第2幕 シーン4

 何がどうなったのか自分でもよく覚えていない。気がつくと千敦は見知らぬ部屋にいた。部屋はかなり広く、まず目につくのは大きなテレビ画面。いやテレビ画面というより映画館のスクリーンに近い。その大きな画面には、細かく網目のような線が入っていて、区分けされた一つ一つの小さな画面に、校内の様々な場所が映し出されている。


 スクリーンの下にはパソコンが何台も置かれていて、どれもちゃんと起動し鈍いモーター音を発している。また、部屋の中央には丸い円卓があり、周りにキャスターがついた移動できる椅子が複数置かれている。この部屋をとても分かりやすく表現すると、戦隊物とかに出てくる司令室といったところだろうか。


 突然こんな場所に居たら普通は驚くか叫びそうなものだが、部屋にいた人間が全て千敦の知っている顔だったので、そこまで混乱したり取り乱したすることはなかった。それでも全く状況が飲み込めていないことに代わりはない。


 「なんでみんなが……」


 この部屋にいるのは副部長の莉穂と朱梨と沙夜子、そしてうこ。保健医の中島かすみと演劇部顧問の染谷先生。あとは、演劇部員ではないが千敦の幼馴染みである、松任谷祐美まつとうやゆみの姿がある。


 祐美とは本当に物心ついたときからいつも一緒に遊んでいた。俗に言う腐れ縁というやつなのか、今のところ小中高は全て同じ学校に通っている。

 長い黒髪はポニーテールで高い位置に結ばれ、色白な肌と意外に整った顔立ち。一般的に余裕で可愛い部類に入ると思うが、目がキツネ目というか猫目のため、キツそう。と第一印象で思われるという愚痴を、前に聞いたことがある。


 現に今は、唇を一文字に結ばれているため、より強気な性格に見えるが 実際祐美の強気な性格なので第一印象は間違っていない。小学生のときから変わってないんじゃないか、と思える程に背が低いことと相俟って、昔から怒ってもあまり怖いと感じたことはない。というか下の方で吠えられてても、小犬がじゃれているようにしか見えない。


 頭のポニーテールは、揺れると子犬の尻尾みたいに見えて、逆に頭をくしゃくしゃっと撫でてやりたくなる。実際、中学の頃までよく祐美の頭を撫でていた。

 千敦は真っ先に祐美に近づいた。目の前まで行くと、祐美は気まずそうに顔を背けられる。

 

 「なんで祐美がこんなところにいるんだよ?!」

 「ちょっと……色々あってね」

 「色々って何だよ!」

 「千敦にいちいち報告する義務なんてないでしょ? 別に親兄弟でも……ま、ましてや、恋人なわけでもないし!」

 

 少し早口で捲くし立てると祐美は千敦に背を向けてしまう。祐美の言っていることは正しかった。いくら幼馴染みとはいえ、何でも自分に報告する義務なんてない。そんなことは千敦も分かっている。ただ、今まで祐美に隠し事されたことがなかったので、ショックが隠しきれなかった。

 

 「まぁまぁ、痴話喧嘩はそれくらいにしておいてください」

 

 突然穏やかな声がしたので顔を向けると、顧問の染谷が相変わらず仏様のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

 染谷先生こと、演劇部の顧問で国語教師の染谷新造そめやしんぞう。確か年は60才近いので本当におじいちゃんという感じで、恰幅が良くいつもニコニコ笑っている優しい先生だった。また滅多なことでは怒らない温和な性格なので、教師の中でも好かれている人だった。

 

 『痴話喧嘩じゃありませんから!』

 

 千敦と祐美の声が綺麗に重なり合う。あまり説得力がない。

 

 「まぁその話は今は置いておいて……早速ですが本題に入りましょう」

 「へっ?」

 「突然のことで驚いていると思いますが、先に質問させて下さい。関岡君はトロール……いや、さっきの化け物が見えるんですよね?」

 「は、はい。普通に見えましたけど」

 

 千敦の返答に染谷は小さく唸ると顎を擦りながら考え込んでしまう。別に見たくて見たわけじゃない。というか、できることなら見たくなかった。まして見えるだけならともかく、あいつらは普通に襲ってきて死にかけた。朱梨が助けてくれたので、何とか難を逃れることができたが、死んでいてもおかしくはない。今思い返しても訳が分からなくて、それなのにあまり現実味がなかった。

 

 染谷は突然自分の胸ポケットから1枚の銀色のカードを取り出す。 それは大きさも形も、千敦が通学のときに使っているIC乗車カードそのものだった。

 

