第5幕 シーン3

 「初めて会う奴もいることだし、自己紹介くらいしてやれよ」

 「えっ? は、はい! え、えっと、あの……わ、わ、我はニヴルヘイムの王ヘルの忠実なる僕、フェンリルである。よ、よろしくお願いします!」


 女の子は自己紹介が終わると、礼儀正しく深々と頭を下げる。敵とはいえ、心配になってしまうほどおどおどしている。


 「大丈夫なのか、あの子」


 千敦は呆れたように苦笑していたが、ふと横目で盗み見た莉穂の顔は顔面蒼白。とまではいかないが、瞳孔がやや開き気味でかなり動揺しているのだけは間違いなかった。


 「ど、どうかしたんですか? 副部長」

 「全員、早く武器を構えろ!」


 千敦の質問を無視して莉穂が怒鳴るような大きな声で叫ぶ。莉穂は普段声を荒げることがないため、千敦は急いでオーディンを構える。祐美達はここに来る前に武器を取り出していたらしく、それぞれ臨戦態勢で正面を見つめている。


 どう見ても弱そうなのに。と思いながら、千敦は再びフェンリルの方を視線を移す。すると、目が合った。途端にフェンリルの肩が跳ね上がり、慌てた様子でロキの後ろに隠れてしまう。それから少しして肩の辺りから僅かに顔を覗かせると、本人としては睨んでいるのか知らないが、どこか拗ねた顔つきで見つめてくる。


 千敦は思わず変な感情が沸き起こりそうになったが、一応今のところはそういう趣味はない。基本年上の方が好きだ。


 「めっちゃ弱そうなんスけど、あいつ。そんなビビるほど強いんスか?」


 朱梨の言葉に一同同感で、失礼だがどう見てもザコキャラの行動だった。


 「見た目に騙されるな。あいつとは阿部達が入ってくる少し前、一度だけ戦ったことがあるが…………危うく全滅しかけた」


 莉穂の言葉にその場の空気が凍る。とても嘘を言っているようには見えなかったし、当時を思い出しているのか莉穂の顔つきはいつになく険しい。


 「そんなに強いんですか?!」

 「あぁ。私や愛、今は卒業していない先輩方も戦いの後は立てなかった。1人は重症で病院送り。誰も導かれなかったのが奇跡だった」


 莉穂は短く息を吐き出すとフレイを構え直す。千敦が再びフェンリル達の方を見ると、立っているのはフェンリルただ1人で、ロキは音楽室の前に座り込んで胡座を掻いていた。少なくとも戦いに参加する気はないらしく、高みの見物といったところだろうか。


 「でも、前に一度戦ったときは勝った。ってことスよね?」


 朱梨がさり気なく莉穂より前に踊り出る。


 「みんな生きていたわけですし。って、あっちも生きてますけど……」


 フェンリルは未だ不安そうにおどおどしていて、肩を竦めながらこちらの様子を伺っている。やはり強キャラとは思えない。


 「この間のは引き分けか、まぁ辛勝ってところだな。重症になった奴が頑張ってくれて、何とか退散させた」

 「なら、いけるっしょ!」


 そう言う早いか朱梨は弾丸のように走り出し、フェンリルに突っ込んでいく。


 「やめろぉ、阿部!」


 莉穂が制止の声を上げるも、朱梨は止まらずフェンリルに突っ込んでいく。


 「おらぁぁぁぁぁ!」


 朱梨は自らの武器であるヴァルキリアで激しい突きを繰り出すが、それらは全て見切られているかのようにフェンリルは身軽な足取り次々避けていく。その顔は、おもちゃで遊んでもらっている犬の如く、目が爛々と輝いている。フェンリルは朱梨の突きの屈んでかわすと、素早く朱梨の懐に潜り込む。


