第2話 表敬訪問

「若、今日、飛び込みで表敬訪問しましょう。」

弥七が速攻で判断する。

「お、いいね。」

圭太は単に書類の山から逃げられるのもあり、素直に喜んでいた。

「クエン、銀子をここに呼んで。」

弥七がクエンに指示を出すと、クエンも何度か圭太の勘が会社を救って来たのを見ていたので、事の大事さを感じ取ったのか真顔で頷き、すぐに受話器を取ってどこかに電話していた。

クエンは、18歳の時に農村部から都会に就職のため上京してきたが、就職先の会社が田舎から出て来た女性を騙して隣接するC国の風俗店で働かせるという如何わしい会社だった。

何も知らないクエンは間一髪のところを銀子に救われ、それが縁で銀子と意気投合し、銀子に誘われるまま共同生活を始め、銀子の勧めで現在の会社に就職していた。

そのためか事務だけでなく口も堅く、勘も良く、何よりも銀子を慕っていたので圭太や弥七たちはクエンの前では隠し事や内緒話をしなくて済み、会社に伏せておくような話でも平気で話すことが出来た。


少しすると、ドアをノックする音が聞え、銀子が入って来る。

銀子は圭太専属の運転手だがメカニックも強く、圭太専用の車の整備や自社の他の車やバイクの整備も行っていた。

また、総務部付きの特別待遇でその物おじしない明るい性格から社員のいろいろな相談を引き受け、大抵のことは解決していたので社員からの人望も厚く、銀子のことを知らない社員はいないほどだった。

「何かあったの?」

部屋に入ってくると銀子は開口一番圭太に質問をする。

「いや、まだ何かあった訳じゃなくて、若の例の“勘”ってやつだ。」

弥七が圭太に代わって答えた。

「ふーん。

 で、どこの会社なの?」

弥七が銀子に例の書類を見せる。

「あら、この会社って今度提携しようとしている“ヨンスゥ”ていう食品会社ね。

 事前調査では、どこもおかしなところはなかったはずよ。」

「そうなんだけどな。」

弥七はちらりと圭太の方を見ると、圭太は社外に出られると浮き浮きしながら書類の山に判子を押していた。

「わかったわ。

 圭太の勘ですもの、何かあるわね。

 で、これからその会社に表敬訪問?」

「ああ、今から先方にアポとるから、銀子は出る支度をしていてくれ。」

「了解。

 総務の方には私から話しておくわね。」

そう言って銀子はクエンにウィンクして部屋から出て行く。

クエンも銀子ににっこり微笑んで会釈した。


14時にアポイントメントが取れたので、圭太たちは昼食をとってから銀子の運転する車で向かっていた。

“ヨンスゥ”社は5階建ての小綺麗なビルだが裏手には工場と思われるかなり大きな建物が隣接していた。

「裏手の工場でフォーや他にも食品を作っているのか。」

圭太は窓の外を眺めていた。

「あれ?

