第8話 敵意

クエンがパジャマを持って行った次の日の土曜日、圭太と弥七、ギエの3人は、タムとチャウを見舞に病院に向かっていた。

3人はタムとチャウが目を覚まし一般病棟に移ってから初めての面会だった。

最初は、圭太と弥七だけで行くつもりだったが、見舞に行く話をしていると、それまで話は聞いていたが何の反応も示さなかったギエだったが、珍しく自分も連れて行ってほしいと言いだし、銀子の運転する車に同乗していた。

「最近は、二人とも、嬉しそうな顔をして、ご飯を良く食べるのよ。」

銀子は、まるで自分の子供のように、嬉しそうな顔をしてタムとチャウの様子を3人に話して聞かせた。

チャウもタムもまだ、自分たちが置かれている状況が理解できていなかったが、初めて見る大きくきれいな病院に驚いていた。

しかも、ベッドの上で寝られるのと、病院食だが温かいご飯が食べられ、自分達はキツネの騙されているのではと本気で思うほどだった。

それもそのはずで、生まれ育った家は貧乏で、雨風を防げる程度のあばら家で布団もなく、タオル1枚の上に寝ていた。

南国の亜熱帯の気候で冬でも暖かかったが、タムたちの住んでいる地域は北の方で、冬は何も羽織らず寝ていると冷えるくらいの寒さだったので、寝るのも辛かった。

食事も穀物中心で、量も少なく、味気ない物だった。

当然、義務教育だが小学校に通わせてもらえず、ただただ、辛い農作業の手伝いと家の用事に明け暮れ、世間がどんなものかも全く分からず、そしていきなり実の親に売り飛ばされたので、病院の中や病院から見える外の風景、見るものすべてが新鮮だった。

また、タムもチャウもお互い面識はなかったが同じ村で顔は見かけたことがあったのと、同じ年で似た境遇だったので、すぐに打ち解け、双子のように仲が良く、病院内では何をするのも常に一緒だった。


銀子とは、ぼんやりとだがチョウの店から車で連れて病院に運んでくれた人だということをクエンから聞いていたのと、病院で目を覚ましてから毎日のように顔を出し、優しく話しかけていたので、二人はクエンと同じように銀子に懐いていた。

その銀子を先頭に弥七、ギエ、そして圭太の順で病室に入って行くと、二人がベッドの上に座って圭太達の方を見ていた。

圭太はタムとチャウを見ると、店で見た時、趣味の悪いリボンをさせられていた髪の毛がないのに目がいった。

タムとチャウは、あまりに不衛生なところに閉じ込められていたので、頭にも皮膚炎があり、病院に運び込まれた時に、全身を消毒され、髪の毛も短く刈られていたのだった

(まるで、マルコメみたいだな)

圭太は、二人の頭を見てそう思った。


最初は誰だろうときょとんとして三人を見ていたが、圭太をまじまじと見るうちに、タムとチャウの目は怖れと怒りに満ち溢れてきて、そして、身体を震わせ、まるで発作を起こしたようだった。

特に、チャウは喘息の発作も起こしたように激しく咳き込み看護婦が飛んできて、口に薬を吸引させるマスクを当て、一生懸命咳が治まるように介抱していた。

タムの方は、咳はしなかったが、体の震えが止まらなくなり銀子が見かねてタムの近くに行くとタムは銀子の陰に隠れるように小さくなった。

「若!

 若は、病室から出た方がいい。」

弥七が素早く状況を判断し、圭太に忠告すると圭太も頷いた。

「わかった、そうする。」

圭太も二人がおかしくなったのは自分を見てからと分かっていたので、すっと、病室から出て行った。


それから圭太は1時間以上病院の待合室のベンチに一人で座っていた。

「あ、いたいた。」

銀子の声で圭太が顔を上げると、銀子、弥七、ギエの三人が圭太の方に小走で近寄って来た。

「圭太、ごめんなさい。

 長々とお待たせちゃって。

 待ち疲れちゃったんじゃない?」

銀子はすまなそうな顔をして、また、ずっと待たせてしまった圭太を気遣っていた。

「二人は?

