長森高校園芸部(兼呪術部)のいつもの日々

深草みどり

正直になる薬

 また覗きか。

 中咲真帆(なかさきまほ)がモニターの電源を入れたとき、俺、一方亮一郎(いちかたりょういちろう)は溜め息混じりに思った。真帆は俺と同じ高校二年生。猫っぽい小柄な女の子でいつもニコニコ笑っている、そんなどこにでもいる普通の女子高生だった。ただ一つ、他人の告白シーンを覗くという趣味の悪い趣味を除いて。

 「盗撮は良く思う」

 真帆はモニターに繋いだパソコンにSDカードを差し込んでいた。あの中に学内で盗撮した動画データが入っている。

 「プライバシーってあるじゃん。自分の告白シーンを誰かに見られてたなんて知ったら、みんな怒るよ?」

 「んー?」

 真帆は動画データのサムネイルを確認しながら気のない返事を俺に返した。作業を止める気のない真帆を見て、俺も諦める。まあ、いつもの事だし事情を理解できなくもない。真帆の家、中咲家はある分野における歴史的な名家で、代々政略結婚する事が当たり前の家系だ。真帆にも生まれた時からの婚約者がおり、物心ついた時からそれを当然のこととして育ってきた。だから自由な恋愛に憧れている。

 真帆がマウスを操作すると、モニターに校舎裏の花壇の映像が映し出された。花壇には赤や黄色のチューリップが丁寧に植えられている。その花を見て、我ながら良く手入れをしたものだと自画自賛する。校舎裏の花壇は俺が所属する長森高校園芸部が管理しており、今植わっている植物は冬に俺が植えたものだった。春の陽光を浴びながら風に揺れるチューリップは美しい。しかし真帆の目的は花ではなく、花壇の花越しに見える校舎裏とそこで向かい合う二人の男女だった。

 「また三年生? 受験が本格的になる前に告白?」

 俺は英語の宿題を部室の机に教科書とノートを出しながらいった。

 「今度は一年生みたい。まだ四月だっていうのに気が早い子たち」

 真帆が再生中の動画の一部を拡大し、校章のマークで生徒の学年を確認する。

 「ゴールデンウィークあるからな」

 「彼氏とデートか。羨ましいなあ」

 モニターの中では少し派手目な女子が顔を真っ赤にして短髪でイケメン風の男子に何かを言っていた。いつもの動画では音声もついているのだが、今回スピーカーから聞こえてくるのは風の音や遠くで野球部が打ち鳴らす金属バットの音だけだった。

 「音が拾えてない。マイクの故障かな」

 「充電が切れていたんじゃないか?」

 「ちゃんと準備したつもりだったんだけど。まあ無声映画だと思えばいっか」

 高校の校舎裏は周囲を建物と小さな林に囲まれた絶好の告白スポットで、そこにはある園芸部の花壇に真帆の盗撮セットが仕掛けてある。具体的には、校舎裏の告白スポットに人が来ると動体センサーが起動し、花壇の中に隠されたビデオカメラが自動的に対象にレンズを向け撮影を開始。同時に告白スポットの近くに設置した集音マイクが起動し動画と連動して音声も録音されるという仕組みだ。

 校舎裏で顔を赤らめながらはにかみ合う二人を見て真帆は満足そうに頷いた。やがてモニターの中の二人はぎこちなく手をつないで画面から去っていった。

 「うーん、いいなあ。ごちそうさまです。あの二人うまくいくといいよね」

 「そうだね。でも、」

 俺はシャーペンを机の上に置く。

 「そろそろ止めないか? あのカメラ、見つかったら取り上げられるかもよ」

 恋愛に関して自由の無い真帆だったが、財力については恵まれており、高校生とは思えない額のお小遣いを貰っていた。パソコンやカメラは特注で、セキュリティレベルは自衛隊のサイバー部隊と同等。もし真帆以外の人間が操作をしても盗撮の痕跡は一切見つからないようになっている。

