第5幕 シーン4

 「さっすが幼馴染み。あれだけで本当によく分かったな」


 祐美もまた拳を上げると、そのまま軽くぶつけ合って互いに讃え合う。


 「まぁ、幼馴染み+女の勘ってやつかな」


 とトールを肩担ぎながらドヤ顔をする祐美。なぜだか少しだけ苛ついた。ともかく、これでこちらのペースに持っていきたい。


 「痛たたた……さすがに今の一撃は痛かったですぅ」


 頭の天辺辺りを擦りながら、拗ねたように唇を尖らせたフェンリル。ゆっくりと起き上がろうとすると、莉穂が我先に駆け出してフレイで真っ二つにしようとする。


 「皆さん厳しいですねぇ」


 フレイを長い爪で受け止めながら苦笑するフェンリル。


 「お前達を容赦する理由なんて1つもない!」


 2人は押し合いをしていたが、フレイが燃えているため熱いのか後ろに飛ぶ。ちょうどその先、いつの間に移動したのか、朱梨が待ち構えていてヴァルキリアを突き出す。だが、フェンリルは間一髪のところで体を捻って避けられてしまう。


 「惜しい!」

 「ふむ……案外関岡は、良い点に気づいたのかもしれないな」

 「へっ?」


 莉穂の予想外の言葉に千敦はつい腑抜けた声を出してしまう。


 「あいつは変則的な攻撃に弱い!」


 莉穂はフェンリルをしっかりと見据えると、良く通る声で皆に向かって叫んだ。その言葉を聞いたロキの口元が微かに歪む。まるでそれに気づいたことが嬉しい、といった顔つきだった。火魅の性格を思い返すと、仲間がピンチになっているのを楽しんでいても不思議ではない。


 千敦は視線をフェンリルに移すと、オーディンを構え直してから特攻をかける。攻撃はあっさりと避けられたが、左後方から莉穂がフレイ斬りかかる。と見せかけて肩先に体当たりする。


 「ふえぇっ?!」


 やはり予想外の攻撃に弱いのか、フェンリルは驚きの声を上げながら普通に吹っ飛ばされる。ある程度位置を予想して待機していた祐美は、再びフェンリルの頭上目がけてトールを振り下ろす。さすがにトールを受け止めることはできないのか、前方に飛ぶと沙夜子が回り込む。沙夜子はヴィーダルと呼ばれるレイピアのような細身の剣を武器にしていて、指揮者のような華麗な剣捌きで素早く斬りつける。


 攻撃は全て爪で弾き返されたが、沙夜子は目的は元より攻撃ではない。


 「沙夜子!」


 朱梨の叫びが廊下に響き渡るのと、沙夜子は咄嗟に自身の腰を曲げる。後ろから助走をつけて朱梨がやってくる。朱梨は沙夜子の手前で飛ぶと、その背中を踏み台にして宙高く飛び上がる。


 「くらえぇぇぇぇぇ!」


 ヴァルキリアを下に向け、突き刺すようにフェンリルに向かって落下する。千敦は後ろに飛んで避けると予想し、着地地点を目指して走り出す。


 「何っ!!」


 フェンリルは顔を引き攣らせながら、千敦の予想通りに後ろに飛んだ。ただ、予想したよりもやや遠くに飛んだので、攻撃が間に合わないと悟った千敦は、走っている途中でスライディングに切り替えた。その作戦は思った以上に上手くいき、フェンリルは見事に足を取られて体制を崩す。千敦が走り出したのを見て、同じく走り出していた祐美がトールをフェンリルの頭上で振り上げる。


 「はぁぁぁぁっ!」


 祐美がトールを振り下ろす。完全に決まり、フェンリルは轟音と共にまた床に叩きつけられた。


 「よっしゃ!」

 「しゃぁぁぁ!」


 千敦と朱梨がガッツポーズしながら叫ぶ。祐美が荒い息を吐き出しながら、トールを持ち上げる。さすがに頭が潰れていたら直視できないな。と思っていたが、それはいらぬ心配だった。


 フェンリルは瞬く間に身を起こすと大きく跳躍する。そして、少し離れた所にいるロキの隣に着地する。改めてこちらに振り返ると、フェンリルのこめかみから血が流れていた。が、それよりも千敦はフェンリルの形相に言葉を失う。


 犬歯を思い切り剥き出しにし、鋭い眼光で獲物を睨みつけてくる、1匹の野獣がそこにいた。


 「人間風情がナメ腐りやがって! 全員噛み殺すぞ、カスどもが!」


 突然、汚い言葉遣いで喚き散らすと、威嚇するように低い声で唸る。すると、徐ろにロキが立ち上がりフェンリルの横に並んだ。


 「本当の姿になればいいのに」


と至って軽い口調で、耳元に顔を寄せて囁く。その言葉にフェンリルは目を見開くと、即座に反論した。


 「ロキ様! こんな雑魚ども、あの姿にならなくても全員殺せます!」


 ロキの目が細まる。それはひどく冷たい瞳で、目が合っただけで誰もが身を硬直させるほどの威圧感があった。現に目が合ったフェンリルは、即座に片膝をつくと地面に頭が着くくらいに身を低くする。ロキは冷たい目をしたまま、その様子を見つめている。