 あれって、C国の国旗じゃないか?」

圭太の声に弥七と銀子が圭太の目線の先を追った。

会社の正面に真ん中に“ヨンスゥ”社の社旗、その右手にV国の国旗、そして左手にはC国の国旗が掲げられていた。

「本当だ。

 かなり資本が入ったんだな。」

銀子が車を正面玄関に着けると、すでに3名ほど“ヨンスゥ”社の役員と思われる男たちが立っていた。


男たちは“ヨンスゥ”社の重役で、社長は生憎出張で不在だと告げ、圭太と弥七に恭しく挨拶をする。

当初、“ヨンスゥ”社の重役は弥七を支店長と思い挨拶をしようとしたが、弥七が圭太をエスコートしているのを見て、勘違いをしたとして、すぐに圭太の方に挨拶をした。

玄関のところで話していると車を駐車場に止めた銀子が合流し、一同は“ヨンスゥ”社の重役たちに先導され建物の中に入って行く。

その後は応接室で会社の沿革、業績などの説明を受け、建物の中、工場の中を見学と始終にこやかに、小1時間ほど表敬訪問だった。

そして工場で作られたフォーを手土産にもらい、圭太たちは“ヨンスゥ”社を後にした。


「さて、気になるのは工場の一角で、明らかに工場の中でとしては不自然なほど厳重に閉じられた一角があったよな。」

弥七が思い出したように眉をひそめて言った。

「そうだったわね。

 工場の中にまるで異質な倉庫っていう感じかしら。

 ガードマンぽいチンピラもいたし。

 説明では強い消毒薬が保管してあるって言ってたわよ。」

ハンドルを握り運転しながら銀子が答える。

「でも、隔離するほど強い消毒薬ってなにさ。」

「あと事務棟の3階。

 あそこにも仕切られていて中が見えないところもあったわね。」

「あそこは資材置き場って言ってたよな。」

「でも、LANの線みたいのが見えたわ。」

「若?」

弥七や黙っている圭太に話しかけた。

「今夜。」

「え?」

ぼそっと圭太が言った言葉を弥七は確認する様に聞き直す。

「今夜、見に行こう。」

今度は、はっきりした声で圭太が言うと「了解!」と弥七と銀子は含み笑いをしながら大きい声で返事をした。


圭太は、取引をしようとする会社におかしなところがあると感じると、表敬訪問をして相手の会社の中を見て回り、怪しいと感じたことがあると弥七や銀子と夜中にそっと忍び込み、何かおかしなところがないかを探っていた。

そして、不正を見つけると、気づかれないように細工をして取引をご破算にさせていた。

不正とは、経理上の水増し、健全な会社と見せかけお金だけくすね、いつの間にかいなくなり損害を与える会社、そういう会社から始まり、輸出禁止の品物の密輸、覚せい剤などの密輸など、表の品物の輸出を利用にて、そういう危ないものをこっそりと密輸を企むことで、ギャングの息がかかった会社など気を抜くと騙され甚大な被害を与えかねない会社が取引先の中に混じってくることがあった。。

そういう会社は表面はごく普通の健全経営の会社に見せかけるので、いくら圭太の会社のチェック機能が動いていても完全にシャットアウトすることは難しかった。

そのチェック機能の網の目から漏れた会社を圭太は今まで直感で感じ取り、不正の証拠をつかんで取引をご破算にさせてきた。

その直感こそが、弥七や銀子、それに会社の上層部から一目置かれる要因だった。

但し、夜に忍び込むのは非合法的なことなので、会社には一切気づかれないようにしなくてはならず、当然、寅蔵の息がかかったギエにもばれないように細心の注意を払ってきたのは言うまでもなかった。


その夜11時頃、圭太の屋敷の前に弥七を乗せた銀子が運転する車が音もなく停まると、門の陰の暗がりから湧き出るように圭太が出てきて、車の後部座席に乗り込んだ。

「ギエさんは?」

「ああ、もうお休みだよ。」

圭太が返事をする。

メイドのギエは、毎朝5時に起きて家事を行うので、夜は大抵10時には部屋に戻り、余程のことが無ければ、朝まで部屋から出てこなかった。

圭太もギエの身体の事を考え、パーティや付き合いで夜遅くなるときはギエに先に寝るように口を酸っぱくして言っても、ギエは圭太の世話をしてから部屋に戻って休む律儀な性格だった。

なので、圭太がいる時は決まったように夜10時に圭太に挨拶し部屋に戻り眠るのが常だった。

今夜のようにこっそりと屋敷を出る時は、圭太はギエが部屋に戻り、しばらくしてから様子を窺いつつ気づかれないようにそって屋敷の裏口から抜け出していた。

「じゃあ行くわよ。」

そう言うと銀子はエンジンも止まっているのではないかと思うほど静かに車を発進させた。


「やっぱり、こういう時はバイクがいいわね。

 車だと隠す場所が限られるし。

 風神を日本から持ってくれば良かったわ。

 そうそう、風神だけじゃなくて、当然雷神もだけど。」

銀子が残念そうにつぶやいた。

夜中でしかも忍び込むのに車で相手の正面玄関に着けるわけにもいかず、また、近くに路上駐車して守衛に怪しがられたり、防犯カメラに映ると足が付く恐れがあったので、こういう時は近くのパーキングビルを探し、そこに停めることになるのだが、あまり離れたところだと、車を降りて徒歩で近づくのも目立ちかねなかった。

