正月飾り (「嚇し鬼」異曲)

安良巻祐介

 

 正月も松の内を過ぎ、普段の生活が始まっても、玄関先の正月飾りをそのままにしておいたら、十日ほど過ぎた辺りで、とうとう化けてしまった。

 綯われた藁の輪の、褪せてささくれたそのささくれから小さな手足ができて、腐った柑橘がどろりとした目玉のようになって、恨みがましい、しゃがれ声を出した。

 「歳神もお帰りになって、ハレの日はとうに終わったというのに、不精にもそのまま戸口へ晒され続ける情けなさ恥ずかしさ。おお怨めしや…」

 しかし、それをぼんやりと眺めながら、ぽつりと口を突いて出る。

「すまないことだ。俺はわざと、お前をそのままにしておいたのだ。たった一人の暮らしの中、年末年始も常と変わらず、苦しく寒々しい日々を過ごし、貧しく痩せ細っていた俺の心を慰めてくれたのが、なけなしの金でお迎えした、正月飾りのお前だったのだ。たとえ飾りに過ぎぬとしても、見目に美しいお前の姿が、こんな俺にも、祝いがあるのだと、そういう風に思わせてくれた。松の内を過ぎたとて、そんなお前と別れるのがどうにも辛く、ずるりずるりと先延ばしにしているうちに、このような事になってしまった。許せとは言わない、怨めしければどうぞこの心臓の一つくらいは、持って行っても構いやしない」

 そう、心から偽りのない言葉を告げると、正月飾りは暫く沈黙した後、ぱりぱりと手先で橙色の目玉を掻いて、

「そんな話を聞かされては、怨みも呪いも萎えてくる。薄々気づいてはいたが、お前の暮らしは不憫でならぬ。とはいえ己はただの飾り、福の神のような真似もできない」

 そう言って、困ったような形をした。何と人の好い化け物だろう。俺はますます愛おしくなり、

「人の不幸も知らぬげに、満々丸々肥えた神など、こちらの方から願い下げだ。叶うのならば今少しそのまま、俺と一緒に居てほしい。寒々しい玄関先ではなく、家の内へと招くから…」

「いやはや全く、変な人間もあったものだ」

 呆れた声音で答えつつ、正月飾りは結局それから、今の今までずっと、俺と一緒に暮らしている。藁や柑橘を時々新しいのに変えてやる俺に、冗談を言ったり、ちょっとした毒を吐いたり、労いをしてくれたり、すっかり、無二の相棒である。

 俺は貧乏だけれども、出くわすお化けに恵まれた、大した幸せ者であろう。

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正月飾り (「嚇し鬼」異曲) 安良巻祐介 @aramaki88

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