第5幕 シーン2

 「そうか……高城らしいな」


 放課後、千敦がヴァルに行くと全員集合していたので、今朝うこと会ったときのことを話す。沙夜子と染谷先生は穏やかに微笑んでいて、かすみと朱梨は歯を見せて笑っている。そして、莉穂の目は優しい。


 ただ、とても優しい色をしているけれど、やはりその中にある悲しみの色は隠せない。特別な人を失った悲しみはそう簡単に癒せない。ということなのだろうか。千敦にはよく分からなかない。だから言葉もなくそっと拳を握ると、莉穂を見つめることしかできなかった。先程まで皆と笑い合っていた朱梨は、いつの間にか瞳を潤ませて今にも泣きそうになっている。


 「……阿部先輩って、本当に顔に似合わず涙もろいですよね」


 と千敦が口にした瞬間、瞳を潤ませた朱梨が早足に近づいてきたかと思うと、右足の脛辺りにローキックを入れる。


 「痛ってぇぇぇぇぇ!」


 さすが何とかの泣き所。あまりの痛さに千敦はすかさず床にしゃがみ込む。


 「お前……ふざけたこと言ったから蹴ったぞ」


 朱梨の鋭い眼光が千敦を見下す。


 間。


 「わざわざ過去形で言って頂き、あーざす!」


 朱梨は何も言わずに自分の拳に息を吹きかけると、千敦の頭目がけて振り下ろそうとしたが、直前のところでその辺にしておけ、阿部。と莉穂が止めてくれた。


 千敦は安堵して胸を撫で下ろす。けれどその微笑ましい日常は刹那的なもので、耳障りな警報音が部屋に鳴り響き、テレビ画面の一部が赤く染まる。


 一同が見つめる画面には、テレビに映りたがる野次馬のようにカメラ目線で笑いながら手を振る、見知らぬ子どもが1人。結婚式か入学式にでも出るみたいに、お洒落なグレーのジャケットを羽織り、白いワイシャツに白と黒のチェックのネクタイを緩めにつけ、下は同じく白と黒のチェックのハーフパンツを穿いている。


 「……火魅」


 そう莉穂が呟いたのを千敦は聞き逃さなかった。


 少年とも少女ともつかない中世的な顔立ちと、燃えるような真っ赤な短髪は、確かに火魅を連想させる。けれどもその子どもは小学校低学年くらいで、火魅とは10歳近く年が離れている。それなのに、千敦もその子どもを火魅だと思った。


 子どもがいるのは2階の南校舎、音楽室の近くの廊下。突然、莉穂が走り出す。染谷の制止も虚しく、莉穂の足はエレベータの方へ一直線に向かう。千敦も後を追って飛び込むようにエレベーターホールに入り、莉穂と同じものに乗り込んだ。ボタンを押す。ドアが閉まる。けれどエレベーターは動き出さない。


 「……だろうな」


 莉穂は短く溜め息を吐くと、天井を見上げて苦笑する。


 「止められてるんですか?」

 「あぁ」


 エレベーターはかすみが目的地を操作しているため、こちらからはドアの開閉くらいしかできない。莉穂の視線が天井から千敦へと移る。


 「……関岡。どうして一緒に来た」

 「いや、自分でもよく分からないんですよね。気がついたら副部長のこと追ってました」

 「そうか。だが、私の足に追いつくなんて大した奴だ」

 「足の速さにはちょっと自信があるんで」


 千敦は頭を掻きながらあはは。と笑う。


 間。


 「私は……あいつを、火魅を斬る」


 その言葉には一切揺るぎがなかった。莉穂の決心は固く、きっと迷いなく火魅を斬るのだろうなと思った。


 「止めませんよ、俺は」

 「……いいのか?」


 莉穂は怪訝そうな顔つきで千敦を見つめる。


 「別にうこの仇を取ってほしい、とかそうなんじゃなくて。副部長がもう心決めてるなら、どうすることもできないですから」


 火魅はうこを殺した。それは事実であり、許せることではない。ただ、千敦には火魅を斬る権利がない。そういうものに権利がいるかどうかはともかくとして、火魅を斬るのは莉穂が適任だと感じている。


 千敦の答えに莉穂が小さく笑うと、面白い男だな、お前は。とぽつりと呟いた。

 突然、エレベーターが大きく揺れる。


 「どうやらお許しが出たようだ」

 「みたいですね」


 千敦がそう言った途端、いつものようにエレベーターは一気に急上昇した。

 女子トイレからから出ると2人はすぐに音楽室に向かう。途中、莉穂が走りながら壁にグレープをつけていく。その見事な手際に感動しつつ、千敦は消火器を発見したので、オーディンを取り出しながら後に続いた。


 火魅らしき子どもはまだあの場所にいるだろうか。居てほしいような、居てほしくないような、正反対の気持ちが千敦の中でせめぎ合う。廊下の角を曲がる。音楽室の入り口が少し遠くに見えてくる。


 扉の前に1人の子どもがいた。


 「……やはり火魅か」


 程よいところで足を止めた莉穂が、子どもを見つめながら呟く。その表情からは落胆の色が滲んでいて、少し低い声から寂しさが透けて見える。

 肉眼で見たら一目瞭然で、姿は違えどあれは間違いなく室木火魅だった。莉穂がゆっくりと火魅との距離を詰めていく。


 火魅は楽しそうに口元を歪めてこちらを見つめていた。2人のちょうど真ん中辺りにある消火栓、もといニダベの前で立ち止まると、莉穂は胸ポケットからカードを取り出して側面に触れる。すぐに剣の塚が出てきて、莉穂はそれを掴んで引き抜くと、間髪入れずに火魅に向かって走り出す。塚を逆手の状態で持ちながら、剣の先端で勢い良く廊下の床を擦る。