「何言ってんだ。

 風神ならいいけど、雷神はあの音で目立つだろうね。」

弥七が苦笑いする。

雷神、風神とはバイクのことで、雷神はH社の1300CCの排気量を誇るモンスターバイクをベースに改造が施された圭太用の大型バイク、一方風神はK社の1000CCの排気量のシャープなスタイルのバイクをベースに同じように改造が施された銀子専用のバイクだった。

両バイクとも黒塗りでエンジンや様々な部分が改造され原形のままとはいかなかったが1000CC以上のエンジンで重厚感のあるフォルムをしていた。

その2台のバイクは、圭太がV国に移住する際、日本に置いて来たままだった。


「雷神かぁ。

 いいなぁ、今度持ってきたいよな。」

「若、それは無理じゃない?

 あの雷神のエンジン音を聞いたら近所中五月蠅いって苦情の的になるんじゃないか。」

「だから、サイレントモードに改造したんだよ。」

圭太が不満そうに口を尖らせて言った。

「でも、サイレントモードで、やっと並みのバイク音になっただけだろう?」

「まあまあ、そこまでにして、そろそろ着くわよ。」

銀子が二人の話に割って入って来た。

「そこまでにしろって?

 最初に話を振って来たのは銀子さんだろう?」

「えへへ。」

圭太が文句を言うと銀子は肩をすくめ笑って見せた。

そして、車は“ヨンスゥ”社から700m程離れたパーキングビルに入っていた。

車から降りると3人は目立たないような黒っぽいシャツにズボンという服装で、気配を消すように“ヨンスゥ”社に向かって歩き始めた。


“ヨンスゥ”社までの道は舗装されていたがビジネス街から少し外れていたので、店屋もなく、時間的にも人通りが全くなかった。

道の周りは畑や田んぼで街灯も少なく、夜風も心地よく、こっそりと忍び寄るには持ってつけだった。

その中、圭太だけは大きい筒状のバックを肩から下げていた。

「やっぱり、この荷物、重いよ。」

圭太があからさまに不平を言う。

「しょうがないだろ。

 じゃんけんで負けたんだから。」

「そうよ、じゃんけんで決めようって言いだしたのは、圭太なんだからね。」

「はいはい。」

3人はまるでハイキングにでも行くように“ヨンスゥ”社のビルに近づいた。


昼間の表敬訪問で建物の中を案内される際、警備室にも立ち寄り、厳重な警備だと重役たちは鼻高々に監視カメラの場所やいろいろなことをべらべらと話してくれたので、圭太たちは防犯カメラが手薄になっているところに迷わずにたどり着いた。

「壁の高さは3mって言ったところか。」

圭太たちの立っている前には会社と工場を取り囲む壁が立っていた。

壁自体には何も細工されておらず、厳重な警備と言っていても監視カメラが設置されている位だった。

圭太は肩にかけたバックを置き、中から黒いニットの眼と鼻と口だけが開いている覆面マスクを3つ取り出し、弥七と銀子に一つずつ投げると、一つ残った覆面マスクを頭から被った。

弥七と銀子も覆面マスクを付けると弥七は壁の方に歩いて行った。

そして弥七はその壁を背に立ち、両手を“へそ”の位置で合わせ銀子に目で合図を送る。

銀子は音もなく走り寄ると、右足を弥七の合わせた手を踏み台にするように乗ると、弥七が銀子のジャンプを助けるように上に銀子を放り投げた。

銀子は自分の跳躍と弥七の跳ね上げた力で音もなくふわりと壁の頂上に舞い降りる。

そして、壁の内側の様子を窺うと、圭太に合図した。

圭太はバッグを弥七の足元に置くと、少し離れてから銀子のように音もなく弥七に近づき銀子と同じように弥七の組んだ両手を踏み台にして飛び上がり、壁の頂上に両手をかけると勢いそのままで、壁の頂上によじ登った。

