第6話 需要と供給の連鎖
圭太が家に着いたのは、夜の10時を回ったころだった。
「ただいま。」
そう言って玄関を入ると、すぐにギエが出迎えに出てきた。
「おかえりなさいませ、圭太様。
先程から、弥七様と銀子様がお待ちかねです。」
ギエは、弥七たちに名字ではなく名前で呼ぶようにと言われていたのと、もともとV国は名前で呼ぶのが正式だったので、二人に対しては苗字ではなく名前で呼んでいた。
「その匂いでは、お二人に失礼かと思いますが、シャワーでも浴びますか?」
ギエは圭太から煙草の様な匂いと場末の酒場の様な臭い匂いが漂っていたので、気にしていった。
「いや、このままでいいよ。
どうせ、二人ともわかっているし。」
「そうですか。
では。」
ギエは二人から何か聞いているはずだが、おくびにも出さず、圭太を二人が待っているリビングに通した。
「”ばか”、お帰りなさい。
榎本の馬鹿息子を送って行った割には早かったな。」
ソファアに腰掛けていた弥七は圭太を見ると開口一番、いつもの口調で話しかけた。
銀子は、弥七の正面でテーブルに寄りかかるようにして腕を組んで立っていて、圭太を見ても何も言わなかった。
「あの坊ちゃん、調子に乗って二人も買って。
おっと、ここにも二人買った人間がいるけどな。」
弥七は蔑むように言った。
「二人は?」
圭太が尋ねると、おもむろに銀子が口を開いた。
「二人ともひどい状態で、弥七さんから連絡を受け、すぐに病院に連れて行ったわ。」
「で?」
「弥七さんから渡されてすぐに、意識がなくなって。
二人ともひどい高熱で、今、ICUで検査と治療を受けているの。
命が助かるかは、五分五分だそうよ。」
銀子があからさまに嫌な顔をして言った。
ドア付近にはギエが立って、三人の会話を聞いていた。
「で、若。
わかっているよな。
今日、お前のやったこと。」
弥七が圭太を睨みつけ、銀子もきつい顔で圭太を見ていた。
「わかっている。」
圭太がそう答えると、弥七は身を乗り出した。
「いや、わかっていないだろう。
今日、お前のやったことは人身売買だよ。
人身売買、わかる?
お前、人を、人間を金で買ったんだよ。
日本語、わかんないか?
ユー、アンダスタンド?」
圭太は黙って頷く。
「圭太、あんた、わかっているんでしょうね。
あなたが買ったということは需要が出来たって言うことよ。
需要が出来れば、供給者は新たな被害者を連れて来るのよ。」
「若の正義感か?
子供たちに同情して、一時の同情心で、そのあと何人の子供が売られるんだろう。
不幸の連鎖を断ち切るには、可哀想だがあの子たちをあそこで見捨てるべきだったんだよ。
お前のやったことは、そういうこと。
それとも何か?
子供が売られたら、全員買うつもりか?
この国にいる子供全てでも。」
明らかに弥七は激怒していた。
「わかっているよ。」
圭太が俯いてぼそっと言うと、弥七は席から立ち上がり、圭太に近づき、その胸ぐらをつかんだ。
「あーん?
わかっているのかなぁ。
安っぽいダンディズムか?
あの人身売買の組織を潰そうとでも考えているか?
うちら、普通の会社員だぜ。
正義のヒーローでも法の執行者でもないんだよ。」
弥七が脅すような口ぶりで圭太に詰め寄った。
弥七がそこまでの怒った態度をとるのは、まれなことだった。
「弥七さん、よしなよ。
手をお放し。」
横から銀子が口を挟むと、弥七は「ちっ」と舌打ちすると圭太を掴んでいた手を離し、その場で圭太を睨みつけていた。
「でも、なんで、あの二人を買ったんだい?
