二人旅

第6話

 目を覚ました瞬間、幸村は自分が迂闊うかつだったことに気付いた。


 昨日の夜、襲われた際に奪った槍をその辺に放り投げたままだったのだ。

 疲労やら何やらで頭が沸いていたとしか思えない。

 そのことにもし男が気付いて、這い寄ってでも槍を手元に収めていたら……。

 飛び起きた幸村は、慌てて男が倒れているはずの場所に視線をやった。


「ぐぉおおーー」


 しかしいい意味で、予想は外れていた。

 男は昨日幸村に縛られたままの格好で、やかましいいびきをかきながら眠っていたのだ。

 何となく毒気が抜かれて、幸村はつい笑ってしまう。

 それで少し余裕が出た。


 ぼりぼりと頭を掻くと、外で鳴く鳥の声が幸村の耳に届く。

 雨は綺麗に止んでいるようだ。

 壁の隙間から太陽の光が筋になって差し込んでいる。


 起き上がった幸村は、まず自分の体に異常がないか確認した。


 風邪は引かずに済んだらしい。

 体の奥にずっしりとした疲労感が残っているのは確かだが、具体的にどこが痛いということもなかった。

 ふやけた足の裏もところどころ皮がめくれている以外、特に問題はない。


「起きろ」


 台に干しておいた、半分濡れたままの服を着直すと、幸村は寝ていた男の背中を足で押すようにして転がす。


「痛って! 痛ったい!」


 顔が直接地面と擦れて、すぐに男が目を覚ました。

 何度か咳をして、くぐもった声を出す。


「んあ? あ、おいこら、テメエ」


 そして目を開け、幸村の姿を確認した男は今の自分の状況を思い出したらしい。

 また昨日と同じように怒鳴り声を上げた。


「早くこの縄解けよ! 味方なんだろ! 人をなぶって喜んでんじゃねえ!」

「別になぶってるつもりはないけどさ」 


 幸村は答える。

 同時に小屋の中に差し込む光を利用して、改めて男の顔を確認した。

 そして首を傾げる。


(若いってか、中学生くらい?)


 こちらを睨みつける表情にはそれなりの迫力があったが、しかし目元の辺りに多分に幼さが残っていた。

 男、と呼ぶよりは少年、と表現したほうが良かったかもしれない。

 体つきはやや細く、身長も幸村より小さい。


(だからか)


 幸村は一人納得する。

 昨夜さんざん雨に打たれ、ぼろぼろの体調だった幸村がなぜあの争いに勝つことが出来たのか。


 その理由は、相手が体格の出来上がっていない少年だったからだ。

 だから、あの状況でも幸村は一方的に力負けせずに済んだ。


 また服装から判断して、少年もろくな道のりを進んできたわけではないらしい。

 幸村と同じほどの疲労もあっただろう。

 破れた箇所の多い上着を見て、幸村は息を吐く。


 この分では昨日の槍も幸村が自分で避けたのではなく、向こうの方から勝手に避けてくれたのかもしれなかった。


「まあでも、槍を捨ててないだけ俺よりマシなのか」

「あン?」


 独り言に反応しなくていいと、幸村は首を振った。 


「お前、名前は?」

「テメエに関係ないだろ! それより早く縄解けよ!」


 さすがの即答である。たまにバイト先にこういうのが来ていた。

 まるではるか昔のことを思い出すように幸村は頭に手を当てる。


 こうなっては少し手順を踏んで相手の気分を落ち着かせてやらねばならない。

 少し声を固くして、幸村は話し始める。


「あー、いいか。俺は昨日、お前に襲われて死にそうになったわけだ。そして運良く返り討ちにできて、お前を捕まえることもできた。万々歳だ。それでその後、危ない思いをした俺はいったいどんなことを考えると思う? 少なくとも、素直にお前を解放したらまた襲われるかもしれないって発想になるのは当たり前じゃないか?」

「また、って。俺は別にそんなこと――」

「そりゃそうだろ。俺とお前が本当に味方同士だったとしても、証拠になるものが何もないんだ。昨日お前が言ってたみたいに、俺もお前のことを全然知らない。お互いの信頼がないんだ。だから俺はお前を解放できない。これはアタリマエのことだよな?」