圭太がよじ登る頃には、銀子の姿は壁の上から消えていた。

銀子は先行して壁の内側に舞い降りると、建物の裏口までのルートを確認していた。

最後に弥七はバッグを壁の上の圭太に投げると、助走をつけ壁を駆け上がるようにして壁を乗り越え、あっという間に内側に舞い降りる。

圭太も、音もなく舞い降りると、弥七が傍に近寄った。

弥七は、今度は圭太の肩からバッグを取ると、自分の肩に引っかけた。

先行していた銀子から口笛に似た高い音が聞え、圭太たちがその方を見ると、銀子がドアのところに取りつき、圭太たちに来るように手招きをする。

壁の内側は砂利が引き詰められていたが、銀子も弥七も砂利を踏む音が聞えないくらいの足音で砂利の上を移動していた。

圭太だけは多少音を立てていたが、それでも少し離れたところからでは聞こえないほどだった。


圭太たちが銀子に合流すると、既にドアの鍵は銀子によって開けられていた。

「この扉から入ると階段が傍にあるから3階まで真っ直ぐ上れるわ。」

「わかった、まずは、3階からだな。」

「じゃあ、私は一足先に工場の方の様子を見て来るわ。

 弥七さん、圭太をお願いね。」

最期の言葉は圭太に聞こえないくらい小さな声だった。

弥七が頷くと、銀子は圭太に投げキスをして、廊下の先の工場の方へ進み始める。

廊下は常夜灯が付いていたが薄暗く、すぐに銀子の姿は闇に溶けるように消えていった。

「若、私たちはこっちの階段で。」

そう言って弥七は非常口と書いてあるドアを開けると、そこには上の階に通じる階段があった。

その階段を3階まで上がり、そっとドアを開け中を窺い、人影がないことを確認すると圭太と弥七は非常口から3階の廊下に出る。

目指す部屋は正面の突き当りを右に折れてすぐのところだった。

その部屋にたどり着くと、部屋から明かりが漏れていた。

その明りは昼間、弥七が怪しいと言ったところからで、フロアーの中にパーティションで仕切られた部屋から漏れていた。

弥七は部屋のドアから様子を窺いながら部屋の中に入り、机の合間を見えないようにこっそりと明りが漏れている小部屋に近づき、しばらく耳を壁につけ中の様子を窺うと、圭太に手招きをした。

その時、廊下で懐中電灯の明かりが圭太に近づいて来る。

明りは巡回中の警備員の者で、圭太は音を立てないように部屋に滑り込むと、そっとドアを閉めた。


警備員はドアの前に立つとおもむろにドアを開け一歩、中に入って立ち止まる。

「失礼します!

 巡回です。」

そう言うと、明かりが漏れている小部屋以外の部屋の中を懐中電灯の明かりで照らし誰もいないことを確認していた。

その警備員の音に気が付いたのか、小部屋から一人の若い男が顔を出した。

「あ、ご苦労様です。

 こっちは異常なしです。」

男は警備員に向かって話しかける。

「ああ、そっちこそご苦労様。

 今夜も遅くまで残業ですか?

 いつも遅くまで大変だね。」

男と警備員は知った間柄のようだった。

そして警備員は男に見送られ部屋を出て行き、男は警備員を見送るといそいそと小部屋のドアを閉め中に戻って行った。

ドアが閉まると暗がりの中から湧き出るように圭太と弥七が現れ小部屋の壁に貼り付き中の様子を窺った。


「………」

「………」

中からは男女の話声が聞えて来た。

「…ねえ、守衛さん、行っちゃった?」

「ああ、これでしばらく誰も来ないよ。」

「嬉しい。

 じゃあ、続きを…あっ。」

「もうビショビショじゃないか。」

「嫌、変なこと言わないで。

 さっきので、もう感じているんだから…。」

「そっかぁ。」

直ぐに女の喘ぐ声と男の激しい息遣いが聞えて来た。

弥七は、中のやり取りをニヤニヤして聞きながら、バッグから防毒マスクを出すと1つを圭太に渡し、もう一つを自分の顔に掛けた。

そして圭太が防毒マスクをかけたのを確認すると、小型のボンベのようなものを取り出し、細いチューブをノズルにつけ、チューブの反対側を小部屋の隙間から中に差し込むと、ボンベの栓を開けた。

