俺は1980円の電動チェンソーで、妹を殺さなくちゃいけない
弦崎あるい
俺は1980円の電動チェンソーで、妹を殺さなくちゃいけない
初夏。公園で向かい合う男女。その距離は大体5mほど。
風が吹いた。生温かな風が頬を撫で、ミルク味の飴みたいな甘い香りが鼻腔をくすぐる。
目は虚ろで顔面蒼白。というか、全体的に肌に血の気がなく、無表情のため感情は読めない。
まぁ、彼女は一度死んでいるのだから、それも仕方のないことなのだと思う。
少女はその場から動くことなく、ただ時折居眠りをしている人のように、膝がカクっとなって体勢を崩したり、首がカクっとなって前のめりに倒れそうになる。今のところ襲ってくる気配はない。ついでに辺りに人気もない。怖すぎて、気を抜くと今にも漏らしてしまいそうだった。
家の近所にあるこの宮元市営公園は、敷地が広く遊具も多いので、休日でなくとも家族連れやカップルなどで賑わっていた。が、このご時勢、用もないのに外を出歩くのは自殺行為といえる。いつ彼女達と出会って襲われるとも知れない。襲われたくないならば、外に出ないのが一番確実な方法といえる。家族に20歳未満の女子がいない場合に限り。
友哉は右手に持っていた、小型チェンソーのスイッチを押す。それはグォーンと景気良く吠えると、歯の部分がもの凄い早さで回転し始める。DIYなどでよく使用される電動チェンソーは、確か1680円か1980円程度の値段。そんな安値で切り刻まれる彼女達が少し可哀想だなと思う。
まるでその程度の価値しかないみたいで、何かイヤだ。とはいえ、総額1億円くらいするダイヤ入りのチェーンソーで切り刻まれたら幸せなのか? と問われると、それもまた違う気がする。お金じゃないのよ、世の中は。
ともかく、友哉はこれで切り刻まなくてはいけないのだ。目の前にいる少女を。5日前に妹になった、少女を。
「上村ちゃん…………どうして俺に殺してほしい、なんて言ったんだよ」
妹である、
友哉と早雪は義理の兄妹なのだが、父親が再婚してから5日しか経っていないのと、友哉が極度の人見知りのため、名前で呼んだことは一度もない。ちなみに、金澤家では夫婦別姓を謳っているため、苗字呼びでも一応成立する。が、家族として考えた場合、アウトなのは友哉自身も自覚している。
ふと、辺りを見回す。やはり人気はない。一拍置いて深呼吸してから、早雪。と呼び捨てしてみた。言い終わるとひどく恥ずかしくなって照れる。
チェンソーを構えながら照れている友哉はきっとかなり頭がおかしくて、世の中が普通なら間違いなく通報されている。ただ、そもそも世の中が普通ならば、父親がチェンソーなんて買ってこないだろうし、友哉も早雪に向けてチェーンソーを構えたりもしない。彼女には別に憎しみもないし恨みもない。あるのはそれらと逆の感情だ。
早雪を含めた20歳以下の少女達が突然死し、再び生き返ると見境なく人を襲う、という事件が最近日本各地で起きている。その原因は未だに分かっておらず、某国の自暴自棄のテロだとか、薬品会社の実験が失敗してウィルスが拡散されたとか、神の戯れだとか、伝染病だとか、やっぱり某国のテロだとか言われているけれど、本当のところは友哉には分からない。
ただ、根拠も確証もないので理由を聞かれたら困るのだけれど、神の戯れという説を友哉は支持している。それなら誰も恨まないでいいし、健全だ。あとロマンチックだし、こういうの女子は結構好きだと思う。
「……神様のバーカ」
友哉は空を仰ぐとぼそっと呟く。空は嫌味なくらい雲一つない晴天で、真っ青が遥か先まで続いている中に、ぽつんと真っ白な太陽が煌々と輝いている。
友哉は正面に顔を戻し、早雪を見やる。
綺麗な黒髪は重力に従って柳のよう垂れ下がり、元々雪のように白かった肌は、病的なまでに異様な白さで、光が当たるともうラフ板なのか人なのか分からなくなる。アーモンド型の瞳は寝起きのときみたく虚ろで、焦点がほぼ合っていない。けれど、健康的な赤い唇は死んだというのに瑞々しく艶やかで、初対面の第一印象で抱いた感想と同じく、触れてみたい衝動に駆られる。
友哉は早雪を見つめたまま、神様のバーカ。と再びぶっきらぼうに呟く。当然、何の返事も返ってこないため、友哉の呟きは人気のない公園に空しく響いた。
