第3幕 シーン4
それから3匹? 3体? と数え方は分からないが、同様のやり方で千敦はトロールを倒した。途中かすみから連絡があり、別の場所へと走って移動したが、そこで出現した5体をうこと莉穂が倒したところで、タイミング良く18時のチャイムが鳴り響く。
今日の戦闘はこれで終わり、ということなので千敦達は一旦ヴァルに戻った。戻る途中に莉穂が教えてくれたのだが、トロールの出現回数は日によってまちまちで、今のところ最大で1日5回。一度の戦闘も10体程度しか出てこないという。今日は比較的少ないと言っていた。
また、トロールの出現する時間帯は、詳しく解明できていないものの、今までの出現した記録をまとめた資料によると、学校が下校の時刻になる18時と敵は出てこなくなるらしい。なので18時のチャイムをもって、アースガールズの密かな活動は終わる。そして翌日、どんな早くても出現するのは14時以降で、早朝やお昼頃に出現したケースは今までない。
親切設定というか何というか、千敦としてはいつ敵が攻め込んでくるか分からない。という緊迫した現場を想像していた。が、現実は定時に仕事が終わるサラリーマンのようで、素直に喜べなかった。
ヴァルに戻ってから染谷が補足してくれたが、昔はこれよりも更に出現する時間帯が短かったという。元々トロールを地上に出てきて倒す、という一連の流れ自体が談合というか、全て形式のようになっていたらしい。毎日2、3匹を夕方くらいにトロール出すから倒しておいてね。というほど緩くはなかったと思うが、とにかく今よりもトロールの出現数は少なく、時間帯も16時~18時と短かかったようだ。
なので導かれる=戦いで死ぬことも殆どなく、かなり緩い活動だった。けれどここ3年くらいから突然やり方が変わってきて、現れるトロールの数も増え、時間も割とランダムになってきたという。
「……社長でも変わったんですかね?」
「はははっ、なかなか面白いことを言いますねぇ」
染谷は穏やかに笑っていたけれど、その顔は不意に心配そうな表情へと変わる。
「そういえば、関岡君は今日怪我とかはしてませんよね?」
「はい。かすり傷1つ負ってませんよ」
千敦の武器は槍なのでリーチが長いため、敵との距離がかなり開く。初回はビビって敵との距離をかなり開けて攻撃したが、多少距離を詰められても怪我をする確率は低い。
「何かあってからでは遅いので、一応先に怪我をした場合の処置について教えておきますね。松任谷さん、関岡君を【戦士の休息所】(ギムレー)へ案内をしてもらってもよろしいですか?」
「は、はい!」
染谷の言葉に1人中央の椅子に座っていた祐美が慌てて立ち上がる。
祐美は確か朱梨や沙夜子と一緒に組んで戦っていたはずなのだが、千敦が戻ってきたとき既に2人の姿はヴァルになかった。もしかしたら、先に帰ってしまったのかもしれない。
「はぁ……やっと開放された!」
祐美が指名されると、大して仕事をしていないうこが大げさに溜め息を吐き出し、目の前の机に突っ伏す。
「うこは何もしてないだろうが!」
「はぁ? めっちゃ色々教えてあげたじゃん!……もういいよ! サド先輩、途中まで一緒に帰りましょ?」
「えっ? あ、あぁ……私は別に、構わないが」
本人は平静を装っているつもりなのかもしれないが、莉穂の顔はかなり嬉しそうで口元も緩んでいるし、おまけに声も上擦っている。莉穂が頷くのを見るやいなや、うこはその手を取ってエレベーターホールに向かって小走りで行ってしまう。
どうやらうこを怒らせてしまったらしい。ちょっと言葉が悪かったかなぁ。と、千敦が内心反省していると、突然後ろから服を引っ張られた。
顔だけ後ろに向けると、つまらなそうな顔をしている祐美と目が合う。
間。
「……何だよ、その顔」
「……別に。それよりギムレーに行くから早く来て」
「そもそもギムレーって何だよ。キャバレーのお仲間なら、走って行きたいところだけど」