 それはマッチに火をつける動作そのもので、突然剣が発火したように燃えた。莉穂のフレイは現在炎によって金色に輝いている。

 莉穂は反動をつけて剣を放り投げると、塚を両手で握り直す。そのまま突進して火魅の手前で大きく振りかぶる。前回は手のひらや指1本で止めていたが、さすがに燃えている状態ではできないのか、火魅は体を軽く横にずらしてフレイを受け流した。


 莉穂は再び火魅に切りかかるが、火魅は自分の右手を発火させてフレイを直接掴んだ。どうやら指輪がなくても火は出せるらしい。けれど、千敦が知っているのは赤やオレンジが混じった炎で、現在の血が変色したような赤黒く不気味な色をした炎は初めて見る。


 一触即発といった様子の2人。けれども、莉穂が睨みながらフレイで斬りつけているのに対し、火魅は表情は相変わらず飄々とした態度で受け止めている。


 「莉穂ちゃん、いきなり本気モード?」

 「……お前は痛みを知らない。だから、他人の傷を見て笑えるんだ!」

 「それ、確かロミジュリだっけ?」


 莉穂は火魅の質問には答えず、フレイを思い切り火魅に押しつけると、その反動で少しだけ後ろに飛ぶ。それから素早く逆手に持ち替える、腰の辺りに携える。


 「お前は私が斬る。そう言ったはずだ」


 声には一切迷いのない。


 「そういえば、そんなこと言ってたね。でも今はちょっとお話しない?」

 「断る!」


 言うが早いか、莉穂は居合い斬りのように素早くフレイで斬りつける。その体を捉えたように思えたが、斬った火魅の体は残像で、掻き消えると別の場所に現れる。


 「せめて自己紹介くらいさせてくんない? 」


 と呑気な台詞と共に、火魅はその真っ赤な髪を搔きながら音楽室の前で苦笑していた。先程いた場所から少し距離があるにも関わらず、どういう原理なのかは不明だが、瞬間移動みたいにして一瞬で飛んだらしい。


 「千敦!」

 「佐渡ヶ谷先輩、無事っスか!」


 突然聞こえてきた声に千敦が振り向くと、祐美、朱梨、沙夜子がこちらに向かって走ってくる。そのとき無意識にうこの姿を探してしまい、胸が強く締めつけられて苦しくなった。


 だが、逆にうこは戦いから開放されたんだ。とプラスの方向に考えることにした。うこはもう戦わなくていい。その分、俺が戦ってやる! と千敦は決意を胸に、オーディンの塚を強く握りながら火魅を見据える。


 「さてと……全員揃ったことだし。自己紹介しようかな」


 火魅はその場にいる全員の顔を見回すと、左足を後ろに下げ右手を胸に置く。


 「初めまして。俺はニヴルヘイムの王、ヘルの側近ロキ。以後、お見知りおきを」


 そう言って恭しく頭を下げる。少ししてから静かに顔を上げると口端を上げて笑った。その皮肉めいた言葉と顔つきは、やはり火魅を思い起こさせる。


 「火魅。それがお前の本当の姿なのか」

 「だからロキだっつうの! あと別にこれは本当の姿じゃないよ。本当の姿は色々とグロいからさ、ヘーちゃんが怖がるんで会議の結果これになっただけ」


 ロキは首を竦めると困ったように笑う。


 「へ、へーちゃん?」


 千敦が聞き慣れない名前に首を傾げていると、ヘル様って呼ばなきゃダメですよぉ。と気弱な声がどこからか聞こえてくる。

 千敦達が辺りを見回していると、ロキがいる所から程近い床に波紋が広まり、ゆっくりと何かが出てくる。

 それは明らかに、千敦達にとって有益なものではない。莉穂もそう思ったからか、慌てて波紋に駆け寄ったがロキに阻まれてしまう。


 「仲間を呼んだのか、火魅!」


 莉穂はフレイでロキに斬りつけるが、またも赤黒く燃えた手で掴まれてしまう。それからフレイを掴んで莉穂を投げ飛ばす。


 「だ・か・らー! ってもうどっちでもいいや。莉穂ちゃんさ、何か勘違いしてるみたいだから言っとくけど……今日戦う相手は俺じゃなくて、こいつだから」


 ロキは催促するように波紋の広がる床を足で数回叩く。


 「来んのが遅いぞ、バカワンコ!」


 ロキの催促に答えるように、犬のような白い耳が床に生え、その次に現れたのは土偶みたいな顔をしたトロールではなく、良い意味で予想を裏切って可愛らしい幼女の顔。小さな白い手が出てきたかと思うと、その手は床を掴んでまるでプールサイドに上がるみたいに、一気に体を持ち上げた。


 ロキよりも更に幼い、小学校低学年くらいの女の子が突如姿を現す。


 「バカワンコじゃありません! ちゃんとフェンリルって呼んでくださいよ、ロキ様ぁ」


 見た目はロキと同じく、白黒でフォーマルな感じなのは一緒だが、ロキのようにラフな着こなしではなく、上着のボタンをしっかりと止め、首元のリボンはきつそうなくらい固く結ばれている。


 クセっ毛なのか毛先が四方に散っている灰色の髪、頭の上には白い犬耳が生え、垂れ目下がり眉が特徴的な可愛らしい顔立ちの女の子だった。人見知りなのか、どこか怯えた顔つきで千敦達の方を見つめている。

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