早雪は友哉より学年が1つ下の高校2年生で、学校が違うため最寄りの駅で待ち合わせて、途中のコンビニでカラアゲちゃんごま塩味を買うと、家から程近いこの宮元市営公園に立ち寄る。大きな噴水が見えるベンチに並んで座り、互いの買ったやつを分け合って食べたり、1つのアイスカフェオレを回し飲みしたりする。友哉は密かに、これって間接キスじゃね。と、思って顔を赤くする。けれどもふと横を見れば、同じように早雪も顔を赤くしていて、もしかして俺達って両思いなのか? と、少女マンガのような展開に期待を膨らませる。でも、2人は兄妹だしダメだよな。と、突然現実に戻って冷静に今後のことを考えていると、早雪の顔がどんどん近づいてくる。えっ? キスとか早すぎるって。と思っている途中で、2人の唇がしっかりと重なる。顔が離れても、頬の辺りが熱くて仕方がなくて、何が何だかもう訳が分からなくなる。すると、今度は早雪が抱きついてきて、友哉のことが好き。と告白をしてくる。ますます頭が大混乱に陥るものの、無意識のうちにその細い腰に手を回し、今度は友哉のほうからキスをする。父ちゃん、マジでめんご! と心の中で懺悔するけれど、柔らかくて程良い弾力のある唇が気持ち良くてキスが止まらないし、腰に回した手を離す気にもなれない。そうして、最後は照れくさそうに笑い合いながら、しっかりと指を絡ませて友哉と早雪は手を繋いだまま家に帰る。
そんなことを夢見ていた。夢のまま終わった。
早雪は死んだ。そして生き返り、誰彼構わず外を食らう化け物になってしまった。友哉は、かつて妹だった化け物を殺さなければならない。手に持った、この小型チェンソーで。
「うあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
友哉は空に向かって、天の神様にも届くくらいの大声で吠えた。
それからチェーンソーを地面に突き刺すと、その場に崩れ落ちて声を上げて泣いた。
早雪は死ぬ直前、幸せそうな笑みを浮かべながら、もし私が知哉や家族に襲いかかるようなことがあったら、そのときは私を殺して。と穏やかな口調で言った。友哉はその言葉の意味もよく分からないまま、雰囲気に呑まれて頷いてしまった。そのときの軽率な自分のことは、今思い出しても苛つく。
もうアホかとバカかと、小1時間ほど罵ってやりたい。
ともかく、早雪が友哉に殺してほしいと言った真意は、永遠の謎になってしまった。十二分に悔いる余地があるが、考えても分からないので深追いしない。今、友哉にできることは早雪の最後の願いを叶えてやることだけだった。
首も手も足も胴体から切り離して、二度と生き返らなくさせる。それくらいしか、してあげられることがない。でも、それだけは自分がしたい。
知哉は深く息を吐き出すと、最終ラウンドのボクサーのように、ふらつく足元に力を入れて立ち上がる。早雪は喜んだようにその場で1回転した。それはそれは美しいターンで、思わず見蕩れてしまう。
早雪は綺麗で、泣けるほど綺麗で、けれども友哉は泣かずに黙って見つめていた。
風が吹いた。生温かな風が頬を撫で、ミルク味の飴みたいな甘い香りが鼻腔をくすぐる。
友哉は小型チェーンソーを地面から引き抜く。スイッチを入れると、それは再びグォーンと暴力的な唸り声を上げて、歯の部分がもの凄い勢いで回転し始める。小型といえど、持ち手だけで30 cmほどあり、歯の部分も入れると1mを余裕で超える。おまけに軽量化されているわけではないので、何気に重たい。あとは振動が凄いため長時間持っているのはかなり辛い。普通に苦行といえる。
それでも友哉はチェーンソーをしっかりと構える。早雪は相変わらず、前に後に体幹が安定せずにふらついている。が、段々とこの無機質な機械音に合わせて、踊っているように見えてくる。
こりゃ頭がイカれてきたかもしれん。家に帰ったら、とりあえず冷蔵庫で冷やしてある、知哉専用のサイダーを飲もう。あっ、グラスを冷やしておくのを忘れた。これは致命的なミスだ。冷えたグラスで飲む冷えたサイダー。それが世界で一番美味いものだと、友哉は信じてやまない。
「……さてと、それじゃそろそろ始めようか」
そう言うと早雪の動きが一旦止まる。友哉のことをまじまじと眺めた後で、獣の威嚇みたいな咆哮をする。それから勢い良くこちらに向かって走ってくる。知哉は身軽な動きで早雪の初手を避けた。
これでも駅前の空手教室では、うちの金澤は世界一。なんて言われているので、足捌きと型の綺麗さには自信がある。ちなみに強さとは別次元の話なので、一同に不良を5人倒せと言われても、絶対にできない。
そういえば、上村ちゃんはダンスを習ってるって、最初の顔合わせのとき言ってたなぁ。なんて、呑気に思い出しながら、友哉は迫り来る右手を最小限の動きで避ける。続いて右足を1歩前に出しながら、右手の拳を腹に叩き込むと、早雪はぐぇっ!とガマガエルみたいな声で呻いてから、1、2mほど吹っ飛んだ。
できることならば踊っている彼女を見たかった。けれど、それはもう叶わない。友哉は唇を噛み締める。チェーンソーを早雪に向けながら、一緒に踊ろうか? と言ってみる。
すると、早雪が嬉しそうに笑ったような気がした。多分、そんな気がしただけだ。
俺は1980円の電動チェンソーで、妹を殺さなくちゃいけない 弦崎あるい @manukahoney
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