第9夜 ハクロ:悪魔と女子高生の旅路
「やっぱりこんなところに金を貯め込んでたのか。映画で見たのとそっくりそのままで笑えるな。あれは……何て映画だったかな? 分かる人?」
突然の乱入者にその場に居た十数名の男達は一瞬動きを止めたが、すぐに全員が銃を構えた。
「誰だっ。どこから入ったっ」
ただ一人、銃を持たない男がそう吠えると乱入者は男を指差して笑った。
「わぉっ。映画でも全く同じセリフを言ってた。もしかしてその映画に出てた?」
銃を向けられ、逃げ場もない状況の中、乱入者は怯えるどころか緊張感の欠片もない。
「片付けろっ」
男がそう言うと一斉に銃の引き金が引かれ、乱入者はその場に血まみれになって倒れた。
その筈だった。
「
乱入者はそう言って薄く笑んだ。
その笑みに全員が目の前の乱入者が『普通』ではないと察知した。
狂ったように銃を撃ち続ける者、我先にとその場から逃げ出そうとする者と半々だったが、一瞬にして悲鳴を上げて全員が勝手にその場に倒れ伏した。
「
床で呻き声を上げる男達にそう言い残して乱入者は部屋を出て行った。
その乱入者は高級スーツに身を包み、よくできた彫刻のような長身の男だった。
モデルのような弁護士に見えたが、その瞳は右は漆黒、左は純白の
そして、全員を床に倒した瞬間、目と同じく左右色の違う翼がその背に現れた。
左は天使の名残、右は悪魔の存在を示していた。
乱入者の名はハクロ。
ある時からそう呼ばれるようになった。
それは数百年前まで遡る。
ハクロは当時天使として天界にいた。
力も弱く、その他大勢の天使の一人に過ぎなかったが、ある時、仲間の一人が人間の女性に恋をした。
天使は人間を慈しむように言われているが、人間の人生に関わってはいけない決まりがあった。
だから当然恋するなど以ての外だ。
故にハクロも仲間を諭し、恋路の邪魔をしようとした。
それに天使は神の寵愛を受ける人間に嫉妬し、毛嫌いしている者が大半だ。
か弱くすぐに死んでしまう人間をなぜ愛さねばならぬのか、大半の天使が理解していない。
天界には人間の人生に関わってはいけないという決まりの他にもう一つ決まりがある。
禁断の果実『生命の実』とアダムとイヴが食べたと言われる『智慧の実』を食べてはいけないというものだ。
人間に恋をした天使はその決まりも破った。
恋した女性が事故により瀕死の状態に陥った為『生命の実』を盗んで食べさせようとしたのだ。
決まりを破れば当然『罰』が与えられる。
しかも二つも重大な決まりを破った天使に与えられる罰は『消滅』しかなかった。
その最悪の結末を回避する為、ハクロは『生命の実』を奪い返した。
が、結局その天使は自らの命で以って人間を救い、自らの『死』を選んだ。
その死の間際、ハクロは『生命の実』をその愚かな天使に使おうとした。
「なぜ……神は誰も食べられない実を天使に守らせるのか……そもそもなぜ植えられたのか……なぜ……試されるのか……」
愚かな天使は誰もがずっと抱いていた口にできない疑問を最期に口にした。
「答えを……知りたくないか?」
そう言ってハクロの左目に刻印を刻み『生命の実』を植え付けた。
天使も悪魔も瞳の色は様々だが白い者は一人もいない。
白くなるのは刻印を刻んだ際、焼かれるからだ。
食べてしまった実はなくなるが、植え付けられた実はただ食べるよりもずっと強大な力を持ちながら消えず、その者自身が実となる。
つまり、ハクロを食べれば実を食べたことと同じ効力を得ることができるようになったのだ。
神が禁じているのは園にある実だけ。
そこから外に出た実は誰でも食べて良いと解釈された。
ハクロは人間界で刻印を刻まれた。
故に天界は連れ戻して監禁しようとする者と中にはハクロを喰って人間界で生きようとする者に分かれた。
またそれを聞きつけた地獄の者はハクロを喰って人間界で生きようとする者とハクロを地獄の王に捧げて地獄での地位を上げようとする者に分かれた。