ボンベからは“シュー”と何かが噴き出るような小さな音がしていた。

「あっ、あん。

 中に…、中に来て…。」

「いいよ…。」

小部屋の中では相変わらず男女の息遣いが聞えていたが、すぐに静かになった。

弥七は時計を見て時間を確認すると、小型ボンベの栓を閉じ、バッグに仕舞うと圭太に合図した。

二人はその場で立ち上がると、先ほど若い男が顔を出したドアに近づき中を窺うと、そっとドアを開け中に踏み込む。

「ひゅー、よく利くこと。」

ガスマスク越しに弥七は感心したような声を上げた。

毛布のようなものを惹いた床の上でブラウスがはだけ、それ以外は何も着けていない男女が一つになりながら気を失っていた。

「凄いね。

 まだ、硬直したままだよ。」

弥七は変な風に感心していた。

弥七がボンベから流したガスは、超即効性の睡眠ガスで大抵の人間は少量のガスを吸い込んだだけで何が起こったかわからないほど一瞬で眠りに落ちるものだった。


「さあ、そんなこと感心しないで仕事、仕事。」

圭太は気を取り直し弥七に声をかけたが、弥七は既に机の上のパソコンを操作していた。

パソコンの画面はC国語が映し出されていた。

「これは?」

圭太はC国語がわからなかった。

「ああ、商品の在庫と仕入れのスケジュールだ。」

弥七はC国語もマスターしていた。

「商品、これはすべて売買禁止の品物だ。

 すでに、かなりの量が持ち込まれているな。

 それに、買い手はどうやら日本の商人らしい。

 やはり、フォーの日本への輸出が始まったら、こいつらもこっそり日本へ送り込むつもりだな。

 日付がフォーの最初の便と同じ日になっている。」

「そうか、じゃあ、取引はご免被るか。」

「そのようで。」

「後は実際の物を見てから引き上げましょうか。」

「そうしましょう。

 でも、若、そろそろC国語も覚えてくださいよ。」

「そう言うなって、やっとV国語をマスターしたばかりなんだから。」

圭太と弥七は侵入した痕跡を残さないように注意しながら小部屋を出た。


小部屋を出ると弥七は違う種類の小型ボンベを取り出し、まず一本、先ほどと同じようにチューブを付けると一定時間、小部屋の中にガスを注入し始める。

そして、もう一本、同じように注入すると、すぐに中から男女の声が聞えて来た。

「あれ?」

「え?なに?」

「何でもないよ。」

「で、でも…。

 あっ、凄い…。

 さっきより大…凄いわ…。」

「ああ…、俺も、何だか…。」

中からは先程までと違って激しい男女の息遣いと身体がこすれる音がしていた。

圭太と弥七は、そっと、小部屋のある部屋から出るとガスマスクを外す。

「気付けのガスと、興奮剤のガスを混ぜたから、何も怪しまずにお楽しみの続きってね。

 たぶん、明日の朝まで“おサルさん”だな、あれは。

 で、男の方はC国人だな。

 女の方はV国人で、結構そそるタイプかな。」

「まあ、男女二人きりで夜遅くまで残業って言えば、こんなもんでしょ。

 さ、行こうよ。」

弥七がニヤつくのを圭太は冷めた顔をして言った。

「はい。」

圭太に言われ弥七は真顔の戻っていた。


圭太たちが小部屋に入っていたのは10分程。

最初に注入したガスが睡眠ガスで即効性はあるが持続性はなかった。

その後に注入したガスは、最初の催眠ガスを中和し、睡眠から覚めさせる気付けガスで睡眠ガスの効果を完全に中和し、寝ていたことがわからないほどすっきりと目を覚まさせるものだった。

弥七はそれに強力な興奮剤のガスを混ぜたことで、特に男女の秘め事をしている最中で気を失ったので身体は興奮状態だった上にさらに興奮させることで、目が覚めた時の違和感を興奮で打ち消すことが出来た。