圭太なら、今の話を聞かなくても良く判っていることじゃないか。」
弥七に代わって銀子が尋ねる。
弥七も銀子も圭太はそう言うことは良く判っていて、今までも馬鹿なことは一切していなかったので、それが気になっていた。
「弥七さんの言うように、同情心?
それとも博愛主義かしら?」
少し間を置いて圭太が口を開いた。
「わからない。
あの子たちにあそこで死んでもらいたくなかった。
犬の餌になってほしくなかった。
どうせ死ぬなら、ベッドの上で死なせたかった…。」
「…」
「あの子たちの目を見たら、そうしなければいけないと誰かに言われた気がしたんだ。」
圭太の最期の一言で、弥七と銀子は目を見開き、見つめ合った。
圭太の最期の一言『そうしなければいけないと誰かに言われた』は非現実的な言い方だが、それも圭太の勘と呼ばれる一つで、今まで何度かそれによって救われたことがあった。
例えば車で移動中に、急にいつもと違う遠回りの道を指示し、弥七と銀子が訝る中、いつも通る道では橋が急に崩れ、何台も自動車が巻き込まれ大勢の死傷者を出す事故が起きた。
真っ直ぐいつもの道を通っていたら圭太達も巻き込まれた時間帯だった。
その時も銀子が圭太に「なぜ、道を変えたの」と聞くと「そうしなければいけないと誰かに言われた気がした」と返事をするだけだった。
そういうようなことが他にも規模の大小はあれど何回かあり、後で圭太になぜわかったのかと聞くと、必ずその答えが返って来た。
今回の件についても、その言葉が圭太の口から洩れたので、弥七と銀子は妙に納得し、怒りが収まっていた。
弥七は力が抜けたように座っていたソファに、再び座り込み、小さくため息をついた。
「わかりました。
でも、若、これっきりですからね。
くれぐれも、もう人をお金で買わないでくださいよ。」
「わかっているよ。
近づく気もないから。」
その圭太の言葉は本心からだった。
「じゃあ、今後のことは、あの二人が助かってから相談しましょう。
…ん?
お銀?」
弥七は思い詰めたような銀子の顔を見て心配そうに声をかけた。
「絶対、二人とも助かるから。」
銀子は誰に向かって言う訳ではなく言葉を漏らした。
「さあ、今夜はこれでお開きにして、続きは明日以降にしよう。
馬鹿息子に付き合って、我が馬鹿もさぞお疲れでしょうから、シャワーを浴びてお休みください。」
圭太はなにか馬鹿を連発された気がしたが、疲れたので弥七の言うことに従いシャワーを浴びることにした。
出入り口のドアではギエが、無表情で立っていた。
その表情からはギエが怒っているのか、何を考えているのか、圭太には計り知れなかった。
「ギエさん。
シャワーを浴びて、そのまま寝ますから、あとはお願いします。」
「わかりました。
お休みなさいませ。」
ギエは深々と頭を下げ圭太を見送った。
圭太が部屋から出て行ったのを見送った後、弥七は軽くため息をついた。
「さてさて、この一件は吉と出るか凶と出るかだな。
まあ、あの子たちの回復次第だけど。
ところで銀子さん。」
「はい?」
「明日、朝から出張で私はいませんので、若の迎えは一人でお願いしますね。」
「え?
出張?