 「大丈夫。あそこには園芸部の名前で監視カメラついてますって看板もあるし」

 「確かにダミーのカメラが花壇を撮っているけど、小型の方もだって見る人が見ればわかると思う」

 「まあ、細かい事気にしない。自由に恋愛の出来ない私の数少ない楽しみなんだから」

 真帆は自分ができない恋愛に憧れている。そして俺は真帆に憧れている。だから事ある毎にその思いを伝える。

 「俺は真帆のこと、好きだよ」

 「んー? ありがとう」

 真帆は少し首を傾げるといつもの笑顔を俺に向けた。目も口も笑っているし、頬も緩んでいる。でも、生まれた頃からの付き合いがある俺は、それが拒絶の笑顔だと知っている。

 「大学を卒業したらちゃんと決められた通りあんたと結婚するから」

 そういって真帆は寂しそうに笑い、マウスを操作して次の動画データを再生しはじめた。俺も真帆から目をそらして英語の宿題に取りかかる。

 一族に決められた真帆の婚約者は俺だ。俺たちは生まれた時からの付き合いで、物心ついたころから互いを婚約者として認識していた。お互いに自由な恋愛は許されない身で一応は親友のようなポジションにある。だから、俺は真帆が自分の人生を自分で決めたいと思っている事も知っている。でも俺は真帆が好きで、彼女を手放したくなかった。

 俺と真帆が無言でそれぞれの作業に没頭していると、誰かが部室の扉を開いた。

 「こんにちは。今日は二人?」

 入って来たのは園芸部長の帰山久乃(きやまひさの)だ。俺たちと同じ高校二年生で、同じ世界に属する人間だ。家柄を大名家に例えれば中咲家が主家で、ウチの一方家が家老格、帰山家は家臣に当たるが、長森高校の周辺では、現在の「実力」は久乃がトップにある。

 「空気が微妙だけどなにかあったの?」

 久乃は艶のある長い黒髪をゆらし、なぜか食パンの袋をテーブルに置きながらゆったりといった。

 俺と真帆が黙ったままだったので、久乃は鞄からポーチを取り出すと、そこから手のひらサイズの水晶玉を取り出した。それを見て、俺は少しだけ焦る。

 「久乃、そこまでしなくても」

 「だって気になるじゃない? 私に隠し事なんて。さあさあ水晶球さん、私に見せてくださいな。いづくには、鳴きもしにけむ、ホトトギス、わぎへの里に、今日のみそ鳴く」

 久乃が歌を詠むと、手にした水晶がぼおっと光始める。

 「……相変わらずいい加減」

 「それっぽければいいの。大事なのは、結果」

 真帆が久乃が詠んだ歌の選択に不満をいう。真帆は真面目なのだ。透視や遠見の術を使う際、術者は関連のある和歌を詠む事がよいとされている。実際、久乃に言わせれば和歌を詠まなくても術は発動するので意味はないそうだが、そういう伝統を千年近く引き継いできた花咲家の真帆には面白くないらしい。やがて水晶の内側にほんの数分前の部室が映し出された。音が聞こえるのは術を使った久乃だけ。術者の才能がなかった俺と真帆には映像しか見えない。水晶の中で会話をする俺と真帆を見て、久乃はいつも通り呆れた。

 「真帆ちゃんもいつまでも頑固よねえ。嫌なら婚約を破棄すればいいのに」

 久乃に気楽そうにいわれ、真帆がむっとする。

 「そう簡単じゃないの」

 「そんなことないよ?」

 俺、真帆、久乃は日本に古来から伝わる呪術者の一族だった。表舞台には現れていないが、日本には同じ様な家系がいくつもある。呪術とはいわゆる魔法で、その才能は血に依存し、古来より呪術師の一族は婚姻を繰り返し綿々と現代までその血と才能を受け継いできた。もっとも最近は術者の数は少なくなり、久乃のように十代でいくつも強力な術を使える者は例外的でたいていは俺や真帆のように術者にはなれず、次の世代に術者が現れることを願って血を運ぶだけになることが多い。

