二十六年生きてきて、初めての
それでも。
あの日以来、私はあの店の常連客になった。
あの店は彼女の実家で、彼女はその手伝いをしているとのこと。
父子家庭で、小さな弟がいるらしい。弟の世話で父の手が離せないときは彼女が厨房に立つようだった。
……法律とかに抵触しそうだけれど、それを指摘すれば彼女の家は立ちゆかなくなるだろうから、黙っておく。
それにしても、と彼女を思う。
あの年で働いている。働いて、家を支えている。
それはとても大変なことだろう。
それでも、彼女は私が来店したときは、いつも店にいた。
そして、常に明るく振る舞っていた。
年頃、だと思う。私のような特殊例はさておき、あの年齢だと、色々とやりたいことがあるんじゃないだろうか。
そんなことを、毎回考えたりする。そして、一度も尋ねたことはない。
それは、彼女が触れられたくないところかもしれないから。
だから、別の形で、彼女に何かをしてあげたいと思った。
○
ある日の夜。勤務を終えた私は、いつものように『巴飯店』へ。
どうか彼女だけが店番をしていてくれ、と祈ったところ、その通りになった。
夜定食を頼む。
少しして、食事が運ばれてくる。食べ終わり、彼女と他愛ない会話を交わす。
「……あの、これ」
彼女との会話を少し楽しんだあと、緊張しつつ私はそれを差し出す。
「……これって」
彼女は目を丸くして、それを受け取った。
「チケットじゃないですか」
「……うん、そう」
私が手渡したのは、映画のチケットだった。私と彼女を結び付けた、あのストラップに関する作品の、最新作。
二十六年間、一度も振り絞ったことのない勇気を振り絞る。
「……よかったら、一緒に行かない?」
「え」
彼女がきょとんとし、固まる。
「ああいや、嫌だったら、全然いい。それ、プレゼントするから」
彼女の反応で、慌ててそう取り繕う。
元々は、そのつもりであった。
彼女がいつも頑張っている姿を見て、何かをプレゼントしたくなったのだ。
考えた末、映画を思いついた。最新作が近々公開するという。
ならば、というわけだ。
だが、そこで私に欲が出た。
どうせなら、彼女と一緒に観たいな、と思ったのだ。
「いいんですか⁉」
私の緊張とは裏腹に、彼女は私の願望をまっすぐ射貫く。
「え、ええ」
そのまっすぐさに、私はたじろいでしまった。彼女は時折、このように力強く踏み込んでくる。こちらの予測よりも、ずっと強く。
「嬉しい!」
ぱあっと、目の前で綺麗な笑顔が花開く。彼女と関わってから何度目か見るその花に、今日も目を奪われる。
「父さんに店のシフトいつ空くか、今すぐ聞きますね!」
彼女はそう矢継ぎ早に言って、すぐさまスマートフォンを操作し始めた。直後、返事が来たらしく、彼女が口を開く。
「来週の日曜日、昼、どうですか⁉」
「あ、うん、それなら全然。大丈夫」
だって休日は予定皆無だし。
「じゃあそれで」
彼女は再びスマートフォンを操作し、その後、私に向き直る。
「霞さん」
彼女が私の名を呼ぶ。何度目かはわからないけれど、毎度、私の視界はその響きで鮮明になる。
「ありがとうございますっ」
鮮明な視界に、彼女の笑顔がくっきり映った。
「ええ、こちらこそ、ありがとう」
私はその笑顔に対し、本心から礼を言った。
〇
わかっている。
間違えない。
これはただ、遊ぶだけ。それだけ。
彼女にとっては、趣味が合う年上のお姉さんと遊ぶだけ。
……間違えない。大丈夫。
……わかっている。
わかっている。
ひとり、自室で唇を噛む。
いくつもの、『どうして』が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
それらは考えても仕方のないことだけれど、考えざるを得ない。
懊悩を噛みしめる。
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