圭太と弥七が1階に降り、銀子と別れたところに戻るとすでに銀子が待っていた。

「そっちはどうでしたか?」

銀子は圭太たちに気づくと話しかける。

「ああ、ご禁制の品物の輸出予定と在庫の一覧があった。

 銀子さんの方は?」

「こっちは、工場の1画の倉庫に食品とは関係ない品物のコンテナが多数置いてありました。

 そこまでのルートは確保してあります。」

「さすがだな、銀子さん。」

圭太が感心したように言うと銀子は少しはにかんだ笑みを浮かべ会釈した。

「じゃあ、行こうか。」

「はい。

 ところで弥七さん?」

「S(睡眠ガス)とK(気付けガス)とKF(興奮ガス)のボンベを使った。」

「KFも?」

「ああ、あとで話す。」

「わかりました。」

銀子はこれからのことを考え消耗品の確認をしていたのだったが、KFガスと言った時に弥七の口元が緩んだのを見逃さず、何があったか瞬時に理解していた。

それから銀子を先頭に圭太と弥七は工場に向かって足音を立てないように速足で進む。

丁度、時間的に守衛は休憩時間に入ったようで、3人は蜂合わせることなく建物から工場への渡り廊下のところまで進むことが出来た。

そして建物の出口のところで銀子は止まり、圭太たちに工場側の壁の方を指さす。

銀子が指差した方には監視カメラが廊下から工場の入り口を映していた。

銀子は二人に頷くと、出口のドアの上部にある梁のような部分を逆手で掴むと、逆上がりのように身体を回転させながら器用に梁の上の少し庇(ひさし)になっているところに飛び乗った。

圭太もそれに倣って銀子の後を続き、弥七からバッグを受取ると、弥七は軽々と庇の上に飛び乗った。

その庇のところから工場までは雨除けの屋根がカメラの上まで伸びていた。

3人は監視カメラに映ることなく、その屋根伝いに工場の壁にたどり付くと、銀子は次に壁にあるエアーダクトの格子戸を外す。

通常、格子戸はビスできつく止められていたのだが、今はビスが数本小さなビニールに入れられ、格子戸の傍に置かれていて、それは銀子が前もって外していたのだった。


エアーダクトは大人一人がやっと入れるくらいの狭さで圭太や弥七の体格だと入るだけで進むことは到底難しい狭さだったが、銀子はするりとエアーダクトに入ると、まるで車輪でもついているかのような速さでエアーダクトの中に進んで行った。

銀子の進んだ後には水色の編んである紐が残されていて、しばらくすると、その紐が微かに波打つように動いた。

圭太はその紐に摑まると手を伸ばし極力身体を細くする様にしてエアーダクトに入る。

エアーダクトの中では銀子が通って行った後に、まるでナメクジが通ったような、ヌルヌルする液体が帯のように付着していた。

液体は無臭の潤滑油のようなもので、その上に物を置いて動かすとまるで空気の中を飛んでいるように一切抵抗を感じられないほどのものだった。

圭太はその液体の上に腹ばいになると手に持っている紐は信じられないような力でグイグイとエアーダクト中の液体により摩擦や抵抗がなくなった圭太の身体は引張っられて行く。

そしてしばらくすると明るい踊り場のようなところで銀子が紐を手で繰り寄せているのが見えた。

そのまま圭太が踊り場に出ると、すぐ後ろから弥七も出て来た。

弥七は両手に自走式のローラーのようなものを持っていた。

それをエアーダクトの左右に押し付け銀子の残していった液体を拭きながら進んできたのだった。


工場はフォーを茹でたりするのに火力を使うので天井が高く、普通の建物の3階位の高さにあり、圭太たちが通って来たような換気のためのエアーダクトがあちらこちらの壁にあった。

圭太たちのいるのは天井近くのエアーダクトを出たところで、工場一面が見渡せた。

下では日本への輸出を控え、夜も徹してフォーを作っていた。

フォーは、米粉を水と混ぜ、弾力が付くまで捏ねまくり生地を作ると、出来た生地を薄く伸ばし、一本一本の細い面に裁断して作っていく。

裁断した麺を茹でて出来上がりだが、輸出用に1食ごとに乾燥させ、袋詰めにしていく。

その流れ作業を全て機械で行い、工場の職員は機械の操作と品質の確認、袋詰めになったものを箱詰めにしていくという作業だった。

圭太たちの真下では、まさにその工程が全て見えていた。

しかし、工場の職員の中に明らかに工場の職員ではない男たちの姿があり違和感を覚える。

しかも、その男たちは酒の瓶を片手に持って大声でバカ騒ぎをしていた。

「あいつらは?」

圭太が弥七に聞いた。

「ああ、あのチンピラたちは警備員です。

 警備員と言っても工場全体を警備するのではなく、あの一角だけみたいですが。」

そういって弥七は工場の一角を指さした。


そこは、パーティションで区切られた工場の四分の一くらいの広さがあった。

パーティションと言ってもほぼ壁と同じで、2階くらいの高さ箱状になっていて、窓もなく何かの倉庫ではあるが食品関係の倉庫ではないのが見て取れた。

日中の説明では、消毒薬などの薬品が収納されているため警備員を増やしているという説明だった。

今は夜中で、だれもチェックする者がいないのを良いことに、チンピラたちは倉庫を空にして工場の広いところで酒を飲みバカ騒ぎをしていて、当然、工場の従業員がいるのだが、皆、絡まれるのを恐れてか見てないふりをしていた。