 「私には千年続く一族の義務があるの」

 「そう? ところで真帆ちゃん、最近の告白現場って全部目を通してる?」

 急に久乃が話題を変えた。真帆も楽しく無い話題からさっさと離れたかったのか、すぐに話に乗る。

 「まだ昨日のやつだけ。今週はあまり部室にこれなかったから」

 「じゃあ、月曜日のを見たいんだけど、データあるかな」

  真帆の盗撮趣味は園芸部なら皆知っていることだが、久乃が自分から動画を見ようとするのは珍しかった。

 「月曜日ね」

 真帆の手がマウスにのび、フォルダの中から今週の月曜日の動画ファイルを引っ張り出す。ファイルは三つ。

 「時間は?」

 「えっと、確か夕方だったと思う」

 「じゃあこれ。一応、理由を聞いていい? どうせまた厄介事を頼まれたんでしょうけど」

 真帆が聞くと、久乃は「そうなの」と頷いた。久乃は時々、生徒間のトラブルを呪術を使い解決していた。もちろん呪術の事は公にはできないので、俺と真帆が「名探偵」久乃の手伝いをして解決した事になっている。

 「実はね、同じクラスの橋山さんが火曜日から学校に来ていないの」

 「風邪とかじゃないの?」

 「メッセージを送っても一切返ってこないらしいのよ。風邪なら大丈夫とかつらいくらいは返ってくるでしょ? 親から担任には連絡来てるみたいだけど」

 「いじめとか?」

 「わかんない。それで、さっき学校にいる鳩に聞いてみたら橋山さんがが月曜日の放課後に校舎裏で同じクラスの小谷君に会ってたって話を聞いたの。でも橋山さんおとなしめの子で、小谷君はちょっとワイルド系だから接点が分からなくて。真帆の告白シーン集があればヒントがもらえるかなって」

 それで食パンの袋を持っているのか、俺は納得した。呪術で鳩から情報を引き出したらしい。恐ろしい女だ。

 「わかった。そういう事なら」

 真帆が動画ファイルを開くと先ほどと同じ様に校舎裏が映し出される。時刻は夕刻の終わり頃でかなり暗い。そこに二人の生徒がいた。一人は背の高い男子生徒、もう一人はスカートの長めな女子生徒だった。

 「橋山さんと小谷君に間違いないわ」

 クラスメイトの久乃が二人を確認する。光量が足りていないので表情はよく見えなかった。橋山と小谷は何かを話しているようだが、声はほとんど聞こえてこない。真帆がスピーカーのボリュームを上げるが、聞こえてくるのは雑音ばかりだ。

 「やっぱりマイクの同期が上手くいってなかったんだ。今週のファイルは全部だめか」

 真帆が肩を落とす。その向う、モニターの中で小谷が手にしたスマホを前に向け、それを見た橋山さんは俯いて両手でスカートをぎゅっと握りしめる。

 「告白にしては雰囲気が悪いわね」

 真帆が目を細めていった。音声が無いので詳細は分からないが、動画の中の二人の間には先ほどの告白場面にあった様な甘酸っぱい様子が無い。橋山は嫌がっているように見えるし、小谷は、なんというか野獣のように見えた。

 「これって、脅迫されてるんじゃない? スマホで変な写真を撮られて、これをばらまかれたく無かったら俺の彼女になれとか」

 俺がいうと久乃が首を傾げる。

 「うーん、そんな事をしてバレたら退学になるのにね」

 「ねえ、何やってるの、あれ」

 真帆が怒りの声を上げる。モニターの中では小谷が橋山さんを壁に押し付けていた。所謂「壁ドン」というやつなのだが、そこに少女漫画的なふんわりとした情景はない。小谷は橋山さんの小さな肩を壁に押しつけ、もう一方の手を荒々しくスカートの中に入れていた。橋山さんは明らかに嫌がって抵抗しているが、体格のいい小谷を振りほどけないでいる。

