第8夜 一期一会:ハサミ男と結い女

 小指に結ばれている運命の赤い糸。


 それが本当にあるって私は知ってる。

 でも本当は赤い糸じゃない。

 小指には黒い糸が結ばれている。

 赤い糸が結ばれているのは中指だし、運命の相手と繋がっている訳じゃない。

 人と人とはそれぞれの感情で結びついてる。

 だから私の小指の糸が相手の中指に繋がっていることもあるし、途中で切れてることもある。


 それから人が薬指に指輪をするのは怒りを鎮めるため。

 薬指は怒りの感情と結びついてて、『木』の気を帯びているから『金』の気を帯びてる指輪で以って制するのだ。


 全然ロマンチックじゃない。

 現実だとか真実なんていうものは大抵そんなもんだ。


 それでも小さい頃は糸が見えない人達が言う『運命の赤い糸』を信じてた。

 小指の黒い糸がいつか赤く染まってその先に素敵な運命があるのだと。


 でもそんな夢は早々に打ち砕かれた。

 小学三年生の幼気いたいけな少女にそんな酷い仕打ちをしたのは、指に一本も糸がない少年だった。

 初めて見た時、びっくりして思わず「糸がない」と口にしてしまった。

 だってそんな人、今まで見たことなかったから。

 生まれつきだろうと事故で指を失った人でも体のどこかに糸は結ばれてた。

 どんな人でも五色の糸が利き手側にあって、稀に両手に結ばれてる人もいた。

 感情がないような人でも途中で糸が切れてることはあっても指には結ばれてる。

 それなのに彼にはどこにも糸がなかった。


驚いたおべた……『結い女』か?」

「なんで結生ゆいの名前知っとるん?」

「あ? 結生っていうのか? 笑えるな」

「なんで笑うん? お兄ちゃんの名前は?」

「……ハサミ」

「そっちの方が変じゃん」

「本当の名前じゃない。周りがそう呼ぶ。笑うならお前の糸全部切ってやろうか?」

「どうやっても切れんもん。知らんの?」

「なんで俺が『ハサミ』って呼ばれてるのか考えてみろ。俺が糸が切れるからだよ。お前が糸を結べるみたいに」

「……なんで結生が結べるん知っとるん?」

「糸が見える人間は常に二人だけだからだよ。切れる男と結べる女。俺が切った糸はお前にも結べない。逆にお前が結んだ糸は俺には切れない。縁切屋と縁結屋。それが俺達だろ? 何も知らないのか?」


 彼の家は神社で両親から自分のことについて物心ついた頃からたくさん聞かされてきた。

 でも私は物心ついた頃には施設にいてずっとそこで育って来た。

 糸が見えることを無邪気に口にしていた私には里親も見つからず、周囲まわりとも馴染めなかった。

 人と違うことを口にしてはいけないとようやく理解し始めた頃、彼と出会って自分が何者か、本当に初めて知ったのだ。


 そして、同時にそれまで自分がしてきた『秘密の遊び』がいかに幼稚で愚かな罪深きことかも知った。


「知らなかったからって許される訳じゃない。むしろ無知は罪だ。知ろうと努力しなかった責任は重い。例え知り得なかったことでも言い訳にはならない。それは子供だからだろうと許されることでもない。分かるか?」