 タムとチャウはどうしたの?」

圭太は自分のことより、二人のことが気になって仕方がなかった。

「ええ、あれから少ししてやっと二人とも落ち着いて、少しだけ話をしてきたわ。

 そのあと、二人を診察して頂いた先生から話を聞いていたので遅くなってしまいました。」

銀子は複雑な顔をして言った。

「今日は休みだし、このまま圭太の家に戻って、話しをしましょう。」

圭太は頷いてギエと弥七の方を見た。

ギエはいつものように無表情だったが、弥七は困ったような複雑な顔をしていた。

屋敷に戻るまでの車の中で、弥七も銀子も何も話さなかったので、圭太は不安でいっぱいになっていた。

(どうしたんだろうか。

 二人の身体に何かあったのかな)

屋敷に着くと3人はリビングに集まっていた。

そこにギエがコーヒーを持って戻ってくる。

「さて、みんな揃ったわけだけど、病院で何があったのか話してくれる?」

圭太は待っていられず自分から切り出した。

「若…。」

口を開いたのは弥七だった。

「タムとチャウは、どうやら若のことを人身売買の組織から自分達を買った悪い人間と思っています。」

「え?」

圭太は意外だった。

なぜ自分がタムとチャウを買った人間なのか、結果的にはそうなのだが、あの店の中では接点はなかったはずだと思った瞬間、檻に閉じ込められている二人と目が合ったのを思い出した。

(あの時、二人は俺のことを怒った目で睨んでいたっけ。

 あの時に誤解した?)

圭太は呆然と考えを巡らせていた。

「で、自分達を奴隷のようにおもちゃにして、飽きたら売り飛ばすつもりの悪者と頑なに信じ込んでしまっていて、どんなに説明してもわかってもらえない状況です。

 あの店での出来事が、幼いと言っても10歳、何があそこで行われているのか理解し、自分にも降りかかってくる恐怖が心に傷として刻み込まれているんでしょう。」

弥七は苦虫を噛み潰したような顔をしていった。

「二人を診た先生の話では、おそらく高熱の後遺症と恐怖心から記憶が混濁し、圭太が自分達のことをひどく扱う悪者という空想を現実のこととして思い込んでしまっているのだと言っていました。

 それが現実ではないと理解するには、かなりの時間がかかるんじゃないかって。

それと心配なのは、精神状態が落ち着くまで、また何かあると、例えばあの子たちを大声でどなったり、叱ったりすると、それが新たな心の傷になることが十分に考えられるそうです。」

銀子は圭太がどんな反応をするかを確かめるように上目遣いで見た。

「まあ、正義の味方が一番の悪者になったってことだね。

 それにお金で買ったのは、まぎれもない事実だからな。」

圭太は小さくため息をついた。

「若。

 喘息に足の障害持ち、二人にはこれからも医療費がかかるのと、今、お銀が言ったように心に爆弾を抱えた状態、大声を出せないって言うのは、おそらく孤児院でもどこでも引き取り手はないですよ。

 ましては、この屋敷と言っても、若を敵対視していたら論外、上手く行きっこないですよ。

 お銀、先生は退院までどの位って言ってた?」

「2週間くらいで退院できるまで回復するだろうって。

 ただし、それは身体だけで、メンタルケアをどうするかは経過観察が必要だそうよ。

 あ、あと、今は二人で一緒だから均衡が保てるところがあるそうよ。

 同じ境遇の二人だから、お互い心が寄りそっていて均衡がとれているそうよ。

 だから、二人を引き離すのは、心のバランスが崩れるので、今は止めた方が良いって」

「先生も言いたいこと好きなだけ言ってくれるよな。

 あかん、ますます引き取り先を探しても見つからんわ。」

弥七は天を仰いだ。

実は弥七は孤児院や里親になってもいい家庭を探していたのだが、ただでさえ難しい中、今の話を聞いてすべて無理だと感じていた。

「せめて、若と仲良くできたら、引き取り手を探す間だけでも置いておいてもらうんだけど。」

弥七は恨めしそうな顔で圭太を見た。

「ああ、僕もそれを考えていた。

 この家で引き取ろう。」

「ですよね、無理ですね…、え?」

弥七と銀子は驚いた顔で圭太を見た。

「だって、二人とも圭太を目の敵にしますよ。

 そんな二人を預かって、今のようにゆったりした生活は送れなくなりますよ。」

銀子も無理だと言わん顔をした。

「まあ、時間を掛けて誤解を解いていけばいいんだろう?

 家には、スーパーメイドのギエがいるから、ギエに二人の面倒を見てもらえば、特に僕が二人に接しなくても、問題ないだろう。

 ギエには負担がかかるだろうけど。」

圭太はそう言ってギエの顔を見たが、ギエは相変わらず何も言わず無表情だった。

「でも…。」

「それに、二人とも養子縁組して、僕の子供にすればいいだろう。」

「それは…」と弥七が言おうとした時、それまで黙って話を聞いていたギエがおもむろに口を開いた。

「圭太様、それはいけません。

 家に引き取って、私が面倒を見るのは構いませんが、圭太様が親になるのは、いけません。

 わかりますか?