「あの騒いでいる奴らはC国人で、どういう力関係なのか工場の中で大きな顔をして、気が向かないと従業員に暴行を加えたりしています。」

銀子が眉間に皺を寄せながら圭太に呟く。

「昼間、私を見た時も、ニヤニヤしながら身体をジロジロ見て腹が立って仕方なかったわ。」

「まあ、顔からしてそんな感じだったもんな。」

銀子の文句に弥七が同調するように言った。

「それより、仕事が先。」


そう言うと銀子は細いロープを弥七から受け取ると、ロープの端を弥七に持たせ壁伝いにある幅20センチほどの梁の上をバランス感覚よく進んで行き、問題の倉庫の上まで進んで行った。

そしてロープを肩の高さに持ち上げるとしっかりと握り圭太に合図する。

圭太は合図を受け、そのロープを伝わるように、梁の上を歩いて銀子の傍までたどり着く。

圭太が銀子のところまでたどり着いたのを確認し、弥七はロープの端を持ち、何事もないように小走りで梁の上を伝わり圭太たちに合流する。

3人は上から問題の倉庫の天井部分を見ると、天井部分から換気用のエアーダクトが工場の壁に伸びているのが見えた。

圭太たちのいるところからその天井までの高さは2メートルくらいで、銀子は足元の梁を両手でつかむとまるで無重力の空間を移動する様にふわりと音もなく問題の倉庫の天井に舞い降りた。

そしてそれに倣い圭太と弥七が降り立つと、すでに、銀子が工場の壁に伸びているエアーダクトの一角を外し、合図していた。

そのエアーダクトの穴から下を見ると、真下に倉庫の中が見えた。

銀子は肩に担いでいたロープを穴にたらし、端をたすき掛けのように自分の身体に巻く。

巻き終わると銀子は圭太と弥七に頷いた。

最初は弥七からで、弥七は銀子の持っているロープを掴み、そっと倉庫の中に降りていった。

弥七が床に着くと銀子が圭太に合図し、次に圭太が同じようにロープを掴んで降りて行った。


圭太が床に着くと、すでに弥七が傍にあり箱の中を物色していた。

「弥七さん?」

「さっきの部屋のパソコンにあった一覧の中の品です。」

弥七はそう言って箱の中を指さした。

「ご禁制の品です。」

そういって、もう2つ箱の中を確認する。

「一覧にもなかったので、覚せい剤などの薬は今回はないようです。

 でも、取引禁止の品ばかりです。」

「わかった。

 これだけ確認できればいいだろう。」

圭太が小声で弥七に言う。

倉庫の外では、見張りのチンピラたちが気勢を上げていた。

「見つかると面倒なので、そろそろ。」

弥七の言うことに圭太は頷き、ロープを引いて銀子に合図する。

ロープが小刻みに揺れ、銀子の返事が帰って来ると、圭太は両手両足をロープに絡め垂直に上がって行く。

天井に上がるとロープを持っている銀子が足を踏ん張り、ロープで昇ってくる圭太と弥七を支えていたのだった。

弥七が上がってくると銀子は涼しい顔でロープを巻き取り肩に掛けた。

下では酔いがまわっているのか、乱痴気騒ぎが始まっていた。


「さてと。」

銀子はその騒ぎを見ながら誰かを探しているようだった。

「いたいた、あいつ。」

銀子が指した男は、昼間銀子の身体を舐めるように見ていた若い男だった。

そして銀子はポケットからスマートフォンを取り出すと、コントロールよく男の横の段ボールにそのスマートフォンをそっと落とした.

