第10夜 パトリア・ウンブラ:影の国の女王

 小さい頃からよく見る夢がある。


 僕は空想癖があって『変わってる子供』だった。

 周りの大人達は僕が一家心中の生き残りだからだと憐れみ、そのせいで変わってしまったと言う。

 でもその夢だけは妙に現実的で大学生になった今も見続けている。


 同じ街、同じ景色。

 だけど、そこを行き交う人々は魔法を使う。

 だから夢だと思って来た。

 目を閉じて夜にだけ行ける場所。

 そして、朝になって目を覚ませば自分のベッドの上だから。


 でも最近、夢じゃないのかもと思い始めていた。


「あった……」


 大学の敷地内。

 北校舎の陰にある桜の木の根元にメモ書きした紙を埋めた。

 夢の中で、だ。

 でも翌朝掘り起こしたらそれが出て来たのだ。


「夢遊病じゃない?」

 それをネットの匿名掲示板に書き込んだらそんなレスが付いた。

 他にも数件反応があったが、真面目に受け取ってくれた人はおらず、逆にネタだと思われて酷い答えが返って来ただけだった。


 友達には相談しなかった。

 ネット同様、真剣に聞いてくれるとは思えなかったからだ。

 僕にはそういう『親友』と呼べる友達がいない。

 でも夢の中にはいる。

 魔法が使える不思議な友達。

 小さい頃から今までずっと同じ姿で歳を取らない。

 けれど僕は彼女の名前を知らない。

 ただ『アミカ』と呼んでいる。

 ラテン語で友達という意味だと中学生の時に知った。

 女性はアミカかフィーリ。

 男性はゼンかベン。

 どれも外国語で友達を意味する言葉だ。

 他には死神と名乗る人もいた。

 夢の中では誰一人として本名を名乗る人はいない。


 夢を見始めたのはいつからだったか。

 物心ついた時には既に見ていた気がする。

 だから両親が死んだせいじゃない。

 あれは僕が九歳の時だった。

 その時にはアミカが僕を慰めてくれた。

 背が高くて大人なアミカが今は僕より背が低くなった。

 歳も多分同じくらい。

 もし夢じゃなかったらそのアミカは現実に存在することになる。

 そう思い至ったらアミカを探さずにはいられなかった。

 大学を脱け出し、アミカを探した。


 夢の中でよく一緒に行ったカフェ。

 それから公園。

 そして、アミカの家。


 だけど、アミカの家だけは見つからなかった。

 家がある場所は別の建物が建っていた。

 小さな庭のある赤い屋根の一軒家。

 その筈が古い三階建てのビルになっていた。

 確かにその場所の筈なのに、と何度も道を巡っていると三周目で急な眠気に襲われ、その場に倒れた。


 目を覚ますと夢の中にいた。


「自力でここに来るとはな」

 高級ホテルのロビーのような広くて静かで落ち着いた場所だった。

 広すぎるが応接室なのだろうか。

 高そうなソファに寝かされていて、起き上がると少女が傍らのローテーブルの上に座って僕を見つめていた。

 アンティークドールのように綺麗だがどことなく怖い印象を受けた。


「誰と知り合いだ? 夢じゃないと悟った理由は?」

 まだ小学校の低学年くらいにしか見えないのに喋り方は大人のようだ。

「答えろ。さもないと無理矢理口を開かせるぞ」

「……ここで紙を埋めて目を覚ました後掘り出しました」

 威圧的な少女に思わず敬語で答える。

「質問は二つした。知り合いは?」

「いません」

 僕の答えに少女は僅かに目を細め、指を鳴らした。

 すると奥の部屋からアミカが姿を現した。

 知ってて質問したのか。


「ここで嘘は通用しない。特に私の前ではな」

 少女の言葉にアミカは俯き、「ごめんなさい」と小さく呟いた。

「お前が夢じゃないと気づいたせいで厄介なことが起きた。ここは迷い込む奴は多いが自力で来られるような場所じゃない。夢だあの世だと誤魔化して決して交わらないという掟もあった。ここはな、招待制の会員クラブと同じだ。出入りは制限されている。何度も迷い込んで引っ掻き回されるのは不愉快だ。秘密を作られるのもな」