 「えっ? これって……あれですよね?」

 「……多分、関岡君の思っているものとはだいぶ違うと思いますよ」

 

 染谷が珍しく少しだけ苦笑する。

 

 「これに触れてみてくれませんか?」

 

 染谷に言われて差し出された銀色のカードの端には、赤い字でOdinと記されている。千敦はおでんと読みそうになったが、ローマ字読みではオディンだということに気づく。どちらにしても少しHな用語に聞こえるので、安易に口に出さなくて良かったと心の底から思う。

 

 ともかく、千敦は染谷が差し出したカードを受け取った。手に触れた瞬間、カードが眩しい光を放つ。それは照明が反射したのではなく、間違いなくそのカード自体が発光していた。太陽を直視したかのような眩しい光。そして、光は空気のように千敦の肌を通して体内に吸収されていく。皮膚を通り血管を抜け、血液に混じって全身に行き渡る。全て千敦の感覚でしかないのだが、そんなイメージが頭の中で広がっていく。

 

 「うおっ!」

 

 予想外の出来事に驚いて、思わずカードを落としてしまう。手から離れた瞬間、カードから発せられた光は途端に弱まり、床に落ちると完全に失われてしまう。

 

 「なんで千敦が!?」

 「そんな馬鹿な!」

 

 祐美と莉穂が驚きの声を上げる。それ以外の女子達もひどく驚いた顔をしていて、やはり千敦には何が何だか分らなかった。

 

 「……やはり、君は選ばれたようですね」

 

 染谷はゆっくりと腰を曲げて床に落ちたカードを拾うと、千敦を見つめながら少しだけ悲しそうに笑った。そして、再びカードをこちらに差し出してくる。

 

 千敦は恐る恐るそれを受け取ったが、今度はさっきのように光り出すことはなかったので、拍子抜けしながらもズボンのポケットにしまった。

 

 「あのー……選ばれたってどういうことですか?」

 

 千敦の質問に染谷は答えなかった。

 

 「まずは基本的な説明から入りましょう。では、かすみ先生お願いします」

 「はーい。じゃみんなその辺に適当に座って」

 

 かすみは部員達に指示すると、どこからともなくホワイトボードを運んでくる。

 

 「これ聞くの4回目なんっスけど……」

 

 千敦のちょうど向かいには朱梨が座っていて、心底面倒くさそうな顔つきで机に頬杖をついている。その横の席に莉穂が腰を下ろすと、背筋を正し綺麗な姿勢のまま顔だけ朱梨の方に向ける。

 

 「私はこれで8回目だぞ」

 

 固まる朱梨。

 

 「で、ですよねぇ……サーセンした! 佐渡ヶ谷先輩!」

 

 いつもは強気で乱暴な朱梨だが、さすがに3年で副部長の莉穂には強気に出れないらしい。ただこの光景は結構見るので、千敦はさして気にも留めなかった。それから他の部員達も各々好きなところに座ったが、未だ事情が飲み込めない千敦だけがその場に立ち尽くしていた。

 

 「説明って何ですか?」

 「いいから千敦もここ座って!」

 

 と祐美に注意されてしまったので、千敦はとりあえず空いていた祐美の前の椅子に座る。

 

 「何度も聞いている方もいると思いますが、定例行事なのでしばらくお付き合いください」

 

 染谷は軽く頭を下げるとホワイトボードの前に移動する。それからアースガールズという文字を書き、指で文字の辺りを軽く叩く。

 

 「では、関岡君がこれからなってもらう、【終末の聖少女】(アースガールズ)について説明しましょう」

 

 まるで授業をするかのように染谷が話し出す。けれど、話を切り出される前に千敦は遠慮がちに手を上げた。

 

 「何? 関岡。別に早押しクイズじゃないんだけど」

 

 かすみが露骨に顔を顰める。千敦は少しだけ言い及んだが、意を決して口を開いた。

 

 「あのー……アースガールズって当然女の子のことですよね? この場にいるのも俺と染谷先生以外は全員女子だし。俺……場違いじゃないんですか?」

 「その質問自体が場違い」

 

 正論であり、全く持って優しさの欠片もないかすみの言葉に千敦は押し黙る。けれどさすがに可哀想だと思ったのか、かすみは小さな溜め息を吐くと横目で染谷の方を見る。目だけで会話する2人。

 

 染谷がにこやかに微笑みながら静かに話し出す。

 

 「本来、アースガールズは名の通り女子しかなれません。男子がなったことは今まで史実にもないですし、それについては私も驚きましたよ」

 「なんで俺なんですか?」

 「さぁ? それは私にも分かりかねます。突然変異か、それとも神様の気まぐれか」

 