祐美は深い溜め息を吐くと、すぐさま千敦に背を向ける。それから早足に1人で行ってしまうので、千敦は慌てて後を追いかけた。エレベーターホールがある方とは反対側の扉から出ると、長い廊下が広がっていた。その脇にはいくつかの部屋があり、研究室や模擬戦闘できる場所があるのだと祐美が教えてくれた。その部屋の中の1つが、染谷の言っていたギムレーというやつで、怪我をしたときに治療してくれる場所だという。
「へぇ、そんなものもあるんだな」
「やっぱり命掛けの仕事だからね。それに、戦闘で傷したまま家に帰るわけには行かないし」
確かに。と祐美の言葉に千敦は納得する。
娘が生傷や痣を作って学校から帰ってくるのが増えたら、普通の親はイジメを疑うだろう。それに女の子に生傷作らせるのもちょっと、という染谷とかすみなりの配慮があるのかもしれない。
「部屋の中には3つ機械があって、その機械がギムレーなんだけど、1つでも使ってたらドアの前にあるランプが緑色に点灯するようになってるから、緑になってたら千敦は絶対に入らないように!」
さすがは幼馴染みというところか、千敦の行動を先読みされて釘を刺されてしまった。怪我をしていたら上半身や下半身は脱いでいるかもしれないので、せっかくのラッキーエッチシーンが減った。千敦が落ち込んでいると、今回はランプが点灯していなかったので祐美は扉の開閉スイッチを押す。
扉が開くと予想外すぎる展開が千敦達を待ち受けていた。なぜそうなったのかは全く想像がつかないが、とにかく1台の機械の側面に朱梨が沙夜子の体を押し付けている。
おいおい誰得だよ! と、一瞬思ってしまったことは、千敦の心の奥底にしまっておくことにした。これが仮に莉穂と沙夜子だったら、もうちょっと胸熱だったかもしれない。
「……沙夜子」
「……朱梨」
手を握り合い見つめ合う2人、と言えば聞こえはいいが、やってることはどっからどう見ても女子プロか女子レスリングの試合だった。互いに押し合っているからなのか、しっかりと握り合った手が2人の間で止まっている。千敦が帰ったと思っていた2人は、どうやらここで何かをしようとしているらしい。
「早くギムレーの中に入れよ、沙夜子!」
「私なら大丈夫……朱梨は頑固だね」
「お前ほどじゃねぇよ! それにこっちは心配して言ってやってんだよ!」
「上から目線だし、余計なお世話」
両者とも1歩も引かず、しばらく膠着状態が続いていた。とりあえず千敦達の存在は完全無視されている。と、思っていたのだが、沙夜子は2人の存在に気づいていたらしい。
「……というか、この状況を他の人に見られたくないのだけど」
「へっ?」
沙夜子の言葉に、間の抜けた声を発した朱梨が千敦の方に顔を向ける。
「うおぉぉぉぉぉい!! ちょ、ちょ、ちょっと! バカ! 入ってくるなら、ノックくらいしろよな!」
「このドアでノックできるか!」
千敦はツッコミを入れながら部屋の扉を指差す。ヴァルの扉はどれも金属製なので、ノックをしたら絶対に手が痛い。
朱梨は相当恥ずかしかったのか、悪態を吐きながらも呆気なく沙夜子から離れた。
「クソっ! マジで恥ずかしいんだけど……関岡、後で殴らせろ」
「いや、意味が分かんないですから。それに、俺らの方だってめっちゃ反応に困ったんですけど」
「阿部先輩、何があったんですか?」
祐美の問いかけに朱梨は顔を俯けて口を噤む。助けを求めるような視線を千敦に向けてくる祐美。どうにかしてよ。と、不安げな猫目と表情で圧力をかけてくる。
個人的な問題なら千敦達が立ち入るべきではないだろう。そうはいっても、気になるので、千敦はちょっと本気出して頭を回転させる。
「……俺は、阿部先輩が黙ったままでも構いませんよ。でもその代わり、今夜2人でめっちゃ妄想しますけどね!」
そう言った瞬間、ものすごいスピードでこちらにやってきた朱梨に千敦は腹を殴られた。体が1mは浮きそうなくらい、本気で。
「ぐほぉ!」
千敦はたまらず床に崩れ落ちる。
「千敦の馬鹿! 本当に馬鹿! サイテーなんだけど!」
「……右に同じ」
「てめぇ、校庭に埋めるぞ。マジで」
祐美は分かりやすく本気で怒っていて、沙夜子の軽蔑を込めた冷たい視線と、朱梨の怒りと呆れたのが混ざった恐ろしい形相を向けられる。どれも千敦の身を縮こまらせるのに十分で、とりあえずその場で土下座した。