 少女はアミカを睨みつけ、次いでテーブルから降りて僕を見下ろした。

「不本意すぎるが今からお前はここの住人だ。素質が全くない訳じゃないが不十分だ。が、このまま戻せばこの国が崩壊しかねない。約束を破った代償は大きいぞ」

 少女は不機嫌そうにアミカを一瞥し、更に不機嫌そうに僕を睨みつけた。


 ここが夢じゃなく現実ならここはどこだ?

 代償って何をさせられるのか。

 疑問が次々と湧き上がって来たが、それを口にする前に少女が僕の肩に手を置いた。

 すると急に全身が痛みを伴って熱くなった。

 あまりの激痛に叫んだが、すぐに声も出なくなった。

 気を失いかけたが、痛みが全身を駆け巡ったのはほんの数秒のことだった。

 何が起きたのか腕を見ると焼印を押されたような文字がびっしりとあった。

 達筆な人が書いたような綴文字に見えた。

 日本語ではなく、アルファベットでもないように思えた。


「ここの住人になる条件は三つ。住人からの招待、並外れた空想力、そして秘密を守るという証。住人からの招待は私がしたことにする。並外れた空想力は……あるにはある。証は今入れた。この全身に刻んだ魔法のタトゥーはこの国の言葉で書かれた契約書だ。何があろうと何をしようと消えない。これがある限りこの国からは出られない。出られるのは水の加護を受けた一部の者だけだ。あとは死んで契約書が消えた時だな。例外はない」

「水の加護?」

「私だけが与えられるものだ。お前には与えない。その資格がない」

「資格?」

「ここの住人になれば魔法が使える。だがすぐに何でもできる訳じゃない。教えてくれる学校もない。使えるようになるかどうかはお前次第だ」

「どうやって……?」

「一つだけヒントをやるなら水の側で想像しろ。ここは空想力が全てだ」


「空想力……」

 ここの住人になる条件にもなっていた。

 小さい頃から『変わってる』と言われるほど空想が好きな子供だった。

 それは今も変わらない。


 だからここに来られた。

 でも。


「ここって一体……? それにあなたは?」

 肝心なことをまだ何も聞いてない。


「ここはパトリア・ウンブラ。影の国と呼ばれる世界だ。常にお前の世界の裏にある。元は一つだったが、互いに干渉しないと決めた。我々はお前達とは根本的に相容れない者だ」

「相容れないとは?」

「我々は歳を取らないし、死なない。この国に来た瞬間、時が止まる。でも全ての人間がこの国に来られる訳ではない。空想力を持たぬ者からどう見えるかは知っている。互いに干渉しない約束だが、元は一つだったんだ。互いに協力せねばならぬこともある。故に一部の者が行き来しているし、この国に迷い込む者もいる。お前のようにな」


 アミカも行き来していたのだろうか。

 アミカを見ると僕から目を逸らした。

 アミカは僕をこの国の住人にしたくないのか?

 誰もが憧れる世界に思うけど、実際は違うのか?


「行き来できるとは言ったが、我々にもリスクはある。お前達の世界に行けば不死ではなくなる」


 アミカがもし行き来していたのなら、死の危険を冒していたということか。


「……この者は加護を受けていない。だが、ここに永くいればいずれ加護を与える日が来るやもしれぬ。この国にいれば永遠に死ぬことはない。だが、この国に最初からずっと居続けている者はいない。私を除いて」

 そういえばまだこの少女が何者か答えを聞いていなかった。


「私はこの国の女王。この世界を創造した者だ」


 それが僕と少女の出会いで、現実の始まりだった。

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短編集:雨月の下で紡ぐ物語 紬 蒼 @notitle_sou

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