 「男子って最低」

 真帆が握りしめた拳でテーブルを叩く。感情が高ぶると手が出るのが真帆の困った魅力だ。

 「亮君はちょっと後ろを向いていてね」

 橋山さんのスカートが大きく捲られたところで久乃が俺とモニターの前に手を差し出した。俺は英語の教科書を持ってモニターに背を向ける。関係代名詞の用法という解説を読むがもちろん頭に入ってくるわけもない。動画はそれから三分程で終わったようだ。

 「亮君、こっちむいていいわよ」

 久乃にいわれ、俺はゆっくりと椅子を戻す。モニターは既に暗くなっており、その横で不機嫌そうな真帆と相変わらず楽しそうな久乃がいた。ただ、いつもと違い久乃の目が笑っていなかった。

 「それで、どうする?」

 俺は久乃に聞いてみた。こんな映像を見てトラブルに顔を突っ込むのが好きな久乃や正義感の強い真帆が放っておくわけはない。

 「小谷君を懲らしめないとね?」

 「呪い殺してやりなさいよ。あんな男生きている価値はないわよ」

 「真帆ちゃん? それはちょっとやり過ぎ。これくらいで人を殺していたら、私の周りから誰もいなくなっちゃう。でも、社会的には死んでもらおうかしら」

 そういうと、久乃は部室の片隅にある棚からビーカーやらアルコールランプを取り出し机の上に置いた。なぜ理科室にあるような機材が園芸部の部室にあるのかと言えば、久乃が呪術の薬を作るために使うからだ。

 「亮君、ちょっとチューリップを集めて来てくれない?」

 「何を作る気なんだ?」

 俺が尋ねると久乃は楽しそうにいった。

 「正直なる液体よ」


 それから俺は校内にある園芸部の花壇からチューリップを何本か切り部室に持ち帰った。部屋に戻ると、真帆が自動販売機で買ってきたらしい缶ジュースをテーブルに並べていた。真帆はチューリップを持った俺の方を見ると「お疲れ」といって俺の好きな甘い紅茶を差し出して来た。

 「ありがとう。久乃、これチューリップ」

 俺は缶紅茶を受け取り、久乃に花を渡した。

 「三本でいいかな。残りは花瓶に入れて飾っておいて」

 そういうと、久乃は発色の良いチューリップを三つ選ぶと、それをポーチから取り出した黒曜石のナイフでみじん切りにし、ビーカーの中に入れた。それから、真帆が買ってきた缶ジュースの中からブラックのコーヒーを手に取ると中身をビーカーに入れ、さらにポーチから取り出した光る粉を一掴み入れ、ビーカーを火のついたアルコールランプの上に置いた。部屋の火災報知器は事前に真帆が電源を切っている。

 「真帆ちゃん、髪の毛をもらっていい?」

 「別にいいけど、この前みたいに変な風に切らないでよ?」

 「大丈夫。この前は大掛かりな術だったから百本ほどもらってけど、今回は少しだから」

 久乃は真帆の髪を二本すくうように手にとると根元近くに黒曜石のナイフを当てる。すっとナイフを動かすと真帆の髪が張力を失いだらんと垂れた。久乃はその髪の毛につまんだまま、沸騰し始めた黒い液体の上に持って行く。