少ししてから朱梨は小さく溜め息を吐くと、関岡に変な妄想されんのは勘弁だから話すよ、とぼそりと呟く。
「へっ?」
「大したことじゃねぇんだけどよ……沙夜子、さっきの戦闘で少しだけ怪我しててさ、だから無理言ってギムレーの中に入れようとしたんだよ」
十分大したことでしょ! と叫んで、千敦は急いで立ち上がると沙夜子を見つめる。祐美も沙夜子の傍に寄って心配していた。
「大丈夫なんですか? 勝野先輩。というか、いつの間に怪我してたんですか?」
と言って沙夜子の体をあちこち見回す。確かに祐美の言うとおり、3人は同じチームなので、怪我していれば祐美も気づいているはすだった。
「だって、怪我と言ってもこれだから」
沙夜子は千敦達に自分の手の甲を見せる。すると、赤ペンで書かれたような赤い線が1本。少しだけミミズ腫れになっている。
「怪我って…………もしかしてそれですか?」
「うん。これぐらい大丈夫だって言ったのに、朱梨が聞いてくれなくて」
困ったように笑う沙夜子。朱梨は照れているのか、耳たぶが異様に赤くなっている。本気で照れている姿に千敦の胸が高鳴る。けれどそんな自分が信じられなくて、何回か胸元を撫でてしまった。
「だってよぉ……こいつ肌白いから、傷とかつくとすんげぇ目立つんだよ」
「勝野先輩って本当に肌が白いですもんね」
沙夜子はまさに雪のように白い肌をしていて、胸近くまである長い黒髪と綺麗に切り揃えられた前髪から日本人形を連想させる。顔立ちも和風系なので、千敦の中で着物を着せて肌蹴させたい女子NO1だった。
「ありがとう…………それより、関岡君達がここに来たということは、怪我でもしたの?」
「いえ、ここに来たのは染谷先生に頼まれたからなんです。何かあったときでは遅いからって」
「……そう。それなら実際に見てもらったほうがいいだろうから、ギムレーに入るわ」
沙夜子はそう言うと、さっきまであんなに拒んでいたのに、あっさりと機械の中に入った。その傷を治すというギムレーという機械は、見た目は日焼けサロンにある肌を焼くそれに似ていた。千敦は実際に行ったことがないので、あくまでテレビで見た程度の知識なのだが、ベッドのようになっている平らな部分と、その上を覆う半月型の天井部分全てに蛍光灯らしきものがつけられていて、そこから淡い黄緑色の光が発せられている。
ちなみに、日焼けサロンの場合は光が青白かった気がする。ともかく沙夜子は平らな部分に横たわると、自分の頭の横にあるボタンを弄る。
何でも怪我の状態によって光の照射時間が変わるとのことで、今回のような小さな傷なら、大体3分もあれば綺麗に治ってしまうらしい。沙夜子が機械を作動させたからか、突然鈍いモーター音が鳴り響く。そして黄緑色の光が少しだけ強くなって、沙夜子の細身の体を淡く照らす。
千敦はその細身の体をしっかりと目に焼き付けた後で、手の傷に注目する。少しずつではあるが、傷が治って消えていくのが見えて、思わずおぉぉぉぉ! と感嘆の声を漏らしてしまう。
「マジすげぇ! 何これ!」
「スゲーはスゲーんだけど、あんまり重症だと治せないんだよ、こいつ」
「そうなんですか?」
「あぁ。こいつはあくまでも自己治癒力を増幅するものだからな。できることには限界があるんだと」
骨折や切り傷、刺し傷でも治してくれるようだが、手や足を失ってしまった場合や、胸を撃ち抜かれたような致命傷を受けた場合は、さすがに元に戻すことはできない。と朱梨が教えてくれた。この機械に入る前に生きていることが大前提なので、死んでいたり瀕死の状態では回復が望めないようだった。
もう少し軽症だったら、愛もこの機械で助かったんだろうか。ふとそんなことが千敦の頭を掠めて、自然と自身の拳を強く握り締めてしまう。
「戦いじゃ絶対に気を抜いちゃダメだって、部長がよく言ってた」
治療が終わったのかいつの間にか沙夜子がすぐ横にいた。
「部長がですか?」
「あぁ、よく言ってなぁ。あぁ見えて部長、戦闘に関してはすごく慎重派だったからさ」
「……それなのに、誰かが危なくなったら平気で自分は無茶するんですよね。アースガールズになったばかりの頃、宮島さんがいつも庇ってくれました」
