第4幕 シーン4
「室木ぃぃぃぃぃぃぃ!!」
興奮した闘牛さながらに、朱梨は突進しそうな勢いで前のめりになっていたが、沙夜子が後ろから羽交い絞めにし、祐美は腰に抱きついて必死に行かせまいとしている。
「全く。言葉の意味知ってるなら、少しは疑えばいいのに……本当バカだな」
火魅は僅かに目を細めてうこを見つめる。でもそれは本当に一瞬のことで、火魅はすぐに声を出して笑い出した。
「ねぇ、そう思わない? 莉穂ちゃん」
歯を見せて笑いながら、火魅は勢い良く体を反転させる。莉穂は呆然とその場に立ち尽くしていた。その瞳はうこしか映っていない。
「いつかこうなるって分かってたんじゃないの? 莉穂ちゃんも染谷先生も、あと愛もか。なのに何もしなかった……だからこうしてバカを見るんだよ」
火魅は挑発するように鼻で笑う。羽交い絞めされながら朱梨が再び叫んで暴れる。だが、辺りの空気を一閃するように莉穂が火魅! と名前を呼ぶ。
「……なぜ高城を殺した?」
感情を押し殺したような、今まで聞いたことがない声で莉穂が問う。それに対して、火魅は得意げに笑って答えた。
「莉穂の泣き顔が見たかったから……なんてね。それともこいつのことが鬱陶しかった、みたいな理由のほうがいい?」
火魅は下唇を舌で舐めてから口元を歪める。
「戯言を聞く気はない!」
莉穂は長剣のフレイを構えると、火魅との距離を一気に詰める。火魅の首を目がけて袈裟斬りするが、火魅は指2本で剣先を挟んで止める。
「理由はただ1つ。面白い展開になりそうだから」
火魅が高らかに笑う。千敦は最初、莉穂が同期だから手加減しているのかと思ったが、塚を握る莉穂の手は微かに震えている。しっかりと力を込められているのが、すぐに分かった。
「何かあったらこの手で斬る。愛はそう決めていたよ、お前と初めて会ったときからな」
「へぇ……そうなんだ。それはちょっと意外かな」
「愛がいない今、私がこの手でお前を斬る!」
莉穂は後ろに飛んで一旦距離を空ける。けれど、すぐに間合いを詰めると、突き刺すように腕を伸ばす。火魅は手のひらで剣の勢いを止めていた。そして小さく笑うと剣を払い、逆に莉穂の懐に潜り込む。掌底を腹に叩き込むと、莉穂はその場から派手に吹っ飛ばされて廊下を転がる。
千敦の体は勝手に動いていた。2人の間に素早く割って入ると、睨むように火魅を見たままオーディンを構える。
「死ぬぞ」
火魅は笑っているが、対峙したときの威圧感は人間が出せるものではない。自然と千敦の手が震え出したが、強引に力で捻じ伏せた。痛みが走るほど、強くオーディンの柄の部分を握り締める。
「……死ぬとか死なねぇとか関係ねぇよ! 今は退けねぇだろ、男なら!!」
「バカだな、お前」
本当におかしそうに火魅が笑う。
「だってバカですもん、俺。それとも、室木先輩には天才に見えてました?」
「……いや見えないね。でも面白い奴だとはずっと思ってた。だから殺すには惜しい、俺は楽しいことと面白いことが大好きなんでね」
火魅は鼻を鳴らして笑うと、体が少しずつ廊下の床に沈んでいく。
「今日のところは退いてあげるよ。全員瞬殺してもつまんないし」
「待て、火魅!」
腹を抑えながら莉穂が火魅に駆け寄ったが、寸前のところで間合わせず火魅は完全に床に沈んでしまう。火魅がいなくなると、恐ろしいほどの静寂が廊下を支配する。立ち尽くす千敦達と、大量の血を流して倒れているうこだけが残された。
千敦は静かにうこの傍らに膝をつく。離れてたところから見ていたときは、まだ息があるんじゃないかと微かな希望を抱いていた。けれど、近寄って確実に息をしてないことを知ると、無情な現実に胸を掻き毟りたくなる。
うこの顔は愛のときのように異様に白くて、完全に生気を失っていた。