“バン”と言う音で一瞬男は周りを見わたしたが、すぐに音のした方を見た。

そこには、その男のスマートフォンが落ちていた。

男がスマートフォンを手にしたのを見て、違う男が“この中にはスマートフォンは持ち込み禁止だぞ”と声をかけているようだった。

男は首を振りながらも、自分のスマートフォンを見て何かを思いついたようだった。

そして、乾燥機に入れる前の生のフォーが入っている大きな籠のところに近づくと、仲間を手招きした。

4,5人で集まって何か相談していると、その中の一人がいきなり服を脱ぎ全裸になり、その生のフォーの入っている籠に、まるでお風呂に入るように足から飛び込んだ。

周りのチンピラはその姿を見てお腹を抱えて笑っている。

スマートフォンを持っている男は笑いながらもスマートフォンでフォーの中で湯あみをするようにはしゃいでいる男の動画を取っているようだった。

圭太たちはその有様を倉庫の天井から眺めていた。

「2日」

「俺は3日」

「私は圭太と同じ2日。」

「え?

じゃあ、おれも2日。」

「弥七さん、今から変えるのは無しですよ。」

「ちぇっ」

もう一人、裸になり全裸でフォーの籠の中に飛び込んで行ったが、圭太たちの姿はすでに無かった。


それから2日後の昼間、圭太の会社では大騒ぎになっていた。

社員の一人がインターネットの閲覧サイトにアップされた動画の中に、全裸でフォーの中を泳ぐようにはしゃいでいる男たちの動画を見つけたと上司に報告していた。

しかも、そのフォーの入っている籠にはしっかりと会社名が、“ヨンスゥ”社と書かれていた。

報告を受けた社員は、自分でもその動画を確認すると会社の危機管理部署にその動画を持って飛び込んで行った。

また、ニュースではその動画のことが取り上げられ、不衛生な食品を売っていると非難し、それが発端となり社会問題にも発展し、当然、圭太の会社との業務提携も白紙に戻された。


「ボス、それを知っていたから“ヨンスゥ”社に表敬訪問に行った時のお土産のフォーを皆に配らずに捨てさせたの?」

クエンがコーヒーを圭太のデスクに置くと不思議そうな顔をして聞いた。

「いや、実際に見たわけじゃないけどね。

 何かそういうことをやりそうな男の子たちがいたからね。

 そんなフォーをクエンに食べさせ、大事なクエンが病気になったらたいへんじゃないか。

 仕事も僕のコーヒーも、そして僕の目の保養も。」

「ま!」

クエンは素敵な笑顔を圭太に見せた。


「何が“僕の目の保養も”だって?」

弥七は聞こえていたのか、そう言いながら圭太のオフィスに入って来た。

「クエン、僕にもコーヒーね。」

弥七が手を上げてクエンに言うと「はーい。」とクエンは笑顔で返事をし、給湯室にコーヒーを入れに行った。

「どう?」

「どうもこうも。

 日本でもあの動画がニュースになって大騒ぎでさ。

 輸出開始を伸ばした翌日だろ?

 その判断に本社は近藤さんの手柄としてお褒めの連絡がありましたとさ。」

“ヨンスゥ”社から日本への輸出の第一便は圭太たちが忍び込んだ翌日に出発する予定だった。

しかし、圭太から1週間延ばしたほうがいいと聞いて、近藤はそれに従い、“ヨンスゥ”社に通告していた。

“ヨンスゥ”社は製品を作ったのだから輸出しないのであれば損害賠償を請求すると怒り心頭に達していたところで、本社も、損害賠償の訴訟を起こされたら近藤の立場もないぞと圧力をかけてきたところだった。

それでも、近藤が首を縦に振らなかったのは、圭太の言うことに間違いはないという妙な確信があったからだった。


「近藤さん、お前に礼が言いたいとさ。」

「へ?」

圭太はコーヒーを飲むのをやめ、顔を上げた。

「礼なんて勘弁してくれよ。

 この会社に置いてくれているだけで十分さ。

 そうだ、それなら、この書類の山を何とかしてって頼もうかな。」

圭太の前にはますます高くなった書類の山があった。

「それは無理だろ。

 その山から変なのを取り除くのが、若の役目だからな。」

「そうそう、今回の賭けは僕と銀子さんの勝ちだよ。」

圭太は得意満面の顔で言う。

「あれ?

 全員答えが同じだったので、賭けは成立しなかったんじゃなかったっけ。」

弥七はそう言いながらにやにやと笑って見せた。

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