 「阿部先輩!」


 嫌な予感がして千敦は叫んだが、時既に遅く朱梨はフェンリルの掌底を食らって吹っ飛ばされた。


 「ぐはっ!」


 小さな体のどこにそんな力があるのか、朱梨の体は1mほど宙に浮き、落下する。それからしばらくの間、朱梨は動かなかった。


 静寂。


 「朱梨!」


 静寂を破ったのは悲鳴に近い沙夜子の声だった。やはり同期だから余計に安否が気になるのか、沙夜子が慌てて朱梨の元に駆け寄る。それを見て千敦達も朱梨の元に集まる。沙夜子が肩を抱いてその身を起こそうとすると、途中で朱梨が手を突っぱねて、自分の力だけで立ち上がろうとする。


 「クソッ、痛てぇよ! あのバカ! たっく……今のであばらを少し、やっちまったじゃねぇか」


 お腹の辺りを押さえながら朱梨はフェンリルを睨む。一方のフェンリルはというと、相変わらず目が輝いている。そして、投げられた骨でも拾って飼い主のところに持っていく忠犬の如く、ロキの元へ報告に行った。


 「この前戦ったときよりも強くなってますね、あの人達!」

 「バーカ。メンツが違うんだから当たり前だろ」

 「えぇぇぇぇ! 違う人達なんですか?」


 小首を傾げながら、不思議そうな顔つきで千敦達を見つめるフェンリル。どうやら記憶力がないのか、そもそもの頭の容量が少ないのか、1年半前に戦っていたという生徒達と千敦達との区別がついていないらしい。


 「全く。そんなんだから……この前の戦いで腕を失くすんだよ、バカワンコ」

 「バカワンコはやめてください! それに、この新しい腕も結構気に入ってるんですよ?」


 フェンリルは嬉しそうに笑いながら左腕を回す。傍から見ていると微笑ましい少年少女の会話なのだが、千敦達の中で今この瞬間に気を抜いている者は1人もいなかった。廊下には異様な緊張感に包まれていて、いつでも交戦できるように、フェンリルの些細な動作にも目を光らせる。


 ロキと話し終えたフェンリルが、静かに千敦達の方に向き直る。先程の弱々しい雰囲気がとは何かが違っていた。


 「……ねぇ、ロキ様」

 「あん?」

 「この人達って、全員食べちゃっていいんですよね?」


 フェンリルは舌なめずりをしてほくそ笑む。その瞬間、鋭い牙が見えた。千敦の体が悪寒で震える。いつの間にか全身に鳥肌が立っていた。


 「あぁ、お前の好きにしろ」

 「良かったぁ! 最近何にも食べてないから、ずーっとお腹が減ってたんですよ」


 フェンリルが笑う。それはさっきの子どもめいた無邪気な笑みとは質が違う。しいていうなら、うこを殺す寸前の火魅が見せたあの邪悪な笑みに近い。

千敦は悪寒で震える腕をどうにか押さえ込んでいると、偶然なのかフェンリルと目が合った。再びフェンリルが笑う。


 千敦を見て、嗤う。


 フェンリルが床を蹴ると千敦目がけてやってくる。早い。とてつもないスピードで目前まで迫ると、いつの間に生えていた長い爪を振り下ろす。が、寸前のところで莉穂のフレイが間に入り、バットをフルスイングするようにして長い爪を弾く。一旦距離を取るフェンリル。