 私がしてきた『秘密の遊び』を告白した時、彼はそう言った。

 彼にだけは打ち明けなければと思って勇気を振り絞った。

 自分が酷く汚いモノに思えて、声が震えた。


 その時の感情で糸を結んで来た。

 嫌いな人同士の糸を結んだり、自分に良くしてくれた人の糸をその人が好きな人と結んであげたりした。

 でも、自分の糸を誰かと結んだことはない。

 それはそれがいけないことだと心のどこかで幼いながらも知っていたからだ。


馬鹿だら

 彼は時々変な言葉を使う。

 それが出雲弁だと知ったのはつい最近だ。

 だから当時は標準語の中に紛れ込む変な言葉が怖かった。

 表情もあまり変わらないのもあって、人じゃないのかもしれないとさえ疑ったこともある。

 今思えば笑える話だけれど。


「それで? 望み通りになったか? ならなかっただろ?」

 全てを見透かすような目も怖かった。


 感情に任せて結んだ糸は彼が言うように必ずしも私の望み通りの結果にはならなかった。

 最初は思い通りにいったように思えても、時間が経つにつれて糸は絡まり始め、予想外の縁を生み出していった。

 例えば片思いの人を両想いにしてあげても三角関係の泥沼になったり、なぜか怒りの糸もその人に自然と結ばれてしまって両想いなのに喧嘩が絶えなくなったりした。

 それで糸を解こうとしたこともあるけど、自分で結んだ糸でも解けなくなっていた。

 絡まった糸をどうにかしようとしても余計に絡まるばかりで、一度やってしまったことは戻せないのだと知った。


面倒くさいめんだな


 彼はそう言いつつも小学生の私にも分かるように『糸』についてたくさんのことを教えてくれた。


 人の指には五色の糸が付いている。

 親指は白。

 人差し指は黄色。

 中指は赤。

 薬指は青。

 小指は黒。


 そしてそれぞれが感情と結びついている。

 親指は悲しみ。

 人差し指は思い。

 中指は喜び。

 薬指は怒り。

 小指は恐れ。


 それからそれぞれの指は『気』を帯びている。

 親指は金。

 人差し指は土。

 中指は火。

 薬指は木。

 小指は水。


 人の縁は単純に見えて複雑だ。

 糸は真っ直ぐ伸びている訳じゃない。

 大抵絡まってその先を探すのが困難だ。


 同じ指に糸は一本だけじゃない。

 複数あることがほとんどだ。


 だから、彼に一本も糸がないのが不思議だった。

 それは今でも同じだけど、今は寂しいと思うようになった。

 彼にだって感情はある。

 それなのに糸はない。


 強い感情はどんなに複雑に絡まっていてもその先がはっきりと分かる。

 上手く言えないけどその糸だけが光っているかのように特別な見え方をするからだ。


 彼の指にもそんな糸があればいいのに。

 今はそう思うようになった。

 彼の指に糸を結ぶ。

 それが私の密かな野望。


馬鹿だら


 私の野望を知ったらそう言われそうだけど。


 でも、高校生になった今。

 私にはもう一つ野望ができた。


「はあっ。あんなお兄様、私も欲しい」

 友達が私の隣で溜息を吐く。

 羨望の眼差しを私に向けながら。

「意地悪で仏頂面じゃけど?」

「それを『クール』って言うんよ。完璧じゃんっ」

「どこが? 眼科か精神科に行けば?」

 不機嫌にそう言って、私は数メートル先を歩く『お兄様』の背中を見つめた。


 中学生の時、私は施設を出た。

 彼の両親が私の里親になった。

 私が『結い女』だと知った上で。

 だから彼は私の戸籍上の『兄』になった。


 大学生になった彼はこの辺りでは有名人だ。

 いや、幼い頃からこの辺りでは有名人だった。

 愛想の悪さは世界一だと思う。

 でも悪いイメージで有名な訳じゃない。

 家が神社で彼も袴を穿いて手伝うからかもしれない。

 一八四センチと背が高いからかもしれない。

 頭が良いからかもしれない。

 喧嘩が強いからかもしれない。


「いつ見てもカッコイイ……」


 友達の目を見れば一番の理由が分かる。

 認めたくないけど、一番の理由はその顔だ。

 大変麗しく彫刻にでもすればいいと思うほど整っている。

 服のセンスも良いけど、きっとダッサい服を着せても着こなしてしまう気がして気分が悪い。


 それに対して私は人生で一度もモテたことはないし、どんなに取り繕っても「キレイ」どころか「可愛い」すら言って貰えなさそうな顔面だ。

 背も低いし、成長期真っただ中だというのに何もかもが成長してくれない。

 彼と並ぶと親子に見えるくらい身長差がある。

 私が『結い女』じゃなかったら絶対にお近づきにすらなれなかったはずだ。

 妹になれただけでもラッキーと思うしかない。


 いっそ糸を結んでやろうかしら?


 そんな妄想をする。

 いや、それが私の野望だ。


 彼の指に糸を結びたい。

 それが私と繋がってたらいい。


 夢で終わりそうなとてつもない野望。


しまったやいな! 結生、今日店番代われ。急用ができた」

 不意に立ち止まって振り返った彼はそう言い残して走り去って行った。


 店番というのは神社の奥でひっそりとやってる『縁切・縁結屋』のことだ。

 そこに来られるのは本当に『糸』で困っている人だけ。

 そういう人だけがあの場所を見つけられる。

 もしくは私と彼、二人と一緒の時だけ辿り着ける場所。


 そこは私が彼と初めて会った場所でもある。


 私が彼の妹になった時から始めたお店。

 店の名前はない。


 でも私は密かに『イチゴ』と呼んでいる。

 一期一会のイチゴ。

 結べるのも切るのも一度きり。


 それでも結びたい『縁』、切りたい『縁』はありますか?


 私にはある。

 途方もない野望だけれど、いつか絶対に結んでやる。


 でも、いつか自然と結ばれたらいいとも思う。

 いつか、必ず、きっと。

 それは近い未来だといいな。


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