 「……これは命令だ。お前は黙って従っていればいい」

 「はっ! しょ、承知致しました!」


 フェンリルが身を正して叫ぶ。それから機敏な動きで立ち上がると、千敦達の方に向き直ってから狼の遠吠えする。


 空気が震えた。


 再び千敦の全身に鳥肌が立ち、強い日差しで肌が焼けたような痛みが走る。異様な雰囲気が学校の廊下を席巻していた。そのうちにフェンリルの姿が、少しずつ変化していく。

 体が時間をかけて膨張していき、やがてそれは1つの姿になる。幼女の皮が破れ、頭は天井に着きそうなほど体は大きくなり、手と足は丸太のように太く血管が剥き出しになった、筋肉質なものへと変貌を遂げる。その可愛らしい顔は見る影もなく、狼のような骨格に鋭い牙を覗かせた、醜い化け物が出来上ががる。


 誰も何も言わなかった。皆、言葉を発することを忘れ、目の前の化け物を見つめることしかできない。しばらく無言と無音の状態が続いたが、フェンリルが沈黙を破る。


 「……これでお前達は死ぬ」


 到底人とは思えぬほどに低く濁った声。


 「朽ちろ」


 その台詞を聞いた途端、千敦の体は車に撥ねられたかのように宙に舞う。そして容赦なく床に叩きつけられた。


 「ぐあぁぁっ!」


 痛みで視界が揺らいだがすぐに正常に戻ると、視界の先には普段あまり目にすることがない、学校の白い天井が見える。全身が激しい痛みに襲われているが、千敦はどうにか自分の手を目の前まで持ってくる。腕からは血が流れ、無数の傷ができていた。


 痛みに耐えながら上体を起こす。辺りを見回すと、皆傷だらけの状態で床に倒れ込んでいた。この場で立っているのはフェンリルとロキのみ。


 千敦は訳が分からなかった。


 一体何が起こったんだよ。どうしてこうなったのか、全然分かんねぇ。

 攻撃を食らったことだけは分かったが、その動きを目で追うことできなかった。まるで瞬きしている間に全員やられた、ようだった。


 「……マジかよ」


 千敦は乾いた笑い声を漏らしながら独り言を呟く。これが死闘からの最後の一撃ということならともかく、フェンリルの様子を見ている限り、これは通常攻撃なのだろう。もはや、絶望以外の何者もここには存在しない。力の差があまりにも違いすぎる。微塵も勝てる気がしなかった。


 「でも…………それでも……ここで倒れるわけには、ぜってぇーいかねぇ!」


 千敦は気力と根性でオーディンを杖代わりにしてどうにか立ち上がる。そして、恐れることなく真っ直ぐフェンリルを見つめる。


 「馬鹿な小僧め。大人しく死を享受すればいいものを」


 フェンリルが嗤う。

 正直怖い。怖くないわけがない。それでも後には引けない。引けるわけがない。自分には守りたいものがある、その守りたいものと一緒に過ごしたい明日がある。祐美と、演劇部の皆と、須藤と、クラスメートと家族。そして愛。


 愛があのとき守ってくれたから今の自分がいる。そんな愛に自分は何もしてあげられなかった。何も言えなかった。だから、生きて会えたのなら面と向かって一言言いたい、ありがとうございました! と、きちんとお礼が言いたかった。

 今になってようやく分かった。千敦は一言、愛にお礼が言いたかったのだ。


 千敦は気合を入れるために大声で叫ぶと、オーディンを力一杯握り締める。


 「大人しくなんて待ってられるか! 立ち上がって、ちゃんと前向いて、魂燃やして頑張らねぇと、俺の欲しい明日がこねぇんだよ!」


 とフェンリルに向かって吠えるとオーディンを刃先を向ける。


 「……そういうことだな」


 賛同の声に顔を向けると、莉穂が立ち上がろうとしているところだった。


 「千敦もたまにはいいこと言うね」

 「本当にたまにだけどな」

 「……言わないよりは良いと思う」


 皆、満身創痍といった様子だが、その目は決して絶望していない。それどころか明日への希望に満ちている。


 「ふんっ! 自ら愚行を重ねるとは理解できん」


 フェンリルは吐き捨てるように言うと鼻で笑う。


 「ワンワン。あんまり調子に乗ったらダメだよ?」

  と突然その場にそぐわない、子どもを諭すような優しげ声が聞こえてくる。莉穂がグレープしていたので、人が来たことに驚いて千敦達は一斉に振り返る。


 そこには1人の女生徒がいた。

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