 染谷は人の良い笑みを浮かべる。そういう風に微笑まれると、強く出れないから困る。

 

 「あとアースガールズってそもそも何なんですか? 名前もダサいですし」

 「それについては追々説明していきます。名前に関しては随分と昔に名付けられたものですからねぇ。当時はかなりナウい名前だったんですよ」

 

 と困ったように笑われた。ナウいというのは確か随分昔の若者言葉で、今で言うとヤバイみたいな意味だった気がする。きっとその当時ではイケてる名前だったのだろうか。とはいえアース娘とかアースガールズZとか、ASG48だったら良かったのかと言われると微妙だし、千敦は名前に関しては気にせず流すことにした。

 

 「そろそろ話を先に進めたいんだけど?」

 「あっ、はい……」

 

 まだまだ気になることは山ほどあったが、これ以上質問するとかすみの不機嫌度が増しそうだったので仕方なく頷く。

 

 「では、次にこれを見て下さい」

 

 と言って、染谷はズボンのポケットからハンカチを取り出す。そしてそれを開くと中には小さな木片が包まれていて、それを手のひらに乗せて見せてくれる。千敦にはただの木片にしか見えなかった。

 

 「これは【黄昏の遺恨】(ユグドラシル)と言いわれてます。これが、先程渡した銀色のカードの原型になっているのです。先程のカードが武器となるため、なくしてしまうと皆さんは戦うことができません」

 

 染谷の言葉に、千敦は思わず自分の持っているICカードもどきを取り出した。ジッと見つめても、やはりカードにしか見えない。木片がこんな薄い1枚のカードになるなんて、日本の技術力は進歩したんだなぁ、とつい純粋に感心してしまう。

 

 「このカードを学校内の至るところにある、【神々の聖櫃】(ニドヴェリール)という機械の上に置くと、武器が具現化できます」

 

 詳しくは実際に見てもらうほうが早いのでここは略しますね。と、染谷は一旦説明を止める。それからボードの文字を消して、ボードの真ん中に線を1本引いて上に良衛高校、下にはニヴルヘイムという見慣れない横文字を書く。今更だけど国語の先生だけあって、その字はかなり美しい。

 

 「私達の通うこの良衛学校の地下には【死者の住まう国】(ニヴルヘイム)という、人間ではない者が住む世界があります。そうはいっても、この国は私達の世界とは次元が違うため、単純に地面を掘ったら地下帝国に辿り着ける、というわけではありません」

 

 いきなり話がファンタジーになってきた。と千敦は内心動揺したが、化け物に襲われて普通に武器で倒す朱梨を見たときから、十分ファンタジーだったことに気づく。

 

 「ニヴルヘイムから、千敦が先程会った【亡者】(トロール)と呼ばれる、成人男性より2周りほど大きい泥人形達が送り込まれてきます」

 

 染谷が文字の横に絵を描いてくれたのだが、その絵が可愛すぎた。ユルキャラ選手権で優勝できるくらい、ファンシーで可愛い。それはともかく、あのトロールというのが、先程千敦に襲い掛かってきた泥人形のことなのだろう。挙げられた特徴が殆ど一致する。

 

 「このトロールは、学校に居る生徒や外に出て人に襲いかかります。でもその人達は死んだりしません。ただ…………悪意の種を植え付けられてしまうのです」

 

 千敦はいまいち理解できなくて首を傾げる。すると、そんな千敦の様子を見兼ねてか、かすみが補足で説明してくれた。

 

 「これには個人差があるみたいだけど、悪意の種が育って花開くと急に凶暴になって暴力を振ったり、最悪の場合は衝動的に強盗や殺人を犯してしまうこともあるの」

 

 千敦は一瞬息が止まった。朱梨がたまたま助けてくれたから良かったものの、あのときトロールというやつに襲われていたら、自分も悪意の種を植え付けられて犯罪者の仲間入りをしていたかもしれない。あまり現実感がない話なので、かすみが嘘をついているとは思わないけれど、安易に信じられる話ではなかった。


 逆に、襲われても死なないという言葉を聞いて、千敦は少しだけ安堵してしまう。でも次の言葉を聞いて、安堵した自分が馬鹿だったと思い知る。


 「このトロールを倒すのが皆さん、アースガールズの役目です。ただし、くれぐれも気をつけてください。普通の人はトロールに襲われても死にませんが……皆さんは。」


 染谷の言葉に部屋の中が静まり返る。千敦はしばらく呼吸することを忘れていた。

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