さらには煉獄の者までもがハクロを喰って力をつけようと煉獄から出ようと躍起になった。
こうして天界に戻れなくなったハクロは人間界に留まり、逃亡生活が始まった。
その時から『ハクロ』と呼ばれるようになった。
その所以はその瞳の色だ。
白と黒、ハクとクロ。
元の名が何だったのか、ハクロ自身も忘れて久しい。
誰も呼ぶ者がいなくなったからだ。
長い逃亡生活は当初ハクロが考えていたよりそれ程過酷ではなかった。
人間界における決まりのお蔭だ。
天界と地獄の者は人間界では彼らの使命以外で互いに手出しをしないこと。
それ故、ハクロはある一定の安全を保障できたが、唯一煉獄の者にはその決まりはなかった。
が、煉獄の者は天界からも地獄からも人間界では狩られる対象だ。
その危険を冒す価値はあるが、迂闊に手出しできない状況ではある。
天使は悪魔から人を守る際にハクロを巻き込んで連れて行こうとし、悪魔は契約で以ってハクロを唆して喰らおうとしている。
煉獄の異質なモノ達はまずはそこから出るのに苦労し、やっと出られても悪魔や天使に比べれば力は弱い。
悪人から表沙汰にできない金を奪い、その金で人の振りをして生きている。
左右色の違う目は普段は偽装して黒く見せている。
翼も消していれば人に似せて作られたが故に人に溶け込めた。
数百年、そうやって生きていたハクロだったが、ただ逃亡生活を送っていた訳ではない。
愚かな天使の疑問の答えを探していた。
「なぜ……神は誰も食べられない実を天使に守らせるのか……そもそもなぜ植えられたのか……なぜ……試されるのか……」
直接問えない神の意図。
上級天使でさえ、神と直接会ったことはないという。
会ったことのある天使はごく数人。
その中で二回以上会ったことのあるのは一人だけだという。
悪魔は下っ端の者でさえ、王と会ったことがあると聞くのに。
神と会ったことのある人間がいるというのに。
同じ天界に住まう者が会えないのはなぜか。
なぜ人間だけでなく、天使をも試されるのか。
その問いの鍵が『禁断の果実』にあるとハクロは考えている。
さらには神が寵愛する人間にも。
だから、人間に関わることを決めた。
数百年考えてようやく決断した。
「ハクロと申します」
丁寧に名乗った。
怯える小さな人間の女の子に跪いて。
一万の命が奪われた血の海の中で。
「私にあなたの左目をください。あと死んだ時は魂も。代わりに左目は私と共有しましょう。あと約一万回分の命と死ぬまでの生活を優雅に保障します。保護者を失った子供が一人で生きるのは大変です。私の提案を飲むことをお勧めします」
ハクロは悪魔の契約を囁いた。
それに涙を流しながらも女の子は毅然と質問した。
「オジサンは誰? 悪い人?」
「……半分天使で半分悪魔です。人間と同じ、善悪両方を持っています。あなたも嘘を吐いたり親の言いつけを破ったりするでしょう? それでも自分は良い子だと言えますか?」
「人殺しじゃない」
「ああ、確かに。それを言われると弱いですが……すべてはあなたの為、と言っても正当防衛とかそんなものになりませんか?」
「わ、わたしの……?」
「あなたを天使やら悪魔やら化け物から守る為に簡単に死なないようにしたんです。その為の犠牲なのでやむを得なかった……って言い訳をしたいのですが」
「どういう……こと?」
「理解できませんか? まあ、いずれ理解できる日が来るでしょう。とりあえず、今は天使と悪魔からあなたを守ります」
にこりと笑んだハクロの顔に女の子はなぜか安堵した。
目の前で両親を殺されたのに、目の前で惨劇が引き起こされたのに、ハクロが天使に見えたからだ。
それから女の子とハクロの不思議な共同生活が始まった。
悪い奴から奪った金でホテル暮らしをし、学校にも通った。
ハクロはしばらくは彼女の『父親』だったが高校生になった時には『兄』となった。
ショッピングモール爆破事件。
犯人は不明。
当時モール内にいた客と従業員全員が死亡。
生存者はなしという惨劇が起こった。
犯人はハクロ。
