第5話 囚われの二人
その中で寄り添うように立っている二人の小さな女の子が圭太の目に飛び込んできた。
二人はタムとチャウだった。
二人とも連れてこられてから5日間、倉庫のような建物の薄暗い部屋の檻の中に水だけで食事も与えられず閉じ込められていた。
その檻は他の女性たちの檻とは離れた生ごみなどが散乱し、ネズミが走り回る不衛生なところに置かれていた。
もともと貧しい家に住み栄養も足りていないうえ、食事も与えられなかったため、先程の男たちが言っていた様に二人ともガリガリに痩せ、頬もこけ、ミイラのようだった。
それを隠そうとしたのか、二人とも腰の辺りまで伸びた髪に、似合わない真っ赤なリボンが結わかれ、また、リンゴの様な頬紅に、唇は真っ赤な口紅で化粧を施されていた。
服装もどう見ても趣味の悪い花柄の薄汚れたダブダブのワンピース姿。
タムは立っているのがつらいのか、身体が揺れていて、チャウはひどく咳き込み、どう見ても二人とも命の炎が燃え尽きる直前のようだった。
その二人に圭太は愕然とし目を奪われていると、ふとその二人と目が合ってしまった。
二人の目には圭太が自分達をここに連れて来た仲間の一人に映っているのか、恐怖と怒りに満ちた炎とともに、また絶望の中、何とか生きようという強い光を放っていて圭太は眼をそらすことが出来なかった。
圭太は二人から目をそらすことが出来なかったが、この場にいつまでの居ることが出来ないので、口の前に指を1本立て、静かにという仕草と二人を安心させようと日本語で「大丈夫」と声を出さずに唇だけ動かし、そっと後ずさりしながら廊下に出て行った。
しかし、二人の少女に日本語は理解できず、少女の目に怒りの炎が激しく燃え上がっていたことを圭太は見ていなかった。
辺りを窺いながら廊下に出ると圭太は何喰わぬ顔をして、その先にあるトイレに入って行った。
トイレも薄暗く、鏡の前に手洗器が2つ並んで置かれていた。
圭太が用を済ませ片方の手洗器で手を洗っていると、横の手洗器に落ち着いた雰囲気の初老の紳士が並んで手を洗い始めた。
その初老の紳士は、圭太に目を合わせることなく圭太に話しかけた。
「若。」
「弥七さんか。」
「はい。
しかし、あのドラ息子、何てところに引っ張り込んでくれたんだか。
ここはどういうところかわかっていますか?」
弥七は小声でつぶやく。
「わかっているよ。
まさか、僕もこんなところに連れてこられるとは、思っても見なかった。」
圭太は顔を曇らせた。
「それと、この店のオーナーは、何食わぬ顔で案内しているチョウです。」
「やっぱりな。
そうそう、弥七さん。
出されたブランデーの中に何かアルコール以外の物が入っているみたいだけど、大丈夫かな。」
圭太は席でのんだブランデーに変な味がしたのを気にしていた。
「ああ、大丈夫です。
あれは、興奮剤ですよ。
それも粗悪品の。
昔、“これを飲むと一晩中元気が続く”と話題になった薬があるじゃないですか。
あれと同じようなものです。
まあ、今晩は、眠れないかもしれませんが。」
「やめてくれよ。
そんなクスリ入りのブランデーに怪しいマリファナか。
榎本の馬鹿息子、完璧に別世界に行っちゃっているからな。」
「若、マリファナじゃなく、おそらくアヘンかと思われます。
タバコに少しアヘンを練り込んだようで、すぐに中毒になることはないかと思いますが、絶対に吸わないでください。」
「やっぱりな。」
「で、若。
まさか吸ったり…。」
弥七は、アヘンのようなものが混入しているタバコを吸ったのかと圭太に聞いた。
興奮剤だけならいいが、もし少量でもアヘンで、それを吸ったら圭太の身体や精神もどうなるかと心配していた。
「大丈夫だよ。
吸っていないし、吸う気もない。
「ま、それが賢明です。
でも、あまり長居をすると、副流煙が身体に入ります。」
「わかっている。」
「で、若。
ともかく、女の方もがんと拒絶すると相手に目を付けられますから、眼にかなうものがいないとかうまいこと言って適当にあしらってください。
まさか、本当に買わないですよね?」
弥七がじろりと圭太を見た。
「俺がこんなところで買い物するわけないだろ。」
「ならばよろしいです。」
「買うのは、お前だよ。
弥七さん。」
「え?」
弥七が驚いて圭太を見ると、圭太は真顔になって弥七を見ていた。
「次の回に、小さな女の子が二人出て来る。
二人とも、いくら払ってもいいから落札しろ。」
珍しく圭太は命令口調で言った。
「若、何を言っているんですか?