千敦はおずおずと手を伸ばしてうこの頬に触れる。冷たかった。
「……死んで……るんだよな?」
震える声にゆっくりと顔を上げると、人目も憚らずに涙を流している朱梨が目の前にいた。祐美は壁に寄り掛かって口に手を当てながら嗚咽を漏らしている。千敦ははい。と言いたかったが、黙っていた。
答えてしまったらうこの死を認めてしまう。それが、怖かった。
「くそっ!」
莉穂が火魅が沈んでいった、今はもう何もない廊下の床を拳で殴る。
「なんで……なんで……なぜ高城を……どうしてこの子なんだ!!」
震える声で叫びながら、何度も何度も床を殴る。莉穂の目から自然と涙がこぼれ落ち、皮が剥けたのか拳は赤く染まっていた。再び床を殴ろうと、莉穂は高く腕を振り上げる。けれどその手は床を殴ることは出来ず、腕を掴まれたため空中で止まっていた。
「もうやめてください、副部長……それ以上すると、手を傷めます」
静かな声で莉穂を諭す沙夜子。その声は届いていないのか、莉穂は床を殴ろうと強引に下に降ろそうとする。
「佐渡ヶ谷先輩!」
珍しく沙夜子が声を荒げる。ようやく声が届いたのか、腕の力が抜けて莉穂の手が床に投げ出される。莉穂の瞳は焦点が合っておらず、光のない瞳でずっと高城。とその名を呟いていた。沙夜子は深い溜め息を吐き出すと、間髪入れずに莉穂の頬を平手打ちをする。
「勝野先輩!?」
予想外の展開に千敦は思わず声を上げた。沙夜子は膝を曲げて莉穂としっかりと目線を合わす。そして、真っ直ぐ目を見つめながら口を開く。
「しっかりしてください!……高城はこんな情けない佐渡ヶ谷先輩なんて、絶対に見たくないと思います」
莉穂は何も言い返さなかった。が、言葉はしっかりと胸に届いたらしく、僅かながら瞳に光が戻ってくる。
「……すまない…………いや、助かったよ。勝野」
目に光を取り戻した莉穂は立ち上がると、うこの亡骸に集う千敦達を見つめる。
それからスカートのポケットに忍ばしたギャルを取り出すと、ヴァルにいる染谷に連絡を入れる。
「染谷先生…………申し訳ありません。現状はそちらで見て頂いた通りです」
現状報告をする莉穂の声は冷静さを取り戻していた。
『いえ、謝るのには私の方です。完全に私の采配ミスでした。あのとき佐渡ヶ谷さんではなく、高城さんを応援に行かしていれば……』
「いえ、全ては私の実力不足と甘さが招いた結果です」
『……佐渡ヶ谷さん、そして皆さんも。どうか、あまり自分を責めないで下さい。責めるのであれば、どうか私を』
染谷の声はとても優しかったが悲痛の色は隠せていなかった。千敦はうこを見つめながら唇を噛む。
『とにかく高城さんの遺体は保健室へ。佐渡ヶ谷さんは一旦ヴァルハラに帰還してください。申し訳ないのですが、後の皆さんで現場の処理をお願いします』
「了解しました。皆に伝えておきます」
そう言って莉穂は会話は終了させると、すぐさま千敦達に指示を出す。
「……関岡。高城を保健室まで連れて行ってもらえるか? 中で中島先生が待っているだろうから、後は任せて構わない」
「分かりました」
千敦はうこを一瞥した後でしっかりと頷いた。
「私は一度ヴァルハラに戻る。申し訳ないが、残りの3人でこの場の後処理をお願いできるか?」
「分かりました」
祐美も朱梨も泣き腫らして答えられる状態ではなかったので、代表して沙夜子が頷きながら答える。
「それじゃ頼んだぞ」
と言って莉穂は千敦の達に背を向けて歩いていく。その背筋はしっかりと伸びていて、堂々とした立ち姿は見惚れるほど綺麗だった。
「……関岡君。高城さんのこと、お願いします」
莉穂の後姿をしっかりと見届けた後、沙夜子は臍の前辺りで軽く手を重ね、千敦に向かって深々と頭を下げる。
