この世界に生きるもの

この世界に生きるもの

風を受けて、少年は丘に立つ。

時に優しく、時に激しく身を打つ風をそのままに。

髪は荒く伸びるに任せ、着物も破けるに任せている。

あるものを、あるがままに、あれ。

少年は土の色に染まった頬を上げ、笑った。


「行け! 行け! 追い込め!」

かの少年、桃太郎は剣鉈を振り回して叫んでいた。彼の目線の先にはイノシシがいる。今日の狩りの獲物だった。体の大きなイノシシで久しぶりの大物だ。

彼の脇にもう一人の少年が付いた。

「俺が、」

彼は舌なめずりをすると、桃太郎の前に出た。

「頼むぞ、狗牙」

狗牙と呼ばれた少年はにやりと笑った。人より大きな八重歯が覗く。彼は速度を上げてイノシシに駆け寄った。そして、素早い動きで一刀、剣鉈でイノシシの後ろ足の付け根を裂いた。イノシシは悲鳴を上げ、緩やかに駆けるのを止めた。

 イノシシはフーッ、フーッと、荒い息を吐き、口から泡を滲ませながら向き直る。ブルブルと何度も体を震わせ、ざっざっと前足で土を掻いて、突進の気配を見せた。血走った目が、二人を捉える。

「……来るか?」

二人は並んで立ち、イノシシの出方を見た。幾分腰を落として足に集中し、すぐに動ける態勢を取る。どちらもがお互いに相手の様子を伺い、沈黙が流れた。

 と、無造作に沈黙を破り、ざざざざっと音がして、大量の木の葉と共に人影がイノシシの真上に落ちて来た。

「へへへっ、つーかまえた」

人影はイノシシに跨る格好で網の中に捕らえている。

「跳猩! うまいぞ!」

二人が声を揃えて褒めた。跳猩と呼ばれた少年はイノシシの上で得意げに笑った。彼は暴れるイノシシをものともせずにしがみついている。

 そこへ桃太郎と狗牙が近づき、二人同時にイノシシの喉元へ剣鉈を突き立てた。イノシシは断末魔を上げてぴたりと動かなくなった。

「今日は猪鍋だな」

倒れるイノシシからひらりと飛び降りて跳猩は言った。

 三人でわいわいと夕食について話していると、ぴくり、と、イノシシが動いた。誰もそれに気づいていない。それはのそり、と、首を擡げ、復讐に燃える瞳で三名を見た。ごぼり、と、血が口から零れたが、イノシシ本人は気に留めるでも無かった。むしろ、笑っているようにすら見えた。

 最初に気付いたのは狗牙だった。その時には既に、イノシシは雄叫びを上げて駆けだそうとしていた。

「危ない!」

狗牙がそう叫ぶのと、何かが跳猩の頬を掠めるのがほぼ同時だった。次の瞬間、イノシシの眉間に深々と矢が突き刺さった。それはまるで、突然イノシシに矢が生えたように見えた。イノシシの身体がゆっくりと傾き、声も出さずに、どお、と、倒れた。

「甘い」

三人が恐る恐るイノシシをのぞき込んでいると、女の声がそう言った。続いてガツンガツンと頭を拳で叩かれた。

「い、ったいなぁ。何するんだよ、比翼」

三名を叩いたのは比翼、と、呼ばれた女性だった。三名よりは幾分、年上に見えた。手に弓を持ち、矢筒を背負っている。イノシシを射抜いたのは彼女の放った矢だ。

 比翼は桃太郎の耳を掴むと大きく息を吸った。

「いっつも言ってるだろ?ちゃんと息の根を止めたか確認しろって!」

その後、三名を並ばせてしばらく説教した後、ふんと鼻を鳴らしてイノシシを見た。

「いーい獲物じゃないか。よくやったな」

褒められて三名はぱっと笑顔を見せた。比翼は厳しいが、優しい。皆の姉のような存在で、心強い仲間だった。


それが四人の日常だった。


 四人には親が居なかった。

 桃太郎には親代わりの祖父母が居た。だが、その二人も他界し、身寄りを無くした桃太郎は村で生きる事より山で生きる事を望んだ。そうして、様々な理由により、同じように山で生きることを選んだ者達と出会った。それが狗牙、跳猩、比翼の三名である。