 「気を抜くな、関岡!」


 背を向けたままの状態で莉穂が怒鳴る。


 「す、すいません!」


 気迫に負けて頭を下げると、莉穂がフェンリルを見据えたまま指示を出す。


 「私と松任谷……そして関岡の3人が中心となってあいつを討つ。阿部と勝野はフォローに回れ」


 莉穂の指示に珍しく朱梨が食ってかかる。

 「なんで関岡なんスか!? 関岡じゃなくて、あたしを使ってください!」

 「怪我人に無茶はさせられない」


 振り返らないまま間髪入れずに莉穂が答える。


 「……怪我してたってこいつよりはマシっスよ!」


 朱梨に悪意はないのは分かっている、それにしてもなかなか傷つく言葉で、少し凹んだ。けれど、千敦も莉穂と同じ考えだった。


 「阿部先輩……俺に任せてくれませんか?」


 フェンリルの動向を視界の端で確認しながら、千敦は朱梨の方に顔を向ける。


 「あ?」


 朱梨がものすごい形相で睨んでくる。正直言ってチビりそうなくらい怖い。


 「すっげぇ自信はないですけど……でも、本気でめっちゃ頑張りますから」

 「バカ! 今頑張らないでいつ頑張んだよ」

 「ですよね」


 あははと乾いた笑い声を漏らすと朱梨に舌打ちされた。千敦は一瞬怯んだが、自分に渇を入れると朱梨を真っ直ぐ見つめる。


 「でも俺、もう誰にも死んでほしくないんです! 誰かが死ぬところなんて、もう二度と見たくない!」


 愛が死んだときの場面と、うこが死んだとき場面が脳裏を過ぎる。気がつくと千敦は痛いくらい自分の拳を握っていた。


 「だから、俺がみんなのことを守ります! もう絶対に誰も死なせない!!」


 この中の誰よりも経験が浅く、きっと誰よりも弱い。それでもこの想いは誰に何と言われようと決して揺るがない。

 千敦は固い決意を胸の底に叩き込む。


 「死んだら終わりのお前が何言ってんだか……けどまぁ……その考えは、悪くねぇよ」


 朱梨はそう言って千敦から顔を逸らすと、少しだけ後ろに下がった。気のない拍手が廊下に響く。音のした方に顔を向けると、つまらなそうなにロキが手を叩いて賞賛していた。


 「青春ごっこはもう終わった? いい加減待ちくたびれたんだけど。っうか、バカワンコなんて待ちきれなくて寝ちまったよ」


 ロキは呆れたように笑いながら、足元で丸まっているフェンリルを蹴り飛ばす。痛みで飛び上がるフェンリル。


 「何するんですか、ロキ様!」

 「お話終わったってよ」

 「そうなんですか? ふぁぁぁ、あまりに長かったので眠っちゃいましたよぉ」


 照れくさそうに笑うフェンリル。幼さの残る少女の笑みは見ていて微笑ましいけれど、千敦はフェンリルに向けてオーディンを構える。


 「ごめんね、幼女ちゃん。君には何の恨みもないけど……必ずここで倒す!」


 千敦の宣言にフェンリルは嬉しそうに嗤う。


 「殺せるものなら私のこと殺してくださいよ、お兄ちゃん」


 フェンリルは満面の笑みを浮かべたまま両手を軽く振るう。すると一瞬にして30センチ程爪が伸びた。


 「私が前に出る。関岡と松任谷は左右に散れ」


 言うが早いか莉穂がフェンリルに斬りかかり、千敦と祐美は左右から挟み撃ちの形で回り込む。が、フェンリルは左手でフレイを弾き、右手で千敦のオーディンの柄の部分を掴んで止め、祐美のトールの攻撃をしゃがんでかわす。


 「遅いですよ」

 「っ!」


 フェンリルはお返しとばかりに、立ち上がるのと同時に祐美に向かって爪を突き上げる。武器の特性上、どうしても攻撃の回避が遅くれがちの祐美だが、そこは上手く莉穂がフォローに入って爪をフレイで受け止めた。

 祐美の武器であるトールは、大きな金槌というかハンマーで、その槌部分はかなり大きく祐美の体半分くらいある。初めて戦っている姿を見たときは、なぜ振り回せているのが不思議でならなかった。


 ともかく大きなハンマーなので、攻撃力は非常に高いものの、どうしても動作が大きくなってしまう。回避行動も当然他の子達より劣る。


 とはいえ、自分のウィークポイントであることは、祐美自身も重々承知している。そのため、攻撃するとき完全に振り切らずに途中で止めたり、逆に思い切り振り回してその勢いに乗って攻撃を避けるなど、色々と試行錯誤している。


 「大丈夫か、松任谷」

 「はい。私なら全然平気です」


 莉穂の問いに祐美は軽く笑みを浮かべて答える。どうやらまだ笑う余裕が残っているらしい。


 「前に戦った人達よりも本当に強いですね、皆さん!」


 本当に嬉しそうにフェンリルは笑う。それから不意打ち気味に莉穂に向かって手を伸ばす。莉穂はそれを冷静に捌くが、剣などと違って爪は捌き難いようでやや苦戦気味だった。祐美もトールは基本一点集中狙いなので、素早く動く相手は苦手らしい。フェンリルは長い爪と己のスピートを生かして、素早く辺りを移動しながら四方八方から攻撃をしてくる。