「……面倒くせえ。じゃあ、なんだ! さっさと殺せばいいだろ!」


 長ったらしい話に、考えるのが嫌になったのかもしれない。

 幸村の言葉を撥ねつけるように少年は叫んだ。


 ここまでは想定内の展開である。

 そこで幸村はわざと態度を軟化させ、なるべく柔らかい声で少年に対応した。


「まあ、そう話を急ぐなって。昨日のが誤解だってことはだいたいわかってる。別に俺は、お前に対して怒ってるわけじゃない。好んで傷つけたいわけでもない。言いたいのは、お互い何も知らないなら知る努力が必要だってことだ」


 幸村はしゃがみこんで少年に顔を近づけ、視線を合わせてから笑顔を浮かべて言う。


「だからまず、名前を尋ねたんだ。もう一度聞くぞ? お前の名前は?」


 強い反応が帰ってくると身構えていた少年は、なんとはなく気勢が削がれたようだった。

 これで駄目なら放置決定だな、と幸村は内心考えている。

 それでも、こちらに出来る最低限の努力はしたと思った。


「……」


 少年はこちらの表情の裏を読むようにするだけで、黙ったまましばらく時間が経った。

 これは待っても同じかと、この時点で幸村は少年と意思疎通することを諦めようとしたのだが――。


「……吾助ごすけだよ」 


 視線を外して立ち上がった瞬間、少年は言った。

 吾助。

 幸村はそうつぶやいて、またしゃがみ込む。


「そっか、吾助か。俺は……三郎だ。これで一応お互いの名前が分かったな」


 吾助は頷く。

 さっきよりはよほど素直な顔つきになっていた。

 ある程度、見知らぬ相手に虚勢を張っていた部分もあるのだろう。

 もちろん、今だって全面的に信用されているわけではないだろうが。


「それじゃあ、もう何個か質問だ。とりあえずは昨日の夜、お前が襲ってきたのは本当に誤解ってことでいいんだよな?」

「ずっとそうだって言ってるだろ。本当に悪かったよ、悪かったって。もし追ってきてる奴らだったら先にこっちから仕掛けないと絶対負けると思ったんだ」


 そのように言う吾助の視線が揺らぐことはない。

 嘘とは思えなかった。


「そこは納得した。んで、追われてたってことは林を抜けてここまで来たのか? あの、敵が横っ腹に突っ込んできた時から」

「たぶんそう。でも事情はよく分かんなかったんだ。俺、後ろの方にいて背も低かったから遠くまで見通せなくて」


 後半部分は少し情けないと思ったのか、小さな声で吾助は話す。


「でも周りがどんどん逃げ出していくのに、俺一人残るなんてただの馬鹿だろ? だから、その場で荷物になりそうなのは全部捨てて、走れるだけ走った。それでこの小屋を見つけて、雨も嫌だったし中に隠れて……」