 「黒髪の、みだれも知らずうちふせば、まづかきやりし、人ぞ恋しき」

 「その歌もほとんど関係無い……」

 「雰囲気だけなんだからいいじゃない」

 久乃は真帆の髪を二本、黒い液体の中に入れる。やがで、ぽんっという音と共に煙が立ちこめ、ビーカーの中の黒い液体の体積は十分の一程度になる。

 「はい、出来ました! 久乃さん特製、自分に正直なる液体です」

 つまりは自白剤だ。チューリップやらコーヒーを使っているので西洋の魔法系の薬なのだろう。

 「これで小谷に自分がやったことを吐かせるってわけね」

 「その通り。あら、亮君なんか浮かない顔。やり過ぎだと思う?」

 「いや、小谷の事は別にいいんだけど。真帆の髪をその男に飲ませるっていうのがちょっと」

 「あらあら、愛しの真帆は全部俺のものだっていいたいのね」

 「まあ、気持ち的に」

 どんな目的があれ、真帆の一部を別の男に触らせたりするのは嫌だった。

 「心配しなくても、私はあんたの「モノ」だって」

 無感情な笑顔で真帆がいった。どうして「モノ」を強調するんだ。

 「あらあら」

 そんな俺と真帆をみて久乃が楽しそうにする。

 「そもそも、どうして真帆の髪が必要なんだよ」

 「前も言ったでしょ? 術の触媒に乙女の髪が丁度いいのよ」

 「自分のだっていいだろ?」

 「私の髪は色々と力が強すぎるの。小谷君が一生嘘のつけない身体になったら困るでしょ? その点、「一般人」の真帆ちゃんのなら五分くらいで効果が切れるから」

 「……」

 真帆が押し黙る。才能の話は真帆にとっては敏感な話題だ。俺は久乃に抗議しようと口を開きかけたが、先手を打たれた。

 「あ、亮君もしばらくは真帆ちゃんに手を出さないでね? 真帆ちゃんの髪、触媒としてすごく使い勝手がいいから」

 そういわれ俺も黙るしかなかった。


 翌日の昼休み、俺たちは学食に小谷を呼び出した。学食は小ぎれいなカフェ風で、大勢の生徒や教師が賑やかに昼食を取っていた。小谷は久乃が「橋山さんの事で話がある」といったら渋々ついてきたらしい。

 計画はこうだ。まず俺が自白剤を小谷の飲み物に混ぜる。それから久乃が小谷が橋山に何をしたか聞き、ぺらぺらと喋った内容を真帆がスマホで録音。真実を確認したら、録音した音声を使って小谷を説得(脅迫)し、橋山さんに謝罪をさせ二度としないと誓わせる。

 俺たちが空いているテーブルにつくと、まず久乃が俺に顔を向けた。

 「亮君、お茶持って来て」

 「わかった」

 俺は学食に設置されている無料のほうじ茶を四つトレイに乗せてテーブルに戻る。もちろん小谷に渡すカップには自白剤を入れた。テーブルにつくと、小谷が真帆を睨みつけていた。

 「で、お前は誰なんだよ」

 「二組の花咲真帆。久乃と同じ園芸部員」

 「じゃあ、そっちの男は?」

 小谷は今度は俺にチンピラ風の目を向けて来た。小谷は見た目はそこそこ整っていて、事前に聞いた話だと元アメフト部らしく身体も締まっている。遠目には好青年だが近くで見ると随分と粗暴な印象を受けた。