 ある晩、嵐がやってきた。四人はねぐらにしている洞窟の奥で嵐が去るのを待った。いつも居る入り口付近は、雨風でとても居られる状態ではなかったのだ。

 嵐は三日三晩荒れ狂い、四日目の朝にからりと晴れた。四人は喜んで外へ飛び出した。しかし、そこで見たものは雨と風、そしてそれが起こした土砂崩れや川の氾濫で滅茶苦茶になった世界だった。

「うーわ。ひどいな」

桃太郎はそう言ってそっと外へ出た。狗牙と跳猩も恐る恐る辺りを歩き回って様子を見ている。

 比翼は一人、静かにそれを見ていた。比翼の生まれた村は、洪水で消えた。生き残った者もいたが、比翼はその者と共には生きられなかった。

 比翼は外見が人と少し違っていた。比翼の髪は普段は黒に近い色をしているが、陽に透けると金色に輝いた。何も無かったころは、それを褒める者も在った。だが、ひとたび災害が起きれば、それは恐怖の対象となった。恰も、その災厄の根源が比翼であるかのように。

 村を捨て、山で穏やかに過ごせるようになってから、比翼は少しはその気持ちが分かるようになった。

 やり場のない憤り。それをぶつける相手が、ただ、欲しかっただけなのだと。誰の責任も問えないのなら、誰でもいい。何かしら異なるものを持ったものに、それを押し付けて、心を保とうとするのだと。誰が悪いわけでは無いと、今では思える。だが、幼かった比翼の心は、無造作に向けられる悪意をそのまま受け取ってしまった。

「比翼姉!」

跳猩の声が響いた。比翼がはっとして向き直ると、跳猩が崩れた岩場を器用に上ってくるのが見えた。

「ひ、人、が!」

その声を聴くなり、比翼は飛び出していた。今は感傷に浸っている場合ではない。助けられる命があるなら、助けねば。その想いが比翼を駆けさせた。


「比翼!」

現場は川の近くで、大きな岩や木がごろごろと転がっていた。恐らくは蛇抜けが起こったのだろう。下の村は絶望的と思われた。崩れた岩の隙間に挟まっている人影が見えた。

「桃、生きてるのか?」

「ああ。かなり弱ってるが……何とか」

下手に岩を退ければ、却って崩れてしまいそうだった。だからと言ってこのままにもできない。皆が思案し始めた、瞬間。

「どい、て、」

女の声がした。比翼ではない。どうやら挟まっている当の本人のようだ。

 四人はじりじりと下がった。すると、彼女の周りが一瞬、強く輝いたかと思うと、周りの岩が粉々になって飛び散った。いくつかの小さな欠片がパチパチと四人の頬を叩いた。

 だが、そこまでだった。彼女は気を失ってしまったようだった。砂利の上に倒れた体を、比翼が慌てて抱き起す。彼女の顔を見て、比翼はドキッとした。

「これ……」

まだ若い女だ。少女と言っていいその人間の額には、二本の角が生えていた。


「どうする?」

沈黙を破って桃太郎が口を開いた。結局、四名は手負いの少女を塒へ運び、比翼が手当てをした。幸い傷は浅かったが意識はまだ戻っていなかった。

「どうするもこうするも、この子が意識を取り戻さなければ何ともならないだろう。」

比翼が言うと、狗牙も頷いた。

「俺達で勝手に決めるわけにもいかないよな。」

互いに頷き合っていると、外へ行っていた跳猩が帰って来た。手にいくつか木の実を持っている。食料はこういう時のために保存できるものは保存していたが、それでも何か確保できるならその方がいい。そのために、身軽な跳猩が外の様子を確認しつつ食料を探しに出ていたのだ。