 親になるということは、タムとチャウが西園寺家の子供になるということで、お父様、お母様、お兄様が絶対に許しません。

 それこそ、今後のお家騒動の火種になります。」

「…。」

圭太はギエの言うことがもっともだと思い、そこまで考えられなかった自分が恥ずかしかった。

ギエの言うことは、タムとチャウが圭太の子供になれば、西園寺家の縁者になり、寅蔵に何かあった際、否が応でも騒動に巻き込まれる、また、独身の圭太自身にも嫁取りなどにもいろいろと不利になることだった。

特に、母親や兄がタムやチャウにつらく当たると二人が可哀想だし、それに、圭太自身V国に永住する訳でもなく、いずれ日本に帰国した時二人を連れて帰ると、嫌が上でも面白くないことに巻き込まれるということだった。

「ですので、二人は私の養女として、この屋敷で預かります。

 私の養女であれば、この国のいろいろな制度も受けられますし、余計なお家騒動も起きません。

 また、私が育てますので、圭太様はただ見ているだけで結構です。」

「そっか、その手があったか。」

「そうね、それがいいわ。」

弥七も銀子も小躍りして喜んだ。

「部屋はたくさん開いているから大丈夫だろ。

 問題は養育費か。

 ギエさん、お給料もらっているんだよね。

 でも、いきなり二人増えたら厳しいだろう。」

「はい、それはすでに寅蔵様にご説明、申し上げています。

 圭太様ならきっとそう言うだろうと思いまして。

 寅蔵様も、お給料を上げてくださると言っていました。」

「もう、そんな話をしていのか?

 さすが、ギエさんだ。」

弥七も銀子もギエの行動力に舌を巻いた。

「というか、もう決めていたのね。」

圭太は何とも言えない顔でため息をついた。

そして、真顔になって口を開いた。

「二人の扱いだけど、今の話のようにギエの養女で、この家に置いておくのは文句なく賛成だ。

 ただ、たんに置いておくだけでは二人のためにならない。

 そこで、二人には…。」


それから3週間後、タムとチャウは元気になり無事に退院し、圭太の屋敷に連れてこられた。

タムとチャムは、自分達の住んでいた家と比べ、屋敷の大きさ、豪華さに目を丸くしていた。そして、二人には一部屋ずつ二階の日当たりの良い部屋が与えられ、部屋には女の子らしい机やベッド、それに整理ダンスなどが置かれていて、それを目の当たりにしたタムとチャウはキツネやタヌキの化かされているような顔をして、放心状態で声ひとつ出せなかった。

二人は荷物、と言っても着替えひとつなかったので、ギエに言われ部屋にある服に着替え、連れられて居間に入って来た。

タムは、丸顔で二重の瞼、少し切れ長の目と小さな鼻に可愛らしい口をした、美人と言うより可愛らしい顔立ちで水色のアオザイを着ていた。

チャムは、完璧な卵型の顔で、目がパッチリして鼻が高く、薄い唇の将来が楽しみになるような美人で、ピンク色のアオザイを着ていた。

二人とも髪は黒く直毛だったが、入院した時に髪の毛を短く刈られていたので、まだ、1、2センチ程しか伸びていなかった。


ギエに引きつられタムとチャウが居間に入ってくると、そこには圭太や弥七、銀子が待っていた。

「しかし、二人とも小っちゃいな。」

二人を見て弥七が素直な感想を言った。

「ええ、二人は7歳児の平均身長と体重を少し下回っているのよ。

 あれでも、病院で良くご飯を食べていたんだけど。」

ため息をつく銀子を横目で見て、圭太は改めて二人を見た。

圭太と目を合わせた瞬間にタムとチャウは身体を強張らせ、圭太を睨みつけた。

ギエや銀子、そしてクエンまでもが病院にいる間、ずっと圭太のことを悪者ではないと二人に教えつけてきたので、発作の様なひどい拒絶反応は見せなくなったが、相変らず敵対視していた。

圭太は椅子から立ち上がり、その場で体を強張らせ、自分を睨みつけているタムとチャウに対して口を開いた。

「さて、君たちには、いろいろとこの屋敷の用事をしてもらうために、私が君たちを買ったんだ。

 なので、これから言うことをきちんと守ってもらう。」


話しは、3週間前の同じ居間での話に戻る。

「二人には、私が2人を買った人間だと正直に名乗る。」

「え?」

「そして、買った理由は、この屋敷での仕事、ギエの手伝いをしてもらうためと説明する。」

「若、なんで。」

弥七と銀子は圭太の言いだしたことに面食らってしまった。

ギエは、興味深そうな顔をして聞き耳を立てていた。

「まず、まがりなりにも西園寺家の屋敷に住むのだから、世間に対して恥ずかしくないように育てなければならない。

 二人には9月から小学校に通ってもらう。

 今、6月だから、9月までの3か月間で本来4年生までに小学校の授業で習うこと、最低でも読み書きと算数を身に着け、5年生からでもきちんと授業について行けるようにする。」

「え?