気は確かか?」
弥七は気色ばむが、圭太は顔色一つ変えずに弥七を見つめていた。
弥七は圭太が考えを翻さないこと、逆に自分がうんと言わないと圭太が何をするか不安だったのと、いつまでもここにいると誰かに見られ怪しまれると思い、渋々言うことを聞くことにした。
「わかった。
あとできっちりと話そう。」
そういうと弥七はさっさとその場を後にした。
人身売買。
金で人間の売り買いを行う、人間の人間たる尊厳を踏みにじるもっとも卑劣な行為。
古来の奴隷制度から始まり、今でも大手を振って行われている国もある。
V国も貧困に喘ぐ村や地域に目を付けたマフィアなどの非人道的な組織が安い金で女子供を買い入れ、売春宿や性奴隷を欲しがる富裕層やマニアに高い金で売り付け利益を上げている。
特に綺麗な女性が多いV国の女性は他国の組織から狙われ、直接金で買い付けられるほかに、就職先のあっせんと称して言葉巧みに勧誘し、気が付いた時には他国で売られるなどの被害が後を絶たなかった。
圭太達が連れていかれた店も、C国のマフィアの息のかかった店で、買い取った女子供を、V国に住んでいる他国の富裕層を相手に商売をしている店だった。
ただ、その店では10歳代後半から20歳代の女性が中心で、タムやチャウのような子供は主流ではなかったため、扱いがひどかった。
『人身売買は需要があるから供給するものが出て来る。』
圭太の母親が圭太に言いきかせたように、何でもそうだが需要がなくならない限り、供給者がいなくなることはない。
弥七もどんなに被害者に同情しようが、人身売買を根本からなくすためには需要、人を買ってはいけないということを言っていて、それは圭太も十分理解していることだった。
しかし、圭太はどうしてもタムとチャウの瞳が頭の中から離れなかった。
圭太がボックス席に戻ると、榎本は興奮剤入りのアルコールとアヘンのようなタバコ、そして女性からの奉仕で涎を垂らし、すでに常軌を逸していた。
その横では、そんな榎本をチョウはニヤニヤしながら見つめていた。
そして、戻って来た圭太に気が付くと、大げさに手招きして話しかけた。
「圭太さん。
次のショーが始まるよ。
いい子がいたら早い者勝ちだからね。
ほら、幸喜さんみたいに楽しまないと。
連れて帰ってもいいし、飽きたら置いて行ってもいいんだから。」
そういうと、榎本に奉仕をしている女性の動きが一瞬止まったようだった。
「でも、連れて帰って、そのままでもいいんだろ?」
「もちろんですよ。
そのまま、ずっと遊び相手として置いておけます。
また、飽きたら電話いただければ、下取りしてくれます。」
「至れり尽くせりだな。」
「はい。」
圭太は、最後は皮肉を言ったつもりだったが、チョウは気が付いていないように返事をした。
(本当に食えない男だな)
圭太は心底そう思った。
ステージのショーが終わると、すぐに第2部がはじまった。
最初に圭太が檻の中で見た少女二人が引っ張り出されていた。
一人は相変わらず咳をしていて、もう一人は足を引きずるようにステージの上に立つと、身体が揺れていた。
そんな二人の背中を進行役の男は棒に様なもので「ちゃんとしろ」というように小突いていた。
その後は二人を見たせいか尚更健康そうな若い女性が、おどおどしながらステージに立つ。
「あ、俺、今度は8番がいいや。」
いつの間にか正気?を取り戻していた榎本が身を乗り出し大声を上げた。
「幸喜さん、その調子。
頑張ってね。
圭太さんも負けないで。」
チョウが、囃し立てるように笑いながら圭太にも声をかけた。
10組11人の顔見世が終わり一度舞台のそでに戻ると、いよいよオークションが始まる。
「では、1番目ですが、7歳の女の子です。
小さいので二人で1セットです。
でも一人がいいのであれば、応相談です。
さあ、金額を入力してください。」
ステージが明るくなり、タムとチャウが押し出されるようにステージ中央に進むと、スポットライトが二人を照らす。
ステージの後ろはショーが始まる前までプロモーションビデオのようなC国を紹介するような映画がスクリーンに映し出されていたが、ショーが始まるとそのスクリーンに重々しいカーテンが掛っていた。
二人はそれをバックに並んでいたが、タムやチャムは今にも倒れそうなほど不健康に弱っていて、二人で支え合って立っているのがやっとな程だったので、進行役の男は、歳をサバ読むと余計なことを言わずにすぐにオークションに入った。
しかも見た目をごまかそうと、年齢を3歳も低く紹介していた。
「可愛らしくて、健康な女の子ですよ。」
これには、どう見ても不健康そうな二人だったので、会場から失笑が漏れていた。
(どうせ、買うなんて殊勝な奴はいないだろう。
犬の餌だな…)
そう思っていると手元のモニターに金額と座席番号が光った。
モニターは客に見えないように進行役にしか見えないようになっており、金額を吊り上げたり、なじみ客を優遇するため金額が低くてもわざと購入者を代えたりするためだった。
「え…?」
進行役の男は、その金額を見て明らかに狼狽していた。
そして、こっそりトランシーバーでどこかに確認を取っているようだった。
するとウェイターがチョウに寄って来て何かを耳打ちした。