 「俺は全然平気じゃない!」


 千敦はというと、攻撃を防ぐので精一杯だった。爪によるリーチが長く、おまけに柄では全ては防ぎきれず、腕や腿はいつの間にか制服が裂けて血で滲んでいる。莉穂達が前回全滅しかけた敵、というだけあってトロールとは比べ物にならないほど強い。千敦達はなかなか反撃に移れず、かといって朱梨達もフェンリルが素早く動き回るため、援護に入る機会を伺っている。


 「どうちゃったんですか、皆さん。攻もっと撃してきていいんですよ?」


 フェンリルの言葉は、完全に防戦一方の千敦達へ向けた皮肉だが、完全にペースを持っていかれている状態のため、どうすることもできない。


 「くそぉ! あのクソ犬、なめくさりやがって!」


 朱梨が後方で声を荒げる。口に出さないだけで気持ちは朱梨と同じに違いない。せめて1発。できれば大きいのを食らわれて吹っ飛ばしたい。そのためにはまず、フェンリルを足止めするのが必須条件だった。


 ふと、いつも鈍い千敦の頭が珍しく良案を閃いた。


 我ながら悪くはない案だが、色々と欠点もある。多分1回しか使えないため、実行するには千敦とぴったり息が合うことが、最も重要視される。だから、作戦の相手に祐美を選んだ。


 「祐美!」

 「えっ? 千敦?」


 突然名前を呼ばれたため、驚きながらも千敦を見つめる祐美。千敦はただ見つめるだけ。距離が少しあるのと、何より作戦の内容をバラせないので、内容は一切言わない。おまけに戦闘中なので、見つめ合っていた時間は僅か数秒。


 それでも祐美は外さない。と千敦は確信を持った。


 千敦はフェンリルの長い爪を体を捻ってどうにかかわすと、斬りかかった。刃の部分を下に向け、ただの棒である柄の部分で。


 「バカか! あいつは!?」


 後方で朱梨の野次が聞こえたが、気にせずに千敦は柄の部分を振り下ろす。


 「何やってるんですか? もしかしてこの絶望的な状況に気でも触れました?」


 フェンリルは呆れた顔をしながらも、爪の間で柄の部分を受け止める。

 よし、かかった! と千敦は表には一切出さず、心の中で密かにガッツポーズした。オーディンを弾かれても攻撃を避けられてしまっても、この作戦は成功しない。爪の間で受け止めてもらうことが第1条件。


 「さて問題です。俺は一体何をやろうとしているんでしょうか?」

 「そんなこと分かるわけないじゃないですか!?」


 理不尽な質問にフェンリルから抗議の声が上がる。

 千敦はそれを無視すると、押さえつけられている柄の部分を軸にして、振り子の原理を利用して長い刃先で下腹部の辺りを狙う。けれども反対の爪で刃は受け止められてしまう。これで第2段階も成功。


 「もしかしてこれのことですか? この行動なら読めてましたけど」


 つまらなそうに溜め息を吐くフェンリル。その質問にも千敦は答えずに、オーディンを押し付けるように前に突き出す。


 「それでは……真後ろにいる松任谷祐美さんから、正解を発表して頂きましょうか!」


 フェンリルはすぐさまオーディンから爪を離し、右に飛ぼうとするが、オーディンの長いの柄が爪の間で引っかかり、ほんの少しだけ回避行動が遅れる。これで、千敦の考えた作戦の最終段階が完了する。


 「いっけぇぇぇぇぇ、祐美!」


 千敦が叫ぶ前に、祐美は既にトールを振りかぶっていた。槌の部分がフェンリルの頭を捉える。


 「ぐぎゃぁ!」


 フェンリルは思い切り廊下の床に叩きつけられる。


 間。


 ロキが笑いながら口笛を吹く。千敦は祐美に近づき拳を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る