 どうやって?」

銀子が口を挟んだ。

「うん、お金はかかるけど、家庭教師を雇う。

 小学校に通い始めたら、授業が終わったら真っ直ぐに屋敷に戻り、ギエの言うことを聞いて勉強と家事を手伝わせる。

 この屋敷では、病気にならないように、きちんと食事をとらせる。

 後は、ともかくなんでもギエの言うことを守り、言うとおりにすること。」

最期はギエに押し付けたような言い方になっていた・

「最後に、この約束は中学卒業まで有効とする。

 こんなところかな。」

「ちょっと、それって厳しくない?」

銀子が驚いたような声を上げた。

「だから、銀子さんも二人の教育係として、家庭教師は付けるけど、主に勉強を見てほしい。

 当然、クエンにも手伝ってもらわなければ。」

「いいけど…。」

「でも、若。

 何も買ったなんて言わなくても。」

弥七が反論すると、圭太は何食わぬ顔で言った。

「だって、二人は、僕が二人を買ったことを知っているんだろ?

 その事実を捻じ曲げても仕方ないじゃないか。

 ただ、買った理由を慰み者にするとか犬の餌にするとかではなく、屋敷で働いてもらうにした方が二人にとっても落ち着くんじゃないかな。」

「若…。」

その時、パチパチパチと手を叩く音が居間に響き渡った。

手を叩いて拍手をしていたのはギエだった。

「圭太様。

 それでよろしゅうございます。

 喜んで、その任、務めさせていただきます。」

「ギエさん…。」

弥七と銀子が驚いた顔でギエを見つめる中、圭太は満足気にギエを見て頷いていた。


「…ということだ。

 そして、今日からタムとチャウはギエの養女、ギエがお前たちのお義母さんになるからな。

 なので、今日からタムは、グエン・ファン・タム、チャウもグエン・ファン・チャウだから、よく覚えておきなさい。」

それを聞いてタムとチャウはお互いの顔を見てから、後ろに立っているギエの方を振り向いた。

「ギエ、僕のV国語だと二人に通じてないかも知れないから、フォローしておいてください。」

圭太は、2年前にV国に来てから、一生懸命言葉を勉強し、今では普通に会話や読み書きができるまでになっていた。

当然、勉強だからと屋敷にいる時も日本語の通じるギエ相手にV国語を使い、弥七、銀子に対してもV国語で会話する様にしていた。

「圭太様、大丈夫です。

 十分に通じていますよ。

 タム、チャウ、いいわね。

 これからは、私の言うことをきちんと守ってもらいますから。」

ギエがそう言うと、タムもチャウも大きく頷いた。

「では、圭太様に、ご挨拶しなさい。」

ギエがそう言うと、二人は身体を強張らせ、圭太の方を向いた。

「ほら、お辞儀をするのよ。」

後ろからギエに促され、タムとチャウは仕方なく圭太にお辞儀をした。

「じゃあ、ここはこれまで。

 ギエ、二人を頼んだよ。」

圭太がそう言うとギエは頷き、タムとチャウに「いきますよ。」と言って二人を引き連れ居間から出て行った。

「あ、私も。」

そう言いながら銀子も嬉しそうに二人の後を追って居間から出て行った。

銀子は独身で、結婚する気はないようだったが、子供好きの性格で、可愛いらしいタムとチャウが気に入っていた。


「若。

 そう言えば、何で約束は中学卒業までなんですか?」

弥七はずっと圭太に尋ねたかったのを聞くきっかけがなく、今のタイミングになった。

「え?

 ああ、義務教育は中学までだろ。

 それにこの国の進学率は、あまり高くなく、中学を出て自立する子も多いじゃないか。

 あの子たちが中学卒業するまでに何を考えるか。

 高校に進学してもいいし、外に飛び出してもいいし。

 そのチャンスを与えようと思ってさ。

 それに変に途中で逃げ出されるよりはいいかと思ってさ」

「ふーん、そこまで考えていたんですか。

 まあ、その時に二人とも飛び出してくれれば、厄介払いになりますよね。」

「まあ、そうだな。」

圭太はそう答えながら、タムとチャウの出て行ったドアを見ていた。

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