するとチョウは、あからさまに不機嫌な顔をしてウェイターに何か耳打ちをし返した。
そして、ウェイターがすぐにチョウから離れると、すぐに確認が終わったのか、進行役の男は売買が確定したことを告げるドラをならした。
「はい、この幼女2人セットは落札されました。」
戸惑う顔をしながら、会場にそう告げた。
「競り落としたの、きっと日本人ね。
日本人、女の子供、特に小っちゃいの好きだもんね。」
チョウはどういう意図があるのか、平気な顔で圭太に言ったが、圭太は全く聞いていないようにステージを眺めていた。
チョウとしては、店に入ってから押し黙っている圭太を何とか榎本のように薬の入っているブランデーとマリファナと説明しているタバコを吸わせて平常心を失わせ、金を使わせようとあの手この手で誘いをかけてきたが、何を言っても一向にのってこない圭太に舌打ちをしていた。
その後、榎本のお気に入りの8番目の女性の番となり、正気を失っている榎本は相場よりはるか高い金額で競り落とし、周りが失笑するほどの大騒ぎをしていた。
全てのオークションとショーが終わったのは21時頃で、どうやら客の入れ替えをし、商品を女性から男性に変えて再開する準備を進めているようだった。
女性を相手にする客層と男性を相手にする客層は明らかに異なるらしく、女性を競り落とした客は、早く自分のところで思う存分楽しみたく、店の用意したタクシーで家路を急ぎ、競り落とせなかった客は、悔しさを紛らわそうとネオンの海に消えていった。
圭太は、薬の入った酒とマリファナと偽られたタバコで立っていられないほど“べろんべろん”になっている榎本を、榎本が買った二人の女性に抱えさせ、女性ごとタクシーに乗せ、自分は助手席に乗り込もうとした。
その時、チョウがやって来て圭太に声をかけた。
チョウに左右には屈強そうな用心棒とみられる男二人が圭太を睨みつけていた。
「圭太さん、今日はあまり面白くなかったみたいね。
場所を変えて飲みに行かない?」
チョウは含み笑いをしていた。
「いや、今日は止めておく。
こいつを家まで送って行かないといけないし。」
そう言って圭太はタクシーの中で正体不明になっている榎本を指さした。
「そう、それは仕方ないね。
今日は、お目当ての子、いなかった?」
「ああ、ここはあまり質が良くないんじゃないか?」
圭太がそう言うと、用心棒二人の眼光が一層厳しくなり、一歩圭太の方に踏み出そうとしたが、チョウに押しとどめられた。
「やはり、圭太さんはお目が高いね。
もう一件、違う店を知っているから、今度、そこに行こう。
ここより値段は高いけど、いい娘がいっぱいいるよ。
きっと、圭太さんも気に入るよ。」
チョウは、なおもニヤニヤしながら圭太に近づいた。
そしてデジタルカメラらしきものを取り出し、圭太に見せた。
「今日のお近づきの記念ね。」
デジタルカメラの液晶に無表情な顔でステージを見ている圭太とその横で真っ赤な顔で女性の肩を抱いている榎本が映っていた。
チョウとしては、得体のしれない圭太に写真があるから変な気を起こすなと警告のつもりでみせたのだった。
(写真は禁止では?)
圭太は言おうかと思ったが、止め、表情も変えずに片手を上げて、待っているタクシーに乗り込んだ。
少しは圭太がカメラを見て怯えた態度をとるかと思っていたチョウは、完全に肩透かしを食らったのか、厳しい顔をし、舌打ちをして店の中に戻って行った。
タクシーは狭い路地から広い幹線道路へと出ると、スピードを上げた。
周りは歓楽街で時間もまだまだこれからという時間だったので。多くの外国人旅行客の姿も見えた。
店の大半はオープンカフェのように店の外までテーブルや椅子を置き、大勢の人でにぎわっていた。
圭太は、その賑わい、V国人のエネルギッシュな姿を見るのが好きだった。
タクシーがしばらく走り歓楽街から住宅街に入ろうとしたところで、圭太は、途中でタクシーを止めると、その場に待たせておき、雑貨屋で水を1本買って、再びタクシーに乗り込んだ。
タクシーの中では、榎本が相変わらず酩酊状態で、タクシーの運転手は何か文句を言いたげだったが、榎本が買った女たちは、酩酊状態にもかかわらず、それでも必死に榎本に気に入られようと奉仕している姿をこっそりと覗き見るように見ていた。
圭太は乗り込む時にあらかじめ榎本の鞄から家の住所が書いてあるカードを抜き取り、運転手に指示をしていたので、迷わずに榎本のマンションの前に到着した。
榎本は、本人の話では、独身で単身赴任だと聞いていた。
そして、榎本を女達に言ってタクシーから降ろすと、その頭に先程買った水を容赦なくかけた。
「うわ!
なんだぁ。」
一瞬、榎本は冷たい水を被り、目が覚めたようだった。
「じゃあ、引き続き楽しんでな。」
そう捨て台詞を吐いて圭太は待たせていたタクシーに乗り込んだ。
タクシーのバックミラーには何が何だかわからずに大騒ぎしている榎本が見えていた。
「あいつ、現地語、話せないんだよな。」
ぽつっと、そう言うと圭太は直ぐに榎本から興味を失っていた。
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