 「彼は一方君。同じ園芸部員で真帆ちゃんの彼氏よ」

 久乃の説明に俺はどきりとするが、真帆は特に反応を見せず、小谷は「けっ」吐き捨てるようにいっただけだった。

 「それで、お前が何か見たって?」

 不機嫌さを隠そうともせず、小谷が真帆に言った。

 「月曜日の放課後、私は校舎裏の花壇にいたの。あなたが橋山さんに何をしたのか、見てた」

 小谷の顔がさっと青くなる。段取りでは久乃がリードしお茶を飲ませるはずだったのだが、この様子なら必要ないかもしれない。

 「小谷君、あなたのしたことは犯罪行為よ」

 「……証拠はあるのかよ」

 小谷は声を震わせていった。

 「ない。だからこうしてあなたに話をしている。自分のした事を認めて、橋山さんに謝罪をしなさい。そうしたら見逃してあげる」

「はっ、くだらねえ」

 証拠が無い事に安心したのか、小谷は馬鹿にしたように笑うと席を立とうとした。

 「逃げないで!」

 その態度に苛ついた真帆が手を伸ばして小谷の制服の袖を掴む。

 「触んなよ」

 小谷は乱暴に真帆の手を振り払った。その拍子に小谷の前にあったお茶のカップも一緒に弾かれる。カップは空中高くに舞い上がり、真帆の額にぶつかった。自分に正直になる液体が真帆の顔に掛かる。

 そして真帆が切れた。

 「ふざけないでよ。あなたがあの子を脅迫して乱暴しようとしたの私見たんだから」

 大声で叫ぶ真帆に小谷がぎょっとする。

 「てめえ、何でたらめいってんだ。いい加減な事いうとぶっ殺すぞ」

 小谷は顔を真っ赤にして真帆に詰めかかった。小谷と真帆では体格差は歴然としている。それでも真帆はひるまず、椅子から立ち上がると逆に小谷に詰め寄った。

 「正直に言いなさい。あなたがあの子に何をしたのか」

 「だから何もしてねえって言ってるだろ」

 「往生際の悪い男!」

 真帆は小山の顔を平手で打ち、パンっという音が静まり返ったカフェテリアに響く。

 「調子に乗るな!」

 小谷が拳を握りしめた。あれで真帆を殴るつもりらしい。それをさせるわけにはいかない。俺はすぐに真帆をと小谷の間に割って入った。小谷の振り下ろした拳が俺の胸の辺りにぶつかり、俺はそのまま隣のテーブルまで吹き飛ばされた。さすが元アメフト部、すごいパワーだ。

 一瞬意識が飛び、気がつくと俺の制服は真っ赤に染まっていた。血か、と思ったがよく見たら赤ではなくオレンジ色。どうやら隣のテーブルで食事をしていた生徒のナポリタンを被ってしまったらしい。「すみません」と誤ってなんとか立ち上がる。

 俺を殴り飛ばした小谷はといえば、あっさりと久乃に取り押さえられていた。まるでテレビでみた暴漢を制圧する婦警のような鮮やかさだ。久乃は空いていた右手で床に落ちたカップを手に取り、それを小谷の顔にたらす。自白剤入りのお茶はまだ少し残っていたらしい。

 「さあ小谷君、あなたはどうやってあの子を脅迫したの?」

 「うるせえ、着替えを盗撮してそれをネタに一発やらせろっていっただけだ」

 小谷の大声が学食中に響いた。先ほどからの騒動で俺たちは注目を集めていた。そこにあの大声だ。しかも中には教員だっている。ちょうど打ち合わせをしていた柔道部の顧問が険しい顔をしてこちらに向かって来ていた。

 「それだけ?」

 「あいつが逃げたから、今週中にやらせないと写真をネットでばらまくって言ってやったんだ。そうしたら橋、むぐぅ」

 小谷が橋山さんの名前を出す前に、久乃は右手で小谷の頭を床に押し付けて口を封じた。事情を知る生徒なら小谷が脅迫した相手が橋山さんだとわかるだろうが、それを全校に知らせる必要はない。

 「君、ちょっと話を聞かせてもらおうか」

 がっちりとした体格の柔道部顧問が現れ、久乃に変わって小谷の身体を取り押さえた。小谷は「放せこのクソ教師」と暴れていたが、学食にいた他の教師も加わり、数秒で制圧された。

 そうして事件はあっさりと解決した。小谷が連行され、久乃が事情を教師に説明する横で、真帆は紙ナプキンで顔と制服を拭いていた。俺もナポリタンを拭いて汚れた紙ナプキンをトレイに乗せる。

