第4幕

第4幕 シーン1

 こうして千敦の二重生活が始まった。


 二重生活と言えば、もっとリスキーでほんのりエロチックな香りが漂うもの、というイメージを勝手に抱いていたが、千敦の二重生活は半端なく体力が必要されるため、体育会系の汗臭い香りしかしない。


 朝、学校へ行って適当に勉強し、ご飯を食べてまた勉強。その後は楽しい部活という流れに戦闘が入ったことにより、千敦の生活リズムは一変した。

 勉強の間に教室を抜け出して、消火器、もといニダベから武器を取り出してトロールを倒す。そしてまた教室に戻って勤勉に励む。休み時間の場合もほぼ以下同文。トロールが出る時間はまちまちなので、ゆっくりできるときもあるのだが、気が抜けないため休んだ感じがしない。


 一番辛いことは、午後の授業中に出動する場合はあまり時間が取れないので、効率的に戦闘をこなさないといけない。戦闘が1日1回なら楽なのだが、多いときは3回くらい戦うする。


 そう、1日3回以上するのは辛い。そういうことだ。


 ともかく、最初のときみたいにヴァルに寄ってから現地に行くときもあれば、女子トイレなどの入り口を経由して、現地近くの出入り口に直行させてくれるときもある。基本的に後者の場合が殆どで、トロールを倒したらなるべく急いで教室に戻なくてはいけない。一応トイレに行くという名目で教室を出ているので、長すぎるとイメージの悪化に繋がる。


 戦闘は土日も普通にあるので、週7日の登校となると体力的にもかなりキツかった。それに、突然ポケットに入れてあるギャルが震えると、慣れるまで肩がビクッ!と跳ね上がる。


 千敦が初戦闘からまだ2週間が経った程度なので、未だに驚いてしまうときがある。そういえばこの前須藤に、お前尻に何か入れてるのか? と疑いの目を向けられた。とりあえず有無を言わさず頭を殴った。


 それに、トイレと言う理由で教室を出るものの、1日3回も同じ理由だとさすがに不自然だった。トイレに行き過ぎるからか、下痢岡げりおかとかいう不名誉なあだ名を頂きそうになったので、最近はトイレを控えてどうにか上手く誤魔化している。さすがに男子でも下痢岡は厳しい。


 「ぷっ! そんなこと言ったら、うこなんてもっとひでぇから」


 戦闘が終わりヴァルに戻って一息ついていた千敦は、話題の1つとして変なあだ名をつけられそうになった話をした。すると、朱梨が笑いを堪えながらうこの名前を出す。


 「あべせん! その話は待った!」


 話を聞きつけたうこが慌てて朱梨の元に駆け寄る。


 「なぁ。うこがなんでうこって呼ばれてるのか、教えてやろうか?」

 うこにコブラツイストをかけながら、千敦に向かって得意げに笑う朱梨。その笑みに千敦は邪悪さを感じる。


 「……うこはうんこの略だ」


 長い沈黙。


 「へっ?」

 「えっ?」


 朱梨の言葉が理解できなくて、千敦とたまたまその場にいた祐美は間の抜けた声を上げる。


 「だからうこはうんこの略なんだよ。でも女子にうんこは可哀想じゃん? だから縮めてうこになったってわけ」

 「いや意味が分からないんですけど」

 「…………それって、イジメじゃないんですか?」


 もしかしてそうなの? と、どこか不安そうな視線でうこに向ける祐美。


 「そ、そういうんじゃないから!」


 両手を激しく左右に振って慌てて否定するうこ。


 「いやぁ、戦闘で授業を抜けるときにずっとトイレに行くって言ってたんだけどぉ、いつも帰ってくるのが遅いからか、いつの間にかかそう呼ばれててさ。っていうか4月の終わりにはそう言われてたかも」


 うこは大して気にしていないのか、えへへ。と能天気に笑う。うこは明るくてノリが良いから、雰囲気的にからかいやすい子で、多少ひどいことを言っても傷付かない感じがするのは分からなくはない。とはいえ、まさかうこの意味がうんこだなんて思ってもみなかった。うこがうんこの略だなんて。