「何とかこれだけ。やっぱりひどい有様だ」

「やはりか」

桃太郎は難しい顔をした。

「今度は俺が探ってくるよ」

そういうと狗牙が出て行った。

「できれば、下の村の様子も見て来てくれ」

桃太郎の言葉に狗牙は頷いて駆けて出した。

「狗牙の足は速い。そんなに時間はかからないだろう」

そういうと、比翼は跳猿が取って来た木の実を選別した。そして、そのうちすぐに食べられそうなものを水で洗い、少女の枕元へ置いた。すると、香りで気づいたか、少女の目がうっすらと開いた。

「お、気が付いた!」

跳猩が大きな声を出した。それに驚いて、少女は跳び起き、身を守るような仕草をした。

「こら、跳猩」

比翼が軽く彼を小突いた。

「心配しなくていいよ。皆、君の味方だ」

桃太郎が優しく言った。その言葉に少女は一同を見回し、恐る恐る体を正した。

「帰るところがあるなら送っていくけど、どこ?」

比翼がそういうと、少女ははっとして立ち上がった。しかし、足に力が入らず、そのままつんのめって前に倒れてしまった。

「無理しないで。何かわけがあるなら話してくれないか?」

少女を助け起こしながら比翼が言う。すると少女は目に涙をためて話し始めた。


 彼女の名は柊と言った。彼女は山の向こうの小さな集落に住んでいるとの事だった。その集落は外との交流も無く、むしろ人目を避けて隠れて暮らしていたという。

 原因は言わずもがな、頭の角にあった。角と言っても彼女のものは小さなこぶのようなものであるが、二つあるためか見ようによっては角に見える。彼女の村の者の中にはもっと大きな角を持つものもあるという。

 そして、もう一つ。彼女が先刻使った力である。意識を集中させると、瞬間的に爆発的な力を使うことができた。それらを隠すために山に籠もり、生活していた。彼等もまた、他の人間と違うことで迫害される痛みを知っていた。

 だが、この嵐で村は土砂に飲み込まれ、村は壊滅してしまった。何人かが生き残り、懸命に力を使って救助を試みたが、逆に無理が祟り、動けなくなる者が増えてしまった。柊は助け手を求めて村を出たが、蛇抜けに巻き込まれてしまったのだ。

「希望を挫くようだけど、この辺のどの村もダメだ」

帰って来た狗牙が言った。

近隣の村は少なからず被害にあい、自分たちの村の事で手いっぱいだという。

「……その、角の事もあるしね」

比翼が苦々しい表情で言った。

「決してそれがあるのが悪いっていってるんじゃないよ。ただ、それを、」

そこまで言うと、柊は悲しそうに笑って

「知ってる」

と、言った。それでも一か八かの気持ちで出てきたのだろう。命の瀬戸際にあるのなら、それを大事と思ってもらえるかもしれない、と。しかし、同じような状況にあるのなら、当然、自分たちに近しい者を優先する。それは、間違った事ではないように思えた。ただ、自分たちがその優先条件の中にいないだけ。

「……俺らが、いけないかな」

桃太郎が言った。

「俺らなら、手を貸せるよ? どう?」

「でも、他の村の人達は? 皆さんは他の村を助けに行った方が……」

「あなた達の村に行かせて。私はあなた達を助けたい。他の村を助けた方がいいのではと、そう言うあなたの、近しい人を助けたい。」

比翼の言葉に、皆が頷いた。皆が同じ痛みを知っている。同じ思いの中で生きている。それなら、同じ痛みと、思いを持つ者を助けたい。

 柊の顔に希望が灯った。村を出た時、持っていた不安は消し飛んだ。今なら信じられる。彼らが助け手だと。


 四名の行動は早かった。四人はすぐに蓄えてあった食料と薬草を持つと、柊の村へ向かった。そしてすぐさま救助と治療に当たった。

 狗牙は持ち前の敏感な嗅覚で生存者を匂いと気配で見つけ出した。跳猩はその身軽さで使えそうなものを次々と調達し、加工した。桃太郎は柊達には及ばないが、それなりの力持ちで岩や大木を退けて行った。比翼は保存していた薬草をありったけ使って負傷者の手当てに奔走していた。それぞれの役割のみならず、お互いに援護し合いながらできる限りの救命に努めた。