唯一の生き残りは当時小学三年生だった女の子。
天使と悪魔が数万の人間の犠牲を利用してハクロを奪いにモールで暴れたが、ハクロの圧倒的な力の前では成す術もなかった。
その際、女の子は八回死んだ。
その後も何度か死んではその度に生き返った。
でもまだ万単位で命が宿っている。
爆破事件で死んだことになっている為、戸籍もない。
それでもハクロの不思議な力で名前を変えながら転校しながらも学校に通っている。
その中で女の子は天使が想像と違って冷酷なことを知った。
悪魔は意外と契約に対して律儀だと知った。
化け物は本当に存在することを知った。
それから両親の死と数万の人の死を理解した。
なぜ彼らが死なねばならなかったのか、それは分からない。
でもそれが自分のせいだと知った。
ハクロと左目を共有して自分の目が特殊だと気づいた。
小さい頃から幽霊が見えた。
全部幽霊だと思って来たものの中には天使と悪魔がいた。
化け物は出会わなかっただけで、それらもハッキリと見ることができた。
幽霊が見える人は意外と多い。
でも天使や悪魔をハッキリと見ることができる人はいない。
感じることができるだけとか影や靄として見ることができる人はいても女の子のような目を持っている人はいない。
だから、ハクロは彼女を選んだ。
だから彼らの死は彼女のせいだ。
「飛び降りる気か? 飛び降りはあまりお勧めしない。痛いし見た目も悪い。一度経験してるだろう?」
ホテルの屋上でハクロが彼女を引き留めた。
「分かってる。飛び降りる気はない。ただちょっと考えただけ。本気で死ぬつもりなら錘と一緒に海に沈むわ。生き返ってもまた死んでを本当に死ぬまで繰り返せるもの」
「ああ、なるほど。でも、死ぬ前に私が助けるけどな」
「……それも知ってる。だからちょっと考えただけって言ってるでしょ。それに死にたくても死ねない。だって生きたかった人達の命よ? それを簡単に手放すなんてできない。無理よっ。大切な命を粗末になんてできない。死ぬたびにいつも申し訳なく思ってる。無駄にしてしまったって……だから死にたくても死ねないし、死のうって考えるだけでも申し訳ない気持ちになる。だからなんで生きてるのか理由が欲しい。なんで私だけが生きてるのか……」
「それについては何度も話したと思ったんですが……」
「分かってる。私の目が必要なんでしょ。見える人間と一緒に何か壮大な計画があるって。でもなんで私? なんで今? 禅問答みたいな話に私を巻き込まないでっ」
「そう言われましても覆水盆に返らずと言いますか。いくら私でも過去に戻ることはできませんので、やってしまったことを嘆くより前を向いて頂きたく……」
「そういう天使っぽくて悪魔的なところが嫌っ」
「そう言われましても『ハクロ』なんで」
「知ってるっ。だから少し一人にしてっ。頭で理解しても心じゃ理解できないことが人間にはあるのっ」
「そう言われましても死を望まないなら一人にすることはできません。自殺以外で死ぬ可能性の方がずっと高いですからね。しかもこんな夜は」
そう言ってハクロは空を指差した。
月のない夜。
そんな日は悪魔が力を増し、煉獄から異質なモノ達が出て来やすい。
「私の人生をオカルトでホラーにした代償と責任は必ずキッチリ払って貰うからっ」
「勿論です。明日は好きなだけネットショッピングして好きなものを好きなだけ食べて構いませんよ」
「今時の女子高生がそれで満足すると思ってるの?」
「ではどういったことをご所望で?」
「それプラス、ストレス発散に強盗するわよっ。お金も稼がなきゃいけないでしょ?」
「そうですね。湯水の如くお金が消えていくのでそろそろ稼がないと困ります。では、早速デートと参りますか」
「お姫様」とハクロは彼女を抱きかかえ、屋上から飛び降りた。
そして悪人の元へ。
「まるで映画ね。ヒーローものにする? それともホラーにする?」
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