 「悪かったな……気軽にうこなんて呼んじゃって」

 「いいよ、いいよ! もう慣れちゃったから全然気にしてないし」


 まぁ、あんまり広まってほしくはないけど。と言葉を続けながら歯を見せて笑ううこ。千敦の顔を見上げながら笑ううこは可愛くて、でもどちらかというとそれは小動物的な可愛さで、千敦は犬を撫でるような感覚でうこの頭に手を伸ばす。

 けれども頭に触れる直前で手は止まった。止まったというか、止まらざるおえなかった。


 「痛ってぇ!」


 背中に激痛が走ったので勢い良く後ろを振り返ると、なぜか祐美が千敦の背中を思い切り抓っている。


 「何すんだよ! 祐美!」

 「……別に」


 祐美は手を離すと顔を真横に向ける。その顔はどことなく不機嫌そうだった。顔を逸らしまま祐美が口を開く。


 「だって千敦が――」


 言葉は警報音によって遮られた。一同は一斉に画面を見ると、一部分が赤く点滅している。そこはさっき千敦達が戦っていた場所だった。また新しいトロールが出てきたのか、もしくは見逃していたのかもしれない。


 18時近くなのでもうこれ以上敵は出ないだろうと判断した染谷は、かすみと莉穂を引き連れて会議に行ってしまった。そのため、この場に司令塔となる人はいない。沙夜子は家の都合で今日は早めに帰宅してしまった。一瞬間ができたが、千敦はすぐさま我に返る。それから俺が行ってきます!と高らかに 宣言する。


 「ち、千敦?!」


 戸惑いの声を上げる祐美。


 「祐美は染谷先生達を呼んできてくれ。先輩、エレベーター動かせますか?」

 「多分いけるはず。失敗したらごめんな」

 「できれば失敗しないでほしいんですけど……」


 と朱梨とやりとりを交わしてから、エレベーターホールに向かって走り出す。


 「うちも一緒に行くよ!」


 一応教育係だからなのか、千敦の後にうこが続く。そうして2人で現地へと向かうことになった。エレベーターは無事起動し、女子トイレから出る。


 トロールが出現したのは2階の家庭科室付近なので、角を曲がった廊下の突き当たりにある。うこは走りながら人除けのグレープを壁に貼り付ける。千敦はトロールを目視できる範囲にはいなかったので、千敦は尻ポケットからカードを取り出すと、丁度近くにあった消火栓、もといニダベの側面にカードで触れる。


 「あらよっと!」


 さすがに2週間も毎日やっていれば手慣れたもので、武器であるオーディンを取り出すと、長い槍を肩に担ぎながら廊下を走る。


 ちなみに、この槍のオーディンだが、戦闘が終わってから消火器や消火栓に触れると、またカードに戻るもという便利性の高い構造をしている。なぜカードに戻るかは解明されていない。


 千敦が家庭科室の角を曲がると、少し先にトロールの姿を発見した。今のところこちらには気づいていない。うこはグレープをしているため、距離が開いてしまった。見たところ1匹しかいないし、1人でもいけるだろうと思い、千敦はトロールに向かってオーディンを構える。そのまま走って一気に距離を縮めると、千敦に気づいたトロールが体を反転させる。


 けれども体を正面に向けると同時に、トロールの胸を千敦のオーディンが貫いていた。トロールは声にならない叫びを上げて、そのまま廊下に崩れ去って消える。

 

 「よし! 1匹くらいならもう1人でもいけそうだな」

 

 千敦は深く息を吐き出すとオーディンを肩にかける。

 次の瞬間、何だか嫌な予感がして反射的に後ろに振り返る。するとどこかに隠れていたのか、千敦の真後ろにもう1匹トロールがいた。

 

 「うおっ!」

 

千敦は慌ててその場から飛び退きながらオーディンを構えたが、攻撃する前にトロールの体が突然発火してあっという間に灰になると、廊下の床に消え去った。


 「……おいおい。後ろがガラ空きだったぞ。そんなんで大丈夫か、お前」


 それは人を挑発するような、というか小馬鹿にするような物言いだった。普通なら少し頭にくる言い方なのかもしれないが、千敦は予想外の人物の登場による驚きのほうが大きかったため、別段苛つくこともなく呆けながら人物を見つめる。


 消え去ったトロールの後ろには、右手に赤とオレンジが混じったような炎を灯した、1人のイケメンが立っていた。

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