「はい」
千敦も大きく頷いて返すと、3人に手伝ってもらってうこを背負う。血は既に止まっているが、傷口などについた血で背中が濡れるのが分かった。千敦は奥歯を強く噛み締める。軽いはずなのに、押し潰されそうなほど重く感じたけれど、止まっていられないため大きく1歩を踏み出す。
「武器は後でカードにして返すから」
「了解です。それじゃ、また後で」
千敦は3人に軽く会釈すると、うこを背負いながら保健室へと向かった。不幸中の幸いというべきなのか、今いる場所から保健室へは、階段を降りるだけなので然程遠くない。おまけに下校の時刻が近いからか、辺りに人気はなかった。
うこが怪我しているのは、傍から見ればすぐ分かることなので、朱梨のグレーのベストを申し訳程度に上から掛けてくれた。とはいえ、うこの知り合いに見られでもしたら間違いなく心配されるので、千敦は誰にも見られないように早足で廊下を進んだ。慎重に階段を降りると少し先に保健室が見えた。
「……かすみ先生」
ドアが開けられないので千敦が声をかけると、駆け寄ってくる足音がして戸が開く。かすみの目元は僅かに赤く腫れていた。
「悪いんだけど、高城をそのままベッドまで運んでもらえる?」
「分かりました」
千敦は言われるままにベッドまで運ぶと、背を向けてうこを静かに降ろす。今更ながらお腹に開いた傷跡が痛々しい。うこから目を逸らすと、これに着替えて。とかすみに新しいワイシャツと制服を手渡された。
「着替えですか?」
「うん……それ、血ついちゃってるから」
改めて後ろに顔を向けると、キャメル色のセーターが赤く染まっていた。これが全てうこの血なのかと思うと、胸が締め付けられて息苦しくなる。千敦は部屋の隅へ移動すると、今着ているものを脱いでTシャツと下着姿になり、その上に新しいワイシャツを羽織る。そのとき不意にあることが頭を過ぎる。
「……部長が死んだときも俺に新しい制服を着せたんですか?」
「そうよ。あのときの関岡、結構返り血浴びてたから」
「…………そうですか」
「あのときは本当に焦ったよ」
そう言ってかすみは笑ったが、その笑みはいつもと違い、どことなく物悲しさを感じる。千敦は夏服のズボンに足を通す。
「ご迷惑おかけしました」
千敦も釣られて笑ってみたが、あまり上手く笑えた自信はなかった。
僅かな沈黙。
「うこも……生き返るんですよね?」
愛が生き返ったのにうこが生き返らないはずがない。分かってはいたが、気になったのでつい問いかけてしまった。かすみは呆れたように顔を顰める。
「当たり前でしょ。多分1時間もしないうちに傷口が塞がって、何もなかったかのように目を覚ますわよ」
口では平静を保っているが、その目は微かに潤んでいた。千敦は見ていられなくて顔を俯ける。
「そうですか……なら、良かった」
嬉しいはずなのに声が震える。途端に胸に熱いものが込み上げてきて、千敦は素早くかすみに背を向けると唇を噛み締める。少しでも気を緩めると、この場で泣いてしまいそうだった。
「俺、ヴァルに戻りますね」
なるべく明るい声で宣言すると、千敦はかすみの返答を聞く前に保健室を飛び出した。ヴァルに戻る気にはなれなかった。かといって、色々と後始末をしているであろう、現場に戻る気にもなれない。
千敦はしばらくの間、当てもなく校内の廊下を彷徨っていた。ぼんやりと歩いていたせいか、曲がり角で誰とぶつかってしまう。
「す、すいません! ちょっとぼーっとしてて!」
千敦はすぐに謝りながら顔を上げる。
その瞬間、固まった。
神様という奴は相当意地が悪い性格らしく、千敦の目の前には額を押さえてこちらを睨む愛がいた。ぶつけたのか軽く額を押さえている。
「…………ぶ、ちょう」