 「お互いひどいな」

 俺が声をかけると、真帆はなぜか俺の事をきっと睨みつけた。

 「なんで私の代わりに殴られたの?」

 「そりゃ、真帆が危なかったから」

 「そういうのがうざい。だから私はあんたを嫌いに……」

 真帆はそこまで言って慌てて口を抑える。

 「着替えて来る」

 子供っぽく頬を膨らませながら真帆は学食を出て行った。呆然と立ちすくむ俺の肩に久乃が優しく手を置いた。俺は情けない顔を久乃に向ける

 「自白剤、五分で切れるんだっけ?」

 どう考えても真帆が小谷にお茶をかけられてから五分も経っていない。

 「大丈夫。「嫌い」じゃなくて「嫌いに」だからまだ希望はあるよ?」

 「久乃、楽しそうだな……」

 「私は亮君にも真帆ちゃんにも幸せになってもらいたいの。それだけ。じゃあ、私は小谷君の事情徴収いってくるから。そこの掃除よろしくね」

 久乃は楽しそうに笑うと、一人だけ奇麗な制服のスカートをぱっと翻し、学食の入口で待つ教師たちの方へ向かった。

俺は去って行く久乃を見送ってから、床に溢れたお茶を拭き、ついでに隣に座っていた生徒にナポリタン代を弁償した。


 その後、小谷は学校を自主退学した。カフェテリアの事は噂になってはいたが、橋山さんが被害者だという噂はそれほど広まらなかった。良識のある生徒が多かったことと、その後学校で起きた大事件の前に橋山さんのことは霞んでしまったのも大きかった。


 それから数日後、真帆はまた園芸部の部室で他人の告白現場を見て頬を緩めていた。

 「はあ、いいなあ。私もこんな告白されてみた」

 集音マイクの調子が戻ったのか、真帆はヘッドホンで音声を聞いていた。俺は壁にかかったカレンダーを見る。明日からゴールデンウィーク。俺は真帆が動画を見終わるタイミングで声をかけてみた。

 「なあ、真帆って連休中どうしてるんだ?」

 真帆はヘッドフォンを外すと、ちらりとこちらを見る。

 「クラスの友達と遊びに行くつもり。買い物とか映画とか」

 「そっか、忙しいんだ」

 「うん」

 そういって真帆は次の動画を見ようとヘッドフォンをつけ直そうとする。

 「一日くらい空いてない?」

 ありったけの勇気を振り絞った。

 「んー?」

 ああ、いつもの拒絶の反応だ。きっと「忙しい」と返って来る。

 「一日なら空いているけど?」

 「へ?」

 「だから、一日だけなら空いてる。どっか行く?」

 予想外の回答に俺の方が混乱する。今まで、真帆の方から遊びの誘いをしたことは一度もなかった。

 「ねえ。どうするの?」

 「じゃあ、映画でも」

 「それはクラスの友達といくって」

 「じゃあ、水族館とか?」

 「うーん、まあいっか。じゃあ土曜日に」

 それから真帆は「それだけ?」と俺に聞き、俺が頷くとヘッドフォンを頭につけて動画の再生を始めた。正直、俺には真帆が何を考えているのか分からない。真帆の背中越しに見えるモニターでは男子生徒が女子生徒に告白をしていた。見知らぬ彼らは勇気を出して最初の一歩を踏み出した。俺と真帆もいつかその一歩が踏み出せる日が来る。その先は、一緒に歩けるのか、別々の道を行く事になるのかはまだわからない。でも俺は真帆の隣を歩きたい。そう思い俺は真帆の背中に熱い視線を送ってみたが当然のように反応はなかった。まあいいさ。俺はまだ諦めないから。いつか、振り向いてくれると願っている。そうして、俺は授業で出された英語の宿題に取りかかり、真帆は次の動画を見始めた。俺たちの道はまだ交わらない。でも少なくとも同じ空間にいる。いまはそれで満足だった。

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長森高校園芸部(兼呪術部)のいつもの日々 深草みどり @Fukakusa_Midori

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