急ですね。」
いつもなら出張が決まった時にはすぐに銀子に話をする弥七が今日はいきなりだったので銀子は少し驚いた。
「で、ギエさん。」
次に弥七はギエの方を振り向いた。
「はい、なんでしょうか。」
「この件は、寅蔵様に連絡するのですか?」
「はい、私は寅蔵様から圭太様を預かっていますので、逐一、ご報告させていただきます。」
「あ、そう…。」
弥七としては、方向性が見えるまでは黙っていて欲しかったが、ギエは寅蔵の腹心といってもいい存在だったので、自分がいくら頼んでも無理と言うことを嫌と言うほどわかっていた。
しかたなく、あきらめ顔で立ち上がると銀子の方を向いた。
「送って行ってもらえるかな?」
「いいけど、車の中、まだ臭うかも。」
匂いの元は連れ出した子供たちで、いつからお風呂に入っていないのかわからないほど臭い上に、その匂いを消そうとしたのか、甘ったるい香水をかけられ、余計酷い悪臭になっていた。
また、皮膚もただれているのか、洋服が膿で汚れていて、それが革張りの椅子に付着し悪臭を放っていた。
銀子は、二人を病院に任せると、車の中を消毒し、丁寧に拭き掃除をしたのだが、まだ残っているような気がしていた。
「ああ、わかっているよ。」
弥七は、それ以上は言わなかった。
「じゃあ、うちらもこれで引き上げるわ。
ギエさん、お休み。」
「おやすみなさい」
弥七と銀子がそう言って玄関から出て行くと、その後ろ姿にギエは深々とお辞儀をしていた。
翌朝、圭太はいつものように目覚ましで起こされた。
しかし、昨晩、店で飲まされた興奮剤入りのブランデーと、直接吸ってはいなかったがアヘンの副流煙を吸い込んだせいか、体がだるく、頭が痛かった。
そしてギエに起こされ、朝食のテーブルに着くと、順番から言うとV国の料理のはずだったがテーブルに並んでいるのは和食で、蜆の味噌汁、山のように盛られた梅干し、そして、グレープフルーツが並んでいた。
どれも二日酔いにいい食べ物で、圭太はギエの心遣いが嬉しかった。
そして出勤の時間になると、銀子の運転する車が玄関の前に停まった。
「圭太、おはよう。」
ギエに通され銀子が居間に入ってくる。
「あれ、弥七さんは?」
圭太は昨晩弥七が銀子に“朝から出張でいない”と言ったことを聞く前に部屋の戻っていたので知らなかった。
「あら、圭太、知らないの?
何か急に出張が入ったって。
昨日の夜遅くに出発したわよ。」
「え?
そうなんだ。
聞いていなかったな…。」
会社のことは、ほとんど副社長任せで、また、弥七の行動も本人任せだったので、今日のような急な出張などたまに圭太に知らされないことも何度もあったので、圭太はそれ以上追及しなかった。
ギエに挨拶して車に乗り込むと、いつものように動き出す時振動を感じないほど、静かに車は動き出し、屋敷の門を抜け、大道りを走り始めていた。
「圭太、昨晩はよく眠れた?」
「うーん、なんとなくかな。
なんで?」
「昨日、変な薬入りのブランデーを飲まされていたんだって?
弥七さん、圭太が寝られないんじゃないかって、笑っていたわ。」
「そう。
それは無駄な心配を…。」
しばらくの沈黙の後、圭太は銀子に話しかけた。
「銀子さん、会社に行く前に寄ってほしいところがあるんだ。」
「わかっているわよ。
おチビちゃんたちのところでしょ。」
「さすがですね。」
銀子の運転する車は、いつの間には昨晩、子供たちを運び込んだ病院に向かっていた。
病院に付くと圭太達は子供たちが眠っているICUへ通された。
2人の子供の容態は依然として悪く、まだ予断を許せない状態で、二人とも頭にビニールの頭巾をかぶらされ、酸素マスクをし、身体中、心電図等の電極が付いており、腕には点滴の針が刺さっているという痛々しい姿をさらしていた。
酷い外傷はないが、棒で叩かれた傷が身体中にあり、また不衛生なところに閉じ込められていたのか皮膚炎を起こし、細菌がそういうところから体に入り感染症を起こしているうえ、極度の栄養失調で酷い状態であること、これから、もう少し状態が落ち着いたら全身くまなく検査すると医師は圭太達に説明した