「何故……我らを助けた」

片腕と片足の骨を折り、横たわっていた男が、比翼に声をかけた。比翼は折れた腕に添え木をする手を止めて男の顔を見た。

 彼は柊達の村長であるという。他の村の者より体も大きく、角も長かった。だが、それも片方は折れてしまっている。

「助けを求められたから、助けたまでです」

「しかし、われらより人の村を助けた方が良かろう」

村長は突き放すように言った。

「村長、それは……」

柊が口を挟んだ。同じことを柊も言った。やはり誰もがそう思うのだ。この村の者であるのなら、尚更。

「長は、われらのことを案じておられるのでしょう」

現れた桃太郎が比翼の代わりに言った。

「異形の者に関わっては、何かあった時に我等を巻き込んでしまう、と」

村長はゆっくりと首を回して桃太郎を見た。桃太郎は穏やかに笑って村長の枕元に座った。比翼と目を合わせ、微笑んだ。比翼は返答を桃太郎に任せて手当てを再開した。

「……人は我等を鬼と呼ぶ。その外見と力を恐れ、迫害された時代もあった」

「その噂は時に聞こえてまいりました。村に在りし時」

「ぬしは村に在りしか。何故今山に在る。何故我らを助ける」

桃太郎は少し悲しそうに笑った。

「山が好きですから」

「……人は、」

黙っていた比翼が口を開いた。

「己らと違うものを、ある時は賛美し、ある時は嫌悪、畏怖する。我らはその気まぐれな心根を恐れ、山に住まうもの」

比翼のみならず、跳猿も、狗牙も、僅かばかり人と違うところがあった。そのための痛みを背負う者達。

「その、狭量がゆえに、そなたらの如き、強く優しき助け手を失くしたか」

「されば、それも摂理というもの」

「然り」

村長は笑った。

「ぬしら、われらと暮らさぬか。いや、暮らしてほしい」

比翼と桃太郎は驚いて顔を見合わせた。

「それは……」

「俺は良い話だと思うが」

いつの間にか狗牙が戻って来ていた。泥だらけの身体で、一人の少女を抱いていた。それは、土砂の下から救い出した、最後の生存者である。彼女はよほど怖い思いをしたのか、狗牙の服を握りしめ、決して離そうとしなかった。比翼は立ち上がると、狗牙を座らせ、狗牙の手の内で少女の手当てを始めた。

「オレも良いと思うぜ」

そう言って帰って来た跳猩は、一人の少年に肩を貸していた。彼は比較的軽傷で、身軽であったため、跳猩と組んで動いていた。彼らはとても息が合い、二人で作業をするようになってから格段に仕事が早くなった。しかし、さすがに体力が尽きて、跳猩に支えられて帰って来たのだ。ふたりは隅っこに腰を下ろすと、大きく息を吐いた。疲れているのは跳猩も同じだった。同じようにふらふらになりながら力を合わせた。そのことが妙に嬉しくなって、笑い合って拳をぶつけた。

 それを見て、桃太郎と比翼も目を合わせて笑った。

「皆さんさえ、よろしければ」

桃太郎が言った。皆がそう思っているのなら、拒む理由は無い。

「助けてくれた相手を追い出すような真似はせん」

村長は笑った。柊も笑った。そこには、傷つきながらも生きようとする、皆の笑顔があった。


篝火の仄かな明かりの元で、桃太郎は空を見上げていた。

昨夜までの嵐が嘘のように、今は満点の星空だ。

星も、太陽も、月も、同じように毎日空に在る。

座標は変わっても、在ることは変わらない。


見ろよ。

自然はどこまでも豊かで、美しくて、優しい。

時に厳しいけど、やっぱり温かい。

生きようぜ。

おっかさんの懐みたいな、この大地の上で。

生きていけるさ。

きっと。

このおっかさんは、誰も嫌わない。

いつでも、誰でも優しく、温かく抱きしめてくれる。

そのままで、あるがままで、愛してくれる。

それだけでいい。

それだけで、いいんだ。

生きる意味なんて、それだけでいい。

どこだって、おっかさんの懐だ。

胸を張って、生きて行けばいい。

俺達は、愛されてる。


世界に。

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