろし、彼女は僕に声を掛けた。

 「私、古川美里って言います。よろしくね」

 茶色のボブカット、少し垂れた眉毛、ぱっちりとした二重瞼、笑みを見せた時に右頬にできるえくぼ。率直にいって、彼女は可愛いという部類に入るんだろうなと思った。

 

 「涼介は本当に優しいからね。安心して大丈夫だよ」

 ふざけた様に美里は言う。

 

 「優しい」自分の個性は何かと聞かれたとき、真っ先に浮かぶのはこの言葉だ。別に自分で自分のことを自画自賛している訳ではないが、この言葉以外自分を表現できる言葉がないのだ。それは僕に限らず、周りも。僕を紹介するのにこの言葉以外を使われたことはない。

 その癖、自分でしたことの何が「優しい」のかわかっていないから周りが望むものを精一杯提供して、「優しい」を演じている。

 

 「サークルの飲み会だっけ、みんな仲良さそう」

 「うん、ほとんど一緒にいるからね」

 そう言いながら、僕は美里さんにお手拭きを手渡す。美里さんはお手拭きを受け取ると「ありがとう」と微笑んだ。

 

 僕は人見知りなので、最初はどうしようかと思ったけど、向こうから話しかけてくれるなら何とかなりそうだ。

 「そういえば、真由美は今日何してたの」

 「今日はね、高校の同級生と合ってて、それが終わってからここに来れたら来ようかなと思ってたんだけど、思ってた以上に早く終わってね。それで美里と帰る方向が一緒だったから、飲み会に誘って一緒に来た感じ」

 「そうなんだ、美里ちゃん、ほんとによく来たね」

 自然な流れで、修二が美里さんに話を振る。違和感なく会話に参加させるあたり、僕にはできない芸当だ。

 

 「行っていいのかなって思ったけど、真由美が絶対楽しいっていうから来てみちゃった」

 照れ笑いを見せる彼女の横顔は綺麗だった。

 「真由美そんな風に言ったことないじゃん」

 「思ってても言わないことだってあるの」

 「真由美ちゃん、私たちのこと好きなんでしょ。今言ってみなよ」

 芳也と美穂が真ん中に挟んだ真由美をはやし立てる。クールな感じだけど、何故か周りにいじられる。それが真由美の個性だと思う。

 「よくね、真由美言ってるよ。大学のサークルが楽しいって」

 三人のやり取りに美里さんが入ったことでより一層わちゃわちゃとした感じになる。今は真由美に「サークルが好き」と言わせるように奮闘しているようだ。

 

 一通り話が終わると、もう潰れ掛けの芳也が美里さんに声を掛けた。

 「まじでさ、美里ちゃん可愛いって言われない?」

 飲み会だから許される雰囲気に身を任せ、明日になれば覚えているかもわからぬ質問を芳也は投げかけた。

 「そんなこと言われないよ」

 

 首を振りながら本気で言っているのか、謙遜なのか分からないようなトーンで美里さんは話した。

 「嘘だよ、美里は高校の時めちゃくちゃモテてたもん」

 にやにやしながら言う真由美に対して「そんなことないよ」と反論している。

 「絶対親とかも綺麗でしょ」 

 「うーん、ずっと見てるからわかんないよ」

 考えたように頬を膨らませた後、当たり障りのない返答を修二に返した。それを受けた修二は「そりゃそっか」と笑う。

 

 「まあ、真由美よりはモテてたと思うよ」

 芳也がまた余計なことを言い出すので、場はまたごたごたし始める。

 特に意味はなかった。また美里さんは笑ってみてるのかな、なんて思いながら、そっと彼女の顔を覗き込んだ。結論から言うと、彼女は笑っていなかった。思いつめたような、陰のある表情で、俯きテーブルを見ている。今まで楽しそうにしていた彼女が、どうしてこうなったのか分からない。

 

 それ以降、僕らが話すことはなかった。彼女は話を振られるとすぐに今まで通りの笑顔を見せて、会話に入り込んでいった。

 僕も振られた話に入りながら、普段の僕を演じる。

 飲み会が終わっても、あの時の表情が何だったのか、結局分からぬままだった。

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