圭太は無菌服に着替え、帽子にマスクをしてICUに入り、二人のベッドに近づいた。
2人とも意識もなく、どこか苦し気に眉間に皺を寄せていた。
それ以上に、昨晩見た二人と違って今目の前に横たわっている二人は、まるでマッチ棒のように細く弱々しかった。
圭太は、一人ずつおでこに手を乗せると、一言二言何かを呟いて、そしてICUから出て行った。
そして、医師や看護婦に最大限の医療をお願いし、圭太と銀子は病院を後にした。
「午後になればおおよその検査結果がわかるって言ってたから、私が行くね。
で、後で、その聞いた結果を報告するから。」
「わかった、そうしてください。」
会社に付くまでの車の中でそういう会話をした後、圭太は車を降り、会社の玄関を抜け、自分のオフィスに入って行った。
オフィスの中には秘書のクエンが、圭太が入ってくるのを見ると、ニッコリと微笑んで「おはようございます」と挨拶をしてきた。
クエンは性格は優しいが、てきぱきと仕事をこなし、何よりも圭太や弥七の言動に理解を示してくれているので、二人にとってはありがたい存在だった。
しかもクエンは銀子の家に同居しており、あらゆる面で銀子の折り紙付きだった。
「おはよう」と答えながら圭太は時計を見ると、既に11時をまわっていた。
圭太がデスクの椅子の意腰を下ろすと、すでにデスクの上には圭太の判子を待つ決裁書類が山積みになっていて、思わずため息を漏らした。
「クスクス」と山積みになっている書類をあきれ顔で見ている圭太を見てコーヒーを運んで来たクエンは可笑しそうに笑った。
「ボス、コーヒーをお持ちしました。」
クエンは、デスクのわずかな空きスペースに入れたてのコーヒーの入ったカップを置いた。
「ありがとう。
クエンの入れるコーヒーは本当に美味しいんだよな。
その美味しいコーヒーを飲んで、このお化けの山を退治するとするか。」
圭太はそう言ってコーヒーを口に運んだ。
クエンは、あからさまに嬉しそうな顔をしてお盆を胸に抱きしめ圭太を見ていた。
「あ、ボス。
電話ですが、かかってきたのはすべていつものようにメモを置いておきましたが、お一方だけ何度もかけてきていらして。」
圭太は嫌な予感がした。
「例の榎本様で、出社したら電話が欲しいとおっしゃっていながらも、何度もかけていらして…。」
クエンは、困った顔をしていた。
「そっか。
でも、悪いけど、今度かかってきたら今日はいないと言っておいてくれるかな。」
圭太がそう言うと、クエンは「わかりました」と笑顔で答え、ドアの近くの自分のデスクに戻って行った。
「どうせ、昨晩のことと、お持ち帰りになった女のことだろう」
圭太は吐き捨てるように呟いた。
それから、そんなに時間が経たないうちに、また榎本から電話があったが、クエンが圭太は外に出ていて今日は戻ってこないと、やんわり居留守を使うと、その日はそれから榎本から電話がかかってくることはなかった。
圭太も、榎本のことは頭から無くなり、ぼーっと窓の外を眺めていた。
窓の外は晴れで太陽が出ていたが、何となく霞が掛っているようだった。
V国は電車が発達しておらず、庶民の脚として小型のバイクが人気の的だった。
富裕層は車を使うが、庶民はもっぱら小型バイクで主要な道路は庶民が乗る小型バイクであふれかえっていた。
そしてその排気ガスで、スモッグと呼ばれる公害を引き起こし、晴れている日でもスモッグで霞が掛ったように見えていた。
圭太は、外を眺めながら心の中ではICUで酸素吸入を受け身体中、医療機器が取り付けれれていたタムとチャウの姿を思い出していた。
「ボス、昨日女の子を二人助けたんですって?」
クエンは昨晩銀子からタムとチャウを助けたことを銀子から聞いていた。
また、二人とも容態が悪く、病院に入院し、治療を受けていることも聞いていたので、ぼーっとしている圭太を気遣って話しかけた。
「ああ。」
「大丈夫ですよ。
二人ともよくなりますって。」
「そうだな…。」
クエンのひと言で圭太は心が少し軽くなった気がした。
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