祐美も朱梨も沙夜子も、どこか寂しげに瞳を伏せている。
この3人は、というより千敦がアースガールズになる前に活動していたメンバーは、当然だが愛の活躍を知っている。千敦の知らない愛の姿を知っている。そのことが今は少しだけ悔しかった。
「いつも先頭に立って私達を守ってくれるのに、誰も怪我しないようにって注意ばかりして。言ってることとやってることがバラバラで……それなのに、心は全くブレてない人だった」
沙夜子が悲しそうに笑う。そんな風に笑うところを千敦は初めて見た。感情をあまり表に出さない沙夜子だが、感情がないというわけではないし、やっぱり悲しい気持ちはみんな同じなんだと改めて感じる。
「特に朱梨のことを1番心配してた。まぁ、1番怒られてもいたけど……」
「うっせぇよ!」
「だって、朱梨はすぐ無茶するから……部長はすごく心配してたんだと思う」
ここにいる皆は一度死んでも生き返ることができる。つまり死んでもゲームオーバーにはならない。要は1機残ってたら、気を抜いて舐めプしてしまう。そういうことなのかもしれない。随分とスケールの違いはあるけれど。
でも確定はしていないが、千敦にはその残り1機がない。死んでしまったら普通の人と同じように人生が終わる。今までそれが普通のことだったのに、いざ戦うとなると怖じ気づいてしまう。
「……死なないように卒業まで戦い抜く。俺達にはそれしかないんですね」
「そういうこと」
「あーあ……今更言うことじゃないけどよぉ、なかなかキツいよな」
「ですね」
長い沈黙。
当然と言えば当然なのだが、戦いの話になると明るい話題ではないからか、どうしても暗い雰囲気になってしまう。ここにうこでもいれば、バカみたいなことを言って明るい空気に変えてしてくれるのかもしれないが、残念ながらこの場にはいない。だからここは俺が盛り上げるか! と思っていたら、意外にもその役を祐美に取られてしまった。
「し、沈んでてもしょうがないじゃないですか! ここはみんなで帰りにパーっと、牛丼屋にでも行って買い食いしましょ!」
祐美は目を輝かせながら嬉しそうに千敦達を誘ってくる。
「なんで牛丼屋?」
「……チョイスが不明」
「普通はマッケとかミセドじゃないか?」
盛り上がりはいまいちだった。というか完全に空回りしていた。祐美のことだから、今まで友達と買い食いとかしたことがないに違いない。それは真面目な優等生だからというのもあるが、単にお金がないからだと思う。そういえば幼い頃、祐美と駄菓子屋に行くと、大抵うまか棒か5円チョコの2択だった気がする。
「そ、それじゃぁ…………マ、マ、マッケかなぁ」
多少安いチェーン店を選んだ祐美は笑っていたが、作り笑いだったので口の端が不自然に震えていた。だが、今日は沙夜子が家の事情で早く帰らないといけないらしく、買い食いの話は流れてしまった。
明らかに祐美は安堵していたが、そこは見なかったことにしよう。と千敦は心に誓う。それから4人は帰るため、ギムレーから出ると一旦ヴァルを経由し、エレベーターに乗って昇降口に1番近い女子トイレへ移動する。
多少慣れてきたけれど、男子が女子トイレから出入りするのは、やはり良い気分ではなかった。そのまま4人は昇降口へと向かう。
蛍光灯が灯っているとはいっても、薄暗くなった廊下は少し気味が悪い。と思っているのはどうやら千敦だけらしく、女子3人は気にする様子もなく会話に花を咲かしている。
さすが普段から化け物を相手にしているからか、男の千敦よりもよっぽど肝が据わっている。何だか自分が情けなくなってきたが、怖いものは怖いのだから仕方がない。
非常口の緑色のライトと消火栓がある場所を知らせる赤いランプは、異様に明るすぎて逆に不気味に見えるけれど、消火栓や消火器入れの通称ニダベから、自分達は武器を出して戦っている。それなら少しは感謝するべきか。と思い、千敦は前を消火栓の前を通り過ぎるときに、赤いランプ部分を軽く撫でてやった。
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