3

 二日後、数志のラブレター三通はロボットアームを経由してε‐3の水面に投入された。その数分後、〈リング〉は恐るべき現象の撮影に成功した。絶え間ないグラフェンの図形のシグナルが水面に登場した――登場頻度はこれまでの量をはるかに凌駕していた。コンマ数秒で切り替わる図形の嵐。εは、幾何学の嵐に包まれていた。

 そして〈彦星〉は図形からついに日本語の母音と子音に対応する図形と思われるものを解析し出す。翻訳すると、


 A I

 O Ku Ru

 Wa Re Wa Re Yu A I Wo No Zo Mi

 

「おお……一美君……ついに我々は、ファーストコンタクトを成し遂げたのだ」

「素晴らしいです。教授、しかし、この『A I』とはどういう意味でしょうね」

「博愛という意味じゃないかね。恋愛の愛という意味ではないと思うが」

「そう信じられます?」

「というと?」

「こちらから手紙ラブレターを送ったんですよ。E.T.が求愛されたと誤解しているかもしれません」

 一美は自分で想像してぞっとした。

「手紙を書いたのは数志、男ですからね。向こうが手紙の書き手に愛を迫ってくるというのなら、女の私ではなく、教授、貴方にですよ」

「わ、わしゃ知らん」

 あわてて三郎は〈リング〉の奥に引っ込み、〈彦星〉に撮影と氷による交信を命じた。残り三日でできるだけ未知との交信を増やさなければならなかった。


     ※


 三日間の膨大な交信コミュニケーションの後、一美たちは地球に戻ることにした。

 エンケラドゥスのE.T.との交信はうまくいき、光通信での地球の反応も上々のようだった。

 わ・れ・わ・れ・は・か・え・る、とE.T.に氷通信を行うと、εの水面が青白く光った。〈彦星〉が逐一その様子を伝えてくれる。

 光の波が水面全体に及び、そしてすべての信号が止んだ。正方形の一枚の黒鉛のグラフェンが現れた。いつものグラフェンよりも一回り小さな、それはまるで折り紙のような大きさだった。〈彦星〉が極小電子望遠鏡で逐一解析結果を教えてくれる。グラフェンは徐々に分子構造を変え、炭素とカリウムとに分かれた。まるで図とそれを分かつ線のように……一美はその図を眺め、気づいた。

「教授! あれは鶴です」

「鶴!?」

 素っ頓狂な声の三郎に、一美は興奮した顔を向けた。一美の書いた手紙の便せんには折り鶴の絵が描かれていた。そして今、E.T.が見せてきたのは、折り鶴の展開図だ。五十二個の多角形からなる一枚の展開図は、間違いなく日本の象徴シンボルを示している。

「教授、あの新しい図は、鶴の展開図なんです――沈む前に回収しましょう」

「あ、ああ……〈彦星〉!」

 〈彦星〉から無線で動いた車のロボットアームが、慌てて展開図のグラファイトをεから掬い取る。簡易な衛生検査の後、〈リング〉内に取り入れたグラファイトを、〈彦星〉が着色したカリウム原子の線に沿って折ってゆく。

「彼らは……わしらの三次元世界を理解しつつあるというのか」

「わかりません。私たちが伝えたのは、日本語の羅列だけです。言語から私たちの次元をどう解釈したのかは分かりません。しかし――この鶴に、含意をみてもいいんじゃないでしょうか」

「うん?」

「数志の手紙から、彼らは日本語の情報を読み取ったんでしょう。でも、読み取ったのは日本語だけじゃなかったんです。私たちが彼らに手紙を託した。この手紙という形態自体を、彼らは理解している」

「どういうことかね」

「分かりませんか? 数志は長い別れにあたって手書きで私に手紙を書いたんです。愛を手紙に託した。E.T.もまた、私たちに手紙を送っているんですよ。餞別の折り鶴を……ロマンチックすぎますかね」

 一美の言葉はまるで科学的ではなかった。けれども、数志の愛情が、自分たちの愛が、単なる文字列としてではなく、地球外生命にも認められたと一美は信じた。

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