「もうっ! 曲がり角は気をつけないと危ないよ?」
「は、はい……」
「っうかさ、関岡大丈夫?」
愛は心配そうな顔つきで千敦の顔を覗き込んでくる。顔の距離が近いことと、言葉の内容に肩が跳ねた。
「別に大丈夫ですけど」
「 そう? 社会の窓が全開だよ」
と言って愛は千敦の下半身を見つめながら指さす。ちょっと! 早く言ってくださいよ。と文句を言いながら、慌ててズボンのチャックを上げた。
「っうかさ、なんでそんなひどい顔してんの? 明日でこの世界が終わるわけでもないのに」
千敦を激励するように、肩を思い切り叩いてから愛が笑う。
痛かった。胸が軋むように痛んで苦しくなった。愛が生きていてあの場に居たら、うこを死なせずに済んだのかもしれない。ちゃんと守ってくれたかもしれない。愛の武器であるオーディンを引き継いだけれど、千敦には守れなかった。ただ、呆然と見つめることしかできなかった。
結果、うこを死なせてしまった。
千敦は無意識のうちに愛の肩を掴んでいた。想像していたよりもずっと華奢で、それなのにちゃんと他の部員達を守り、千敦を守って助けてくれたのだと思うと、細い肩を掴む手に力が入ってしまう。
「痛っ!」
愛が顔を顰める。千敦はまた何かを言いたくなったが、喉元まで出かかっているのに言葉にならない。もどかして奥歯を噛み締める。
「関岡、本当に大丈夫?」
と千敦を気遣う愛の声が下のほうから聞こえてくる。言いたいのに何も言えない。まるで、あの愛が死んだ日を再現している気分になる。
「すみませんでした!」
千敦は静かに愛の肩から手を離すと勢い良く頭を下げる。
「……あんまり無理しないほうがいいよ」
再び心配そうな顔つきで千敦を見つめ愛。唐突に千敦の視界が歪む。愛の姿がぼやけて滲んだ。千敦は慌てて真顔を横に向けると、走って愛の元から逃げ出した。泣き顔は愛には見せたくなかった。
千敦はそのまましばらく校内を走り回った。どこをどう走ったのかなんて全く覚えていない。息はひどく乱れていたし、足の裏が疲労からか鈍く痛む。それでも止まれなかった。
止まったらきっと泣いてしまう。
けれども廊下の角でまた誰かとぶつかってしまい、その反動で体が吹っ飛ばされて強制的に足を止める。顔を上げると須藤が驚いた顔して突っ立っていた。相手が女の子じゃないことに安心したものの、安心するのは微妙な気がして苦笑した。
「……千敦かよ。たっく、廊下は走るなって先生に教わらなかったのか?」
須藤は呆れたように頭を掻きながら呟く。
「それな。すっかり忘れてたわ」
「お前なぁ……」
呆れている須藤を尻目に、千敦は静かに長く息を吐き出す。その息は微かに震えていて、おまけに少しだけ熱を孕んでいた。
長い間。
「なぁ…………須藤は、もしも自分の大切な人が死んだらどうする?」
「そりゃ泣くだろ、普通」
「それじゃ友達が死んだら?」
「それでも泣くな」
「じゃぁ…………俺が死んだら、泣くか?」
「泣くよ。当たり前だろ」
と須藤は平然と答えた。またも千敦の胸に熱い何かが込み上げてくる。今度は堪えられそうになかった。
「……そうか」
震える声で呟くと、千敦は頼りない足取りで須藤の目の前まで行き、その厚い胸板に頭をつける。
「ちょっとでいいから……お前の胸貸せや」
「……あぁ」
須藤は何もかも分かっているかのように、特に驚きの声を上げることはなかった。千敦は須藤に胸を借りて泣いた。子どものように声を上げて泣いた。こんなにも泣いたのは、小学生以来な気がする。
須藤は千敦の頭に無骨な手を置くと、しばらくの間何も言わなかった。
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