 そしたら今こんなんだけどさ。吾助は続ける。


「じゃあ、あの槍はどうしたんだ?」

「武器だけは手放しちゃいけないと思ったんだ。身を守るものが何もないのは危ないと思って」

「あー、そう」


 幸村は何かをごまかすように咳払いをした。

 そしてさらに二三、つまらないことを確認した後、結局幸村は吾助がそこまで凶悪ではないと判断し、彼を縛る縄を解いてやることに決めた。


 幸村は立ち上がり、吾助の背後に回る。


「解いてくれるのか」


 答えず、まず足から吾助を縛っている縄を緩めた。


 頭に血が昇った状態でやったからかもしれない。

 締めつけが厳しかったらしく、肌がうっ血して赤黒くなっていた。

 嫌な気分になったが、幸村はあえて気にしていないふりをする。


 続けて腕も解いた。

 その瞬間、吾助が暴れだすのではないかと幸村は構えたが、彼にそういうつもりはないらしい。


「おー、痛てえ」


 一晩ぶりに縄から解放され、体を起こして座り直した吾助は、ふうふうと息を吹きかけながら手首のあたりを両手で交互に擦った。

 一方、幸村はこっそり槍を放り投げた方向だけを気にしている。


「なあ、あんた」


 間を置いてそう問われ、幸村は返事を返した。 


「なんだ」

「何か、食うもの持ってない?」

「……食うもの?」


 それは拍子抜けするほど子供らしい、邪気の含まれていない声だった。


「なんでも良いよ。昨日から俺、何も腹に入れてないんだ。だから腹減って死にそうでさ。この小屋を漁ってみても芋の一つもなかったし」


 そう言われてみて、幸村も初めて気がついた。

 幸村も彼と同様に昨日から何も食べていないのだ。

 ずっと気を張っていたからだろう、一度も空腹を覚えることがなかった。


 だが、そうやって言葉にして聞かされると、急に幸村も腹の虫が収まらなくなってくる。


「あー」


 いくらか逡巡した後、幸村は上着の内側に右手を突っ込んだ。

 村にいた当時、こっそりと仕込んでおいた裏地の胸ポケットがすぐに見つかる。


(雨で流されてなければ) 


 不安げながら触ると、感触はまだあった。

 思い切って手を突っ込み、取り出してみる。

 焼いた餅が一つ。

 しかしずいぶんふやけて、かつ表面も汚れていた。

 その量は一人前をようやく満たすほどしかない。


「これしか持ってない。お前、これ食えるか?」


 幸村がその餅を目の前にかざすと、吾助ははっきりと残念そうな表情を浮かべた。

 当然かもしれない。

 まともな感性を持っているなら、誰だってこんなものを自分の腹に入れたくはないだろう。


「食わないなら、俺が一人で食うぞ」


 しかし、幸村にそう告げられてみると、急に戸惑う気持ちが生まれたらしい。

 とりあえず、と言った感じで吾助はこちらに向かって手を伸ばす。


 幸村は頷き、ちょっと待ってろと言って、槍が落ちている方へと歩いていった。


 吾助は何事かと不思議そうな表情を浮かべた後、ふと幸村が手に取ろうとしているものに気付いて、その場で立ち上がろうとする。だが、急に足には力が入らなかったようで、かくんとその場で膝を折ってしまった。


 一方、槍を拾い上げた幸村はその刃先を自分の顔に近づけて、どれくらいそれが汚れているかを確認する。


(うし、大丈夫)


 彼は短く槍を持ち直すと、その刃で餅を半分に切断する。

 そしてその内の片方を吾助がまた起き上がったのを確認してから、そちらに無造作に放ってやった。


 飛んできた餅を吾助はしっかり両手で受け止める。

 彼は餅の実物を間近で確認すると、安心したように頬をゆるめた。

 それからまた不安げな顔に戻って幸村の顔を見つめる。


『本気でこれ食うの?』


 視線がそう訴えかけていた。

 その視線に応えるように幸村は手で餅の汚れを払った後、それを口に含む。

 微妙に苦い。が、無視して咀嚼そしゃくし、一気に飲み込んだ。


(こんなものでも食わないとやっていけないんだ、こんな時代!)


 自らに言い聞かせるように心中で叫んだのが聞こえたわけではないだろうが、しかしみるみる驚いた表情になった吾助は幸村の顔と手の中の餅を交互に見比べる。

 そして最後には決心したようだ。


 吾助は目をつぶり、思い切って餅を口の中に入れる。

 一瞬、表情が曇った。

 しかし、吐き出そうとはせず、何度か口を動かし、それからごくりと飲み込んだ。


「うぇ」


 そしてえづく。

 幸村はその様子を見ていて、我慢できずに少し笑ってしまった。

 笑われた吾助はバツが悪そうにしながら、口元を手の甲で拭いている。


「うん」


 幸村は気分を切り替えるつもりで、明るく声を出した。


「じゃあ、飯も食ったことだし、ここで会ったのも何かの縁だ。もうちょっと話して情報交換しないか?」


 そんな幸村の提案に、吾助は少し考えたようにした後、うんと首を縦に振ってみせた。

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