事実

@yet

第1話

私は、初めて人の眼を抉った。

筆箱からコンパスと迷ったが、コンパスで抉るのではなんとも一般的で、せっかくの折に勿体無いと考えてシャープペンシルにしておくことにした。

抉るという表現も月並みでつまらないから穿ったことにしておきたい。実際私は覚醒を恐れて、穿つほどまでシャープペンシルを立てていたはずだと思う。

穿たれた相手は、隣の席の大原って奴だ。もともと、野球部の社交性のある彼があまり気に食わなかったから、三ヶ月に一回ぐらいは奴の眼を何かで刺してやることを不意に思い浮かぶのだった。

まぁ、彼が特別憎かったかと聞かれるとそうでもない。三カ月に一回と言ったが私はその他の人間も含めれば毎月一回はそう考えて、ジッとその人の眼を見つめていた。大抵誰かと話している人の眼を横から見ている形だったから見つめ合うことはない。

そして、ついにシャープペンシルで穿った彼はやはり誰かと話していて、まず叫んだのは話し相手だった女子だった。

叫び声はパーっと教室中に響いて、それに気づいた奴らが騒めいたり、耳をつんざく金切り声を上げたりと阿鼻叫喚の最中、私と野球部の男だけは意外にも無言だった。

眼には痛覚が無かったのだろうか。私はシャープペンシルを刺したまま私に組みついてきて私の眼に指でも刺すんじゃないかと期待していたが、彼は眼を見開いて、刺した瞬間と同じような姿勢を保っている。

異様な状態の均衡が嫌に続いて、教室はッと静かになった。そして彼がスーッと屹立を始めた。背中に不信の眼を感じ、私は沈黙の中に恐怖していた覚醒を感じてしまった。

私はゆっくりと、シャープペンシルを刺したまま手を戻して、行き場のない手で申し訳程度に相手に向けていた。

彼は少し俯いた後にそっと私に一瞥をした。

侮蔑、驚き、悲しみ、入り混じった狂気になって私は彼に、そしてギャラリーに見透かされているようだった。

あー、しなければ良かったんだ。当たり前だけど。私はフッと微笑混じりのため息を吐くと、彼は間髪入れず間にあった椅子を蹴倒して私に組みつこうとしてきた。その刹那、私は無意識に机を動かして彼の進行を防いだが、彼はそれを踏み台にした。彼は賢い。

何も言わずに襲いかかってくる彼から逃げるべく私は教室のドアまで駆けた。が、ギャラリーのほとんどが動かない中、私は背の高い野球部に腕を掴まれ止められた。刺された彼が近づいてくる。私は落ちていく感覚を覚えた。高いところから背中から落ちていく一瞬に感じるあの感触を彼が近づいてくる最中永遠に思えるほどに感じた。

必死に足を伸ばして彼が来ることを阻止している様子はとても高校生には見えなかっただろうが、片目から血混じりの涙を垂らしながら息を荒げている男が向かってきているのだから仕方ない。

彼は押さえつけられている私に一歩、一歩と距離を縮めた。そして次の一歩に踏み掛けたところで彼は襲いかかってきた。

私の心臓は大量の血を瞬時に流して、ドキリと嫌な音を鳴らした。その心臓が無防備にむき出しの状態だ。

目を閉じて、暫時強張っていたが何も起こらない。彼も押さえつけられていた。私は安心したが、すぐに背中に筋肉質な胸をした男が私を見下ろしていること、一点に注目の眼が向けられていることを悟った。

「何故、大原の眼にペンを刺した」

担任の鈴木が、私の顔を凝視して睨みつけている。まるで悪人を裁くヒーロー気取りになっている。彼の机に置かれた手は少し震えていた。

大原は保健室に連れていかれた。多分、すぐに病院に行くんじゃないかと思う。

「おい、答えろ。長澤」

彼は半ばヤクザもんみたいな口調で私に動機の取り立てをしている。ヒーロー気取りするならばもっとカッコいいやり方を探したらどうなんだろう。

「先生。その、気づいた時にはしていました」

と、私は答えた。嘘をつくのは嫌いだが、あんまり正直なのも辛い。だから、サイコとも常人とも取りにくい説明をした。

「無意識ならやっていいんか?」

と、鈴木。

「いえ、やってはいけません」

と私は低く答える。

「おい、何したか分かっとんのか?」

「刺しました」

私の答えに、私自身はゾッとしたが声自体は平気に出た。

鈴木は私の手を見た。私の手は拭き取りきれなかった血がちょっとついてる。

「お前、人にペンを刺したらいけないって分かってるよな。お前が刺した大原、野球部でな、アイツもう打てないだろうな。どう責任とるんだ」

鈴木が少し時間を置いてから言った。私は黙った。考えてもどうしようも出来ないから。確かに大原は気の毒だな。

「何も、出来ません」

「お前、責任取れないのにやったのか」

肯定するしかないだろう。

「はい」

「責任取れないのにやったのか!」

鈴木は目を見開いて、私の胸ぐらを掴んで手繰り寄せてきた。瞬間に、すみませんすみません、と謝る。

「謝る相手がちげーやろうが」

鈴木のゲキが激しくなる。言葉を間違えた。

「おい、お前これからどうするんや」

ちょっと考える時間を取る。また、間違えると、今度は反射的に殴ってきそうな気がしたから。その間も「おい、答えろよ」とか、「おい、長澤」とか鈴木が急かしてきた。どんなご名答が返ってくるとおもってらっしゃるのやら。

「慰謝料を払います」

ゆっくりと申し訳なさそうな、深く懺悔しているような素振りで言った。今度は上手く言えた。

「その金は誰が払うんや」

「働いて、払います」

「働けんやろうがお前は」

「働けるまでは、親、ですね」

「親に払わせるって分かっててお前こんなことしたんか?」

高圧的だ。彼が教師でないならば、他にどの立場ならばこんな高圧的な態度を多くの同僚がいる中で、当然のように出来るんだろうか。

思うに、教師というのはとても恩着せがましい職業だ。自分の科目だけ教えれば良いものを、正義だとか、善だとかを語りたがる。そして規制したがる。自分が聖職についてるなんて言う神話を信じてらっしゃるお偉いさんは、とっても尊いご教示を今日もして下さる。アァ、アーメン。アァ、鈴木。あほくさ。

少しの無言の時間が流れる。私は頭を下げたまま虚ろに鈴木を見ている。そのつもりだ。

「何か言いたげやな」

と、鈴木が言った。私はすぐに首を振りつつ、いえいえと答えた。睨んでるように見えるのかな。

「おい、お前これ分かっとるか。犯罪やぞ。損害賠償って何百万かかるんぞ。お前、片親やろうが。良いんか?それで」

鈴木が聞く。この先、誰からも彼からも人外として見られる。損害賠償の額がそう言ってる。

実際、私はここで他の教師が信じられないと言った顔してチラリと私を見るのが、苦しい。もう、自分の実体がなくなってしまったようだった。視線に食いつくされたのだ。そして、そうなることが私の唯一の幸せのようだった。

「よく、ありません」

「なら、なんでこんなことしたんか」

「気がついたら、もう」

「それはもう聞いたわ。何故こんなことをやれるんか。お前人の眼を見ただけでなりふり構わず刺したりせんやろうが」

言下に鈴木。血が回っててどうにも、質問の意